音楽が好きで、音楽が怖かった。〜私が「かえるこ」になる前の話〜
私は、音楽が好きでした。
でも同じくらい、音楽が怖かったです。
「夢を追う」とか、きれいに言えるほど強くありませんでした。
むしろ私は、夢を終わらせる理由を探すのが得意でした。
そんな私が、いま「かえるこ」として話している。
その前の、まだ名前すら定まっていなかった頃の私と音楽の話をします。
そもそも「かえるこ」という名前は、蛙が好きだからではありません。
なんなら蛙なんて触りたくないです!!!!!笑
名前の由来は、長男「か〇〇」、次男「え〇〇」、三男「る〇〇」、長女「こ〇〇」――4兄妹の頭文字から来ています。
狙っていないのに、たまたま順番通りになりました笑
これは「かえるこ」になる前の、一人の女の子と音楽のお話です。
嫌いだったピアノ。好きだったテレビの中の歌
父はバレエの舞台監督をしたり、舞台装置を作ったりする仕事をしていました。
だから家の空気には、いつも音がありました。クラシックとか、父の好きな洋ロックとか。
“音楽が身近”って、たぶん幸せなことなんだと思います。
でも、私の中でピアノは幸せじゃなかったです。
幼稚園から小学生の頃、ピアノを習っていました。
でもそれは「私が弾きたい」じゃなくて、「弾かされてる」でした。
上手くならないし、楽しくないし、鍵盤の前に座るだけで心が固くなりました。
それなのに。
音楽番組だけは、めっちゃ見ていました。
テレビの中の歌は、自由で、キラキラしていて、私の“好き”の方にちゃんと居ました。
小学校3年生くらいから、CDを借りてカセットテープに録音していました。
あの「録音ボタンを押す瞬間」のドキドキが好きでした。
自分の手で、好きな歌を“自分のもの”にする感じがして。
だから私は、流行の歌を歌うのが好きでした。
ギターと「ゆず」と「19」。でも私は、出ていけなかった
家にはエレキギターとクラシックギターがありました。
中学生になった頃、流行っていたのは「ゆず」や「19」。
私は家にあるギターを触って、真似して、練習していました。
歌うのは好きでした。
でも当時の私は、ずっとマイナス思考でした。
「どうせ私なんて」
その一言が、いつも喉の奥に居座っていて、声より先に私を黙らせました。
人前で表現するなんて、遠い世界でした。
カラオケで褒められて、ちょっと嬉しくなって、そこで終わり。
“好き”なのに、外に出してはいけない気がしていました。
高校の終わり。初めて、声が外に出た日
高校生の終わり頃、友達に「ボーカルやらへん?」と誘われました。
ライブに出ました。たったそれだけのことなのに、私の中では事件みたいな出来事でした。
めちゃくちゃ楽しかったです。
音楽が、初めて“私の中だけのもの”じゃなくなりました。
私の声が、誰かの耳に届く。
それだけで、「私にも価値があるのかもしれない」って思えました。
自信って、いきなり大きくならないです。
でも、あの日の私は確かに、ほんの少しだけ前を向けた気がしました。
大学の終わりが近づくほど、怖くなっていった
歌は好きでした。
でも自信がないのは変わりませんでした。
正確に言うと、傷つきたくなかったんだと思います。
本気でやって、ダメだったら、立ち上がれない気がしていました。
だから私は、いつも“終わる理由”を探していました。
大学4回生が始まる頃、周りは就活で忙しくなっていきました。
私は歌を歌っていました。
好きなのに、誇れないまま。
そこで私はオーディションを受けました。
「これで落ちたら、諦めよう」
そうやって、自分の夢に“終わらせる許可”をもらいに行ったんだと思います。
誰にも言わず、内緒で東京まで行きました。
…そしたら、準グランプリを取ってしまいました。
嬉しい、より先に、怖かったです。
諦めるために行ったのに、諦められなくなってしまったから。
その事務所には行きませんでした。
でも、自信だけが残りました。
残ってしまった、という感じでした。
「音楽一本」と言った私と、正論の親
大学4回生の夏休み、私は「働かずに音楽をやるつもり」でした。
両親とは何度も言い合いになりました。
「ほんまにやりたかったら、働きながらでも音楽できるわ!」
「音楽一本でいくとか、かっこいいこと言ってるつもりかもしれんけど、仕事したくないだけやん!結局バイトするんやろ?」
刺さりました。
刺さりすぎて、言い返せませんでした。
社会を知らない世間知らずの私は、小娘でした。
私は就活を1か月で終わらせて、社会人になりました。
夢を折った、というより、
夢を“いったん棚に上げた”みたいな感覚でした。
私のマインドが変わった
マイナス思考だった私は、ある時期に価値観が激変しています。
それが、UVERworldとの出会いでした。
〈参考〉
その頃の私は、
「明日死ぬかもしれない」って思って生きていました。
母が握ってくれたおにぎりを見るだけで泣けてくる。
付き合っていた彼氏にチューされて泣けてくる。
現在も稀に発症します…笑
たぶん、常人の感受性ではなかったと思います。
でも仕事が始まると、感受性は標準に戻っていきました。
社会に適応した、という言い方もできるし、
「つまらない大人になっていく」っていう悲しさもありました。
挫折が積もって、音楽が怖くなった
社会人になっても、ギターもピアノもベースもドラムも上手くなりませんでした。
頑張っているはずなのに、形にならない。
その「形にならなさ」が、じわじわ自分を削っていきました。
そこでパソコンに音楽ソフトを入れて、曲作りを始めました。
ここからが、本当の地獄でした。
音楽って、歌が上手いとか、楽器が弾けるとか、それだけじゃないです。
“作った音”を“曲として成立させる”作業が必要でした。
ミックス
音の帯域を整理して、定位を決めて、空間を作って、距離を作って。
「ここにこの音を置く」って、全部自分で決める。

そしてそれは、耳が育っていないとできません。
でも私に起きたのは、たぶんミュージシャンあるあるの、嫌なやつでした。
歌は上達しているはずなのに、耳がよくなる速度が早すぎて、
自分の歌が、日に日に下手に聞こえていくんです。
録音が怖くなりました。
自分の声を聴くのが、怖くなりました。
憧れのプロの世界は、バケモノたちが住む世界でした。
同じ人間のはずなのに、住んでいる場所が違いすぎました。
毎日ボイトレもしました。
飲み物や食べ物にも気を使いました。
体幹トレーニングやランニングもしました。
でも、結果は出ませんでした。
24歳の約束。25歳の終わり
24歳の時、私は決めました。
「あと1年がんばって、だめだったら終わろう」
奇跡は起きませんでした。
25歳で、音楽は終了しました。
26歳で結婚して、長男を出産しました。
人生って、ちゃんと進みます。
進んでしまいます。
夢を持ったままでも、終わらせても、時間だけは平等に流れます。
それでも私は、音楽が好きだった
音楽が好きな私は、男の子3人の名前に「弦」という漢字を全員入れました。
でも今のところ、誰一人として音楽に興味はありません……。(なんでや!)
ちなみに「弦」には、「夫婦の縁」という、なんともそれらしい素敵な意味があるんです。
読み方は…子供の名前が出てしまうので内緒です。笑
音楽を手放したはずなのに、
私の中のどこかは、まだ音の方を向いています。
たぶん、これからも。
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2026年5月2日追記
私はもう一度音楽と向き合い
「かえるこ」として戦ってみようと
思います。





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