長いこと十四歳だった
ずっと十四歳だった。
十一歳くらいから十四歳だった気がする。
その後もずっと変わらないまま背だけ伸びた。
そのうち身長の伸びは止まって、十五歳の誕生日を迎えても、その次の年も、
心の中ではずっと十四歳だった。
そういう人、他にもいるんじゃないかな。
どこか成長しきれないの。
肉体は着々と歳をとるけど、心はついて行っていなかった。
汚い大人になりたくない、とか、まだ子供でいたい、とかそういうことじゃなくて、どうにもこうにも十四歳なの。
別に、十四歳らしい振る舞いをするわけではなくて、その時々に相応しい言動を心がけてはいた。
ただ、何をする時にも心には十四歳がいて、首を傾げていた。
なんか違う、って。
ニューヨークのメトロポリタン美術館に、クリムトの絵がある。
旅先で初めてあれを見た時、同い年だって思ったんだよね。
凛と立つ、白いドレスの女の子の肖像画。
可愛いお部屋で、フリフリのドレスを着ているのだけど、ポーズはどこか挑戦的で、顔も笑っていない。
十四歳って、そうじゃない?
何もかもしっくりこなくて、どこにいても場違い。
ナスの箱に入れられたトマトみたいな気分。
なんとかナスの群れから抜け出してトマトの箱に入ったとて、なんか違う、という気持ちが抜けない。
あんまり赤くない気がするけど、私、トマトよね?
そんな未熟な謎トマト時代が、誰にでもあるじゃない?
……あるよね?
たまたま私は、それがちょっと長かっただけで。
クリムトの少女は、実際に十四歳だった時の私には似ても似つかないんだけど、私の中の十四歳を肖像にするとしたら、あんな感じだと思う。
実年齢三十を過ぎて、子供を産んでしばらく経ったある日、ベビーカーを押した買い物の帰り道に、ふと気がついた。
私はもう、十四歳じゃない。
どうやっても、十四歳だった感覚が思い出せなくなっていた。
いや、まだ実年齢には追いつけていないけど、十四歳では絶対にないんだよね。
別にね、それはいいことでも悪いことでもない。
ただ、少し大人になっただけ。
十四歳のまま、母にはなれなかった。
昔、十四歳の母ってドラマがあったけど、たぶん実年齢十四歳の母は、十四歳の心のままではいられないと思うよ。
保護される側ではなくて、保護する側にまわるというのはそういうことだよ。
りんごの皮を剥いてもらう側じゃなくて、剥いてあげる側になる。
必要とあらばすり潰してお口に運ぶよ!
子供の側としても、精神が十四歳のお母さんというのはしんどいだろうし、たぶんさ、わりといいことなはずなんだ。
いいこと、というと違うな。
なんだろ?
必要悪、でもないし。
ただオタマジャクシがカエルになっちゃった、くらいの話。
めでたくもなし、悲しくもなし。
成長はいいものだという人が多いけど、ほんとかなーっていつも思ってる。
成長も、変化の一形態に過ぎなくない?
せざるを得ないとしたら、憎みたくないだけで。
ドラマ観たことないから、私の思っているのと違う話だったらごめん。
少しだけ、罪悪感みたいなものがある。
あの十四歳の子を、どこかに置いてきてしまったこと。
私の心の中にいたクリムトの絵の女の子をひとりぼっちにしてしまった。
あの子は強く見えるけど、やっぱり十四歳だから、誰かが寄り添ってあげなきゃならない。
寄り添えるのは、私しかいなかった。
それなのに知らぬ間に置いてきちゃった。
ベビーカーに乗った子供の靴下の片方とか、小さなクマのぬいぐるみみたいに。
私だけは裏切らないって、思っていたのにね。
わけがわからないね。
自分でも何言ってんだろ、と思う。
人は変わるね。
自分も例外じゃない。
人だけじゃなくて、全部変わるね?
世界は変わり続けてる。
ダイヤモンドだって永遠じゃないよねー
調べたら、クリムトの絵の名前は、
メーダ・プリマヴェージの肖像。
モデルの少女はオーストリアの銀行家の娘で、当時九歳。
……メーダちゃん、九歳だった。
なんだ、歳下かよー
でもメーダちゃんもたぶん、心の中は九歳じゃないぜ?
