減額通知書に書かれていた昔の同級生の名前

先日、税務署から「予定納税の減額承認通知書」が届いた。

会社を辞め、個人でアプリ開発を始めた現在の私には、当然ながら今目立った収入はない。貯金を取り崩しながらの生活だから手続き自体は当然のことなのだが、書類に書かれた「収入なし」という現実を突きつけられると、どこか自分が「人生の敗残者」になったような、言いようのない虚しさが胸をよぎる。

そんな思いを抱えながら、通知書の頭にある税務署長の名前へと目をやった。

そこに書かれていたのは、見覚えのある名前だった。 「……もしかして、あの彼だろうか?」

脳裏に浮かんだのは、中学時代の彼の姿だ。坊主頭で快活、成績も自分と同じくらいだった記憶がある。お世辞にも「将来の税務署長」という堅い肩書と直結するようなタイプではなかったため、驚きと同時に「まさかあの彼が」という意外な気持ちが真っ先に湧いてきた。

自分も50を過ぎた。ひとつの組織でずっと勤め上げていれば、それなりの管理職になっていて不思議ではない年齢だ。

自分の現状が芳しくないだけに、つい比較してしまう。 「もし公務員という選択をしていたら」 「普通の会社に入って頑張っていたら、いいポジションにつけただろうか」

しかし、すぐに思い直す。 当時の自分に公務員という道を選ぶ未来は想像できなかったし、会社組織の中でうまく出世していくイメージも湧かなかった。結局のところ、自分は自分なりの選択を積み重ねてここに辿り着いたのだ。

世間から見れば、「この歳でそんな不安定なことをするなんて」と呆れられるのかもしれない。自分でも時折「場当たり的な人生だったのだろうか」と自問することがある。だが、体力的にも精神的にも限界を迎えていたあの時、あの場所を離れたのは自分にとって必要な決断だった。

不思議なもので、一見バラバラに見えるこれまでのキャリアや経験も、今取り組んでいる個人開発の中でどこか一つに繋がっている感覚がある。選ばなかった道を羨む「隣の芝生」はいつだって青く見えるものだが、どの道を選んだとしても、それぞれの立場で違った葛藤や苦労があったはずだ。

100点満点の人生ではないかもしれない。 それでも人生の終着点に立ったとき、自分に対して「まあ、よくやったよね」と笑って言えるなら、それで十分なのではないかと思う。

減額通知書を横に置き、私は今日もパソコンの画面に向き合っている。

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