【26人の影でー2026年W杯 選ばれなかった戦士】第4回|「子馬たちの街」のハングリー・ストライカー
——町野修斗とボルシアMG、J3から這い上がった男が抱える「2度目の悔しさ」
おはようございます。TADです。
新シリーズ「26人の影で」第5回——今回は、町野修斗選手。
ドイツ・ブンデスリーガのボルシア・メンヒェングラートバッハ(通称:ボルシアMG)に所属する26歳のストライカーです。
町野選手のことを調べていて、最も印象に残ったのは、彼自身が語ったある言葉でした。
「100億稼いでW杯優勝したら満たされる(笑)」
少しジョークも交じったこの言葉に、町野修斗という選手の底知れぬハングリー精神が表れている気がしました。
なぜなら——町野選手は、日本サッカー界の中では極めて珍しいキャリアパスを歩んできた選手だからです。
J3(3部)→ J2(2部)→ J1(1部)→ ドイツ2部 → ブンデスリーガ → ブンデスリーガ強豪——下のカテゴリーから一段ずつ這い上がってきた、典型的な**「叩き上げのストライカー」**。エリート街道とは無縁の道のりを、彼は実力ひとつで切り開いてきました。
そして——2022年カタールW杯。町野選手は中山雄太選手の代替招集で代表入りしましたが、本大会ではフィールドプレーヤーで唯一、1分も出場しなかった選手のひとりでした。柴崎岳選手と町野選手——この2人だけが、ピッチに立てないままカタールでの大会を終えました。
「次のW杯こそ、ピッチで結果を出す」——町野選手はそう誓い、4年間を過ごしてきたはずです。
ホルシュタイン・キールでのブンデスリーガ11ゴール、約14.7億円という大型移籍でボルシアMGへの引き抜き——ステップアップは順調に見えました。
しかし——北中米W杯メンバーから、町野修斗の名前は呼ばれませんでした。
「2度目の悔しさ」——これが町野修斗選手の物語です。
メンヒェングラートバッハと「子馬たちの街」
ボルシアMGの本拠地、メンヒェングラートバッハは、ドイツ西部・ノルトライン=ヴェストファーレン州にある人口約26万人の街です。

この街の名前、長くて少し覚えにくいですよね。「Mönchengladbach」と書きます。「Mönchen」は「修道士たち」、「Gladbach」は「輝く小川」——つまり「修道士たちの輝く小川の街」という、何とも詩的な意味を持つ地名なのです。
メンヒェングラートバッハは——ドイツの「日本人街」デュッセルドルフから車で約40分の場所にあります。デュッセルドルフは、日本企業の駐在員が数多く暮らすことで知られる街で、日本人にとっても親しみのあるエリアです。
そして——メンヒェングラートバッハには、もうひとつ面白い文化があります。
それは**「Die Fohlen(ディ・フォーレン、子馬たち)」**という、クラブの愛称です。
1970年代、ボルシアMGには、若くて勢いのある選手たちが集まっていました。彼らが活発に走り回る姿が、まるで子馬のようだったことから、「子馬たち」というニックネームが生まれました。クラブのエンブレムにも子馬が描かれており、メンヒェングラートバッハは「子馬たちの街」として、世界中のフットボールファンに親しまれています。
「修道士の小川と、子馬たちの街」——なんだか童話のような響きの街です。
ボルシア・メンヒェングラートバッハ——「70年代の黄金期」を持つ古豪
ボルシアMGは1900年創設。クラブカラーは黒・白・緑の縦縞。
そして——ボルシアMGには、ドイツサッカー史を彩る黄金期があります。
1970年代——ボルシアMGは、ブンデスリーガで5回のリーグ優勝(1970, 1971, 1975, 1976, 1977年)を達成。UEFAカップ優勝も2回経験する、ヨーロッパでも屈指の強豪でした。
バイエルン・ミュンヘンと、リーグ優勝を分け合った時代——「バイエルン vs ボルシアMG」は、当時のドイツサッカーの最高峰の対決だったのです。
この時代のボルシアMGには、ベルティ・フォクツ(1990年W杯優勝監督)、ギュンター・ネッツァー(ドイツ代表伝説)など、世界的な名選手が集まっていました。
近年は黄金期ほどの勢いはありませんが、ブンデスリーガの中堅〜上位を維持する伝統あるクラブです。
ホームスタジアムはボルシア・パーク(収容人数約5万5千人)。
そして——日本のフットボールファンにとっては、もうひとつ重要な意味があります。
板倉滉選手が、ボルシアMGに所属していた時期があるのです(2022-2025年)。板倉選手は2025年夏にアヤックスへ移籍しましたが、その移籍と入れ替わるように、町野修斗選手がボルシアMGに加入しました。
「日本人選手の系譜が引き継がれているクラブ」——これは、フランクフルト(長谷部誠→鎌田大地→堂安律)と並ぶ、感動的な物語のひとつです。
町野修斗——「J3から這い上がった男」のキャリア
町野修斗選手は1999年9月30日生まれ、26歳。三重県伊賀市出身、185cm/77kg。

彼のキャリアは、日本サッカー史でも本当に異色なものです:
①ガイナーレ鳥取/松本山雅FC時代(2018-2021年) 鳥取の下部組織出身。プロキャリアのスタートは**J3(3部)**でした。
このシリーズで、これまで紹介してきた日本代表選手たちの大半は、若いうちからJ1の強豪クラブでプレーしていました。しかし、町野選手のキャリアは——最下位カテゴリーのJ3から始まったのです。
そこから一段ずつ、J3→J2→J1と這い上がってきました。これは、現代日本サッカー界では本当に稀なキャリアパスです。
②湘南ベルマーレ時代(2021-2023年) 2022年に大ブレイク——J1リーグで2桁ゴールを記録し、一気に日本代表入りを果たしました。EAFF E-1選手権(東アジアサッカー選手権)で2試合連発・大会得点王として、9年ぶりの日本優勝に貢献。
そして同年11月、カタールW杯代表に中山雄太選手の代替招集で選ばれます。J3スタートからW杯メンバー入りまで——わずか4〜5年での快進撃でした。
③カタールW杯——「1分も出場できなかった悔しさ」 しかし、本大会では出場機会がありませんでした。
報道によれば、フィールドプレーヤーで唯一試合出場が0分だったのは、柴崎岳選手と町野選手——この2人だけ。
カタールW杯のグループステージで日本代表が世界を驚かせた「ドイツ撃破」「スペイン撃破」、そして「三笘の1ミリ」が生まれたクロアチア戦——町野選手は、それら全てをベンチから見るしかなかったのです。
この悔しさが、その後の彼のキャリアを動かす最大のモチベーションになりました。
④ホルシュタイン・キール時代(ドイツ、2023-2025年) 2023年夏、ドイツ2部のホルシュタイン・キールへ移籍。
2023-24シーズン(ドイツ2部):31試合5ゴール
2024-25シーズン(ブンデスリーガ):32試合11ゴール
特にブンデスリーガ1部での11ゴール——これは、日本人ストライカーとしては大きな数字です。**「ブンデス2桁ゴール男」**として、町野選手の評価は一気に上がりました。
ただし、ホルシュタイン・キールというチームはブンデスリーガ昇格1年目のチームで、結局その年に2部降格してしまいました。
⑤ボルシア・メンヒェングラートバッハ時代(2025年〜) そして2025年7月26日、ボルシアMGへ完全移籍。移籍金は約14.7億円(キール史上最高記録)、契約は4年間。
「ステップアップ」——これは町野選手にとって、輝かしい瞬間でした。J3から這い上がってきた選手が、ついにブンデスリーガの強豪クラブで戦う。
2025-26シーズン——「もどかしい1年」
しかし——ボルシアMGでの1年目は、町野選手にとって厳しいシーズンになりました。
シーズン序盤のふくらはぎ負傷を経て、リーグ戦復帰後も、思うように得点を量産できない日々が続きました。
ドイツの専門サイト『FootyStats』のデータを見ると:
2025-26シーズン:32試合3ゴール、シュート26本(枠内11本)
シュート機会は十分に作っているのに、ゴールが決まらない——プロのストライカーにとって、最も苦しい時期です。
最後のゴールは2026年1月中旬。それ以降、ボルシアMGでの公式戦ゴールは止まっていました。
ドイツのメディア『90min』は、こう報じました:
「ボルシアでの1年目は散々なものになったが、クラブは依然として町野を信じている」 「日本人選手は最初の1年でその価値を全く証明できなかった」 「しかし、彼はまだ見捨てられていない」
厳しい評価でした。しかし、最後の「まだ見捨てられていない」という言葉に、町野選手の今後の希望が込められています。
そして——2026年5月15日、北中米W杯メンバー発表。町野修斗の名前は、ありませんでした。
カタールW杯で1分も出場できなかった悔しさを胸に4年間戦ってきた選手——その彼が、北中米W杯のピッチに立つチャンスすら、与えられなかったのです。
考察——「100億稼いでW杯優勝したら満たされる」
町野修斗選手の物語を調べていて、彼の言葉をもう一度考えました。
「100億稼いでW杯優勝したら満たされる(笑)」

ジョークの中に、本気が混じっている言葉だと感じました。
J3からスタートし、J2を経て、J1へ。そしてブンデスリーガまで這い上がってきた男——その途上で何度も「もう無理かもしれない」と思った瞬間があったはずです。
それでも、町野選手は前を向き続けました。サッカー界で最高の場所を目指し続けた。「ハングリー精神」——この言葉が、町野選手ほど似合う日本人選手は他にいないかもしれません。
しかし、北中米W杯のピッチに立てない——これは、4年前の悔しさを倍にした重さで、彼にのしかかっているはずです。
「ハングリー精神は、満たされない限り、消えない」
町野選手は今、まさに「満たされていない」状態にあります。100億も稼いでいない。W杯優勝もしていない。それどころか、W杯のピッチに2大会連続で立てない。
しかし——それこそが、彼の最大の武器でもあります。
満たされた選手は、ハングリー精神を失います。しかし、町野選手は満たされていない。だから、彼の挑戦はまだ続きます。
26歳のストライカーは、これからキャリアの絶頂期を迎えます。ボルシアMGでの1年目は苦しかったけれど、ストライカーの真価は1年では測れない——これは、サッカー界の常識です。
クラブが「まだ見捨てられていない」と言ってくれている。次のシーズン、町野選手は必ず結果を出してくるはずです。
そして——2030年スペイン・ポルトガル・モロッコW杯。町野選手は30歳。ストライカーとしては最も成熟する年齢です。
J3からブンデスリーガまで這い上がった執念の男が、4年後にもう一度W杯のピッチを目指す——その姿を見たいと思います。
「子馬たち」の街・メンヒェングラートバッハで、町野修斗という名のストライカーは、今日も走り続けています。
「100億稼いで、W杯優勝する」——その夢が、いつか叶う日まで。
次回の「26人の影で」シリーズは——マジョルカの浅野拓磨選手です。
「2022年ドイツ撃破ゴールの英雄」——カタールW杯の主役のひとりが歩む、もうひとつの道を書きます。
つづく。
