見出し画像

乳首が短くても授乳できる?私のリアルな体験と工夫

母乳が吸えないことに気づいた日

産後、助産師さんに初めて言われました。

「乳首短いねー、扁平だよ!」

それまで自分の乳首がなんか違うと思っても、陥没ではないし大丈夫だろうと思っていました。
でもその言葉を聞いた瞬間、乳首に扁平っていう概念があるんだ!とびっくりしました。

赤ちゃんは滑ってうまく吸えず、やっとくわえられたと思ったらむせて外す。
授乳に1時間かかるのが当たり前になりました。

「3時間ごとに授乳すれば休めるはず」
そんな単純な考えは、すぐに崩れました。

入院中の孤独と絶望

授乳→体重測定→ミルク作り→ゲップ→哺乳瓶消毒→おむつ替え→寝かしつけ→手絞り搾乳…
手で搾る母乳が少しずつ赤ちゃんに届くのを見ると、やらないよりはいいと思えました。

でも、泣いた赤ちゃんを抱えて時計を見ると、まだ1時間しか眠れていない。
寝てしまったら次の授乳のときに起きられないかもしれない。
この小さい赤ちゃんが死んでしまうんじゃないかと、本気で怖くなりました。

帝王切開の傷は痛むし、眠れない。
看護師さんや助産師さんは「母乳!母乳!」しか言わない。
しかも人によって教え方や方針が違うので、何をどうすればいいのか全くわからず、戸惑いました。

コロナ禍で夫には会えない。ほかの入院中の人とも話せない。
病室でひとり、誰にも頼れず、ただ「赤ちゃんを守らなきゃ」という責任だけが、胸の中でぐるぐる回っていました。

授乳前後の体重測定で「全然増えてないじゃない!」ときつく言われたことがあり、その一言が胸に刺さって離れませんでした。そこから私は狂ったように搾乳と授乳を繰り返しました。

夜中に泣けば、朦朧としながらも必死で授乳。入院中の睡眠時間は1日1時間ほどで、頭も体もどんどん壊れていく感覚がありました。

その無理が祟ったのか、産後には血圧が急上昇し、妊娠高血圧と診断されました。
「血圧が高いので寝てください。夜中は赤ちゃんを預かります」――そう告げられた瞬間、胸が張り裂けるようでした。
“私が母親失格だから、赤ちゃんを取り上げられるんだ…” そう思うと、涙が止まりませんでした。

2週間検診——初めての外出

退院して初めての外出は、2週間検診でした。
授乳クッションもない、環境も整っていない中で赤ちゃんが泣き出すと、どうしていいかわからずドキドキしました。

看護師さんに「じゃあここで授乳しておいて〜」と言われても、うまくくわえられず、結局抱っこでしのぎました。
家の中なら、クッションや体勢を整えられるのに、外ではそれができない。
その日、外出は控えようと心に決めました。



授乳1時間の戦いと工夫

最初の授乳は、赤ちゃんが滑って飲めず、むせて外す。
体重を測ると、1回で増えるのは3gだけでした。

ちょっとずつ見つけた方法は、
• 乳首を軽く絞ってから授乳する
• 体勢はフットボールだき
• 慣れるまで乳頭保護器を使う

搾乳して飲ませた方が早く済むのに、直母にこだわってしまいました。
眠れなくても、母乳で飲ませたい気持ちが勝っていました。

産院は「乳頭保護器はなるべく使わない方がいい」という方針でした。
でも私にとって授乳は痛みとの闘いで、心も体もすり減っていくばかり…。

そんな時、こっそり優しい助産師さんに相談して、サイズだけ教えてもらいました。
退院後に思い切って乳頭保護器を購入し、使ってみると「あ、授乳ってこんなに楽になるんだ」と初めて感じられました。



2ヶ月目——奇跡の瞬間

2ヶ月頃、赤ちゃんの口が大きくなり、吸いやすくなりました。
乳首も少しずつ出てきて、滑らずごくごく吸う姿を見たとき、言葉にならない嬉しさがありました。

自宅では授乳クッションを重ねて使い、フットボールだきが定番のスタイルになりました。環境が整っていないと授乳が難しかったことに加え、ちょうど緊急事態宣言も出ていたため、しばらくの間は外出を控えて過ごしました。

3ヶ月ごろからはとてもスムーズに授乳できるようになりました。



母乳の幸せと小さな達成感

パクっと吸ってくれる瞬間は、胸がぎゅっとなるほど嬉しかったです。
混合でもいい、ミルクでもいいと思っていたのに、そのときは「母乳!」としか思えませんでした。

孤独、睡眠不足、失敗の連続。
でも少しずつ積み重ねた体験が、赤ちゃんとの信頼を育んでいたのだと思います。



最後に

授乳に悩む時期は必ずありますが、それも赤ちゃんとの大切な時間の一部だと思います。
もし今つらいと感じている方がいたら「自分だけじゃないんだ」と少しでも安心してもらえたら嬉しいです。
そして、どうかママ自身の体も大切に。休めるときに休んでくださいね。

いいなと思ったら応援しよう!