展示会で「米国との戦争にどうして突入したか分からなかったのが期待外れ」とのご意見があり、日米交渉とか開戦経緯を詳しく知りたかったのだろうと想像
きょうはパネルのばらし作業。展示したパネルから掲示した資料を外し、元の場所に戻したり新しくセットを作ったりと、工夫しながら進めていて、とうとう燃料切れ。資料を戻すのは明日だなと、片づけにも3日ぐらいかかるのです。
それはさておき、展示会のアンケートでタイトルのような記載がありました。とりあえず、展示会場ではパネル1枚を使い、南部仏印進駐に始まる石油禁輸と、それをABCD包囲陣と受け止めて、石油がなくなる前に武力による南方資源獲得に動いたーという趣旨の説明をしておきました。







太平洋戦争に突入した理由は、南部仏印に伴う予想外の石油禁輸で特に海軍がパニックに。近衛内閣は米国大統領との直接交渉も模索しますがうまくいかず、当初期限の10月1日が迫る中で総辞職。天皇は後継総理に東条英機を指名し、10月1日期限を白紙にして検討するよう、伝達します。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と、好戦派の陸軍を据えるわけです。
そして、艦船が動けるうちにと12月1日午前零時までにまとまらなければ戦争を決意とする中、米国と交渉を重ねることになるわけです。そしてとにかく仏印からの撤退で一部解除など、いろいろやっていくわけですが、ハル・ノートで、日本軍の仏印と中国、満州からの撤兵ーつまり、満州事変以前の状態を求められるわけですね。ハル・ノートは正式な通牒ではなく、論議のメモのようなものであったとも言われますが、日本側は米国に戦争回避の誠意なしとみて、開戦に踏み切る訳です。
こういった、ある意味ドラマチックなやりとりを知りたかったのだと、後から考えると思う訳です。これまでずっと繰り返し騒がれ、書籍も膨大に出ている太平洋戦争が始まるということは大事で、息詰まるような駆け引きがあったはず、と期待されたのでしょう。その気持ちは、分からんでもないですし、このパネルでは説明不足、となるでしょう。
しかし、そもそも米国と日本の交渉が始まるきっかけが、北部仏印進駐であり、南部仏印進駐なわけなのです。そこから先の交渉は日本が引かない限り動きがないのは、いわば当然なわけで、引かなかった、という史実がある以上、その間の交渉は付け足しなのですね。実際、米国が本当に交渉をまとめる意思があったかもよく分かっていません。
今回の展示では、80年という時の流れで戦前日本を説明していきました。結果として何等の影響を与えなかった日米交渉は、この時間軸では省略してもよし、というのが中の人の考えでした。ご不満の点については、また改めて展示することもあるかもしれません。例えば、ハル・ノートを呑んでいれば、無益な中国での戦争を終わらせる大義名分になり、ある意味、国際連盟で可決された勧告案の実行を遅まきながら行うというのは、政治家や軍人がおのおのの地位にきゅうきゅうとしなければ、あるいは太平洋戦争を避け、隣国との環境改善という、願ってもないチャンスをつかめたかもしれません。
しかし、史実は敵意を募らせ、もはや物資がない中で太平洋戦争に突入するわけです。そして、太平洋戦争開戦から敗戦までのパネルも一枚だけで表現しました。説明文はこちらです。

関連する実物資料は、いずれもどんどん物資不足のじり貧に落ち込んでいくものを示すものばかりをお示ししました。戦闘の一場面もないのもご不満があったかもしれませんが、戦争とは、大部分、こういうものなのです。経済であり生活であり、それらのすべてが戦争に包括され、戦闘もその一部でしかないのです。









戦争というものを伝える時、さまざまなやり方があると思います。中の人は、とにかく「人」に軸足を置き、「生活」「政治」が深く戦争とかかわっていたことを伝えていきたいと思って居ます。政治への無関心が、やがて生活を困難にし、気が付けば戦時体制下で「生活」が「政治」により、完全に自由を破壊されることのないように。
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