日中戦争時、中央銀行とは無関係の「政府紙幣」が登場し敗戦後も流通しましたー50銭にまつわる戦中から敗戦後までの流れに見る
現在日本国内で流通している紙幣は、すべて日本銀行券です。日本銀行が中央政府から独立し、日本銀行の責任で紙幣を負債として市場に出し、流通させて調整し、経済を動かしているのはご存じの通り。ここに政治的な思惑が入って長期的な円安政策を漫然と続けた結果、スタグフレーションに陥ったのがここ10数年の経済であることは、骨身にしみて感じておられると思います。
一方、日本銀行のような中央銀行とは離れて、政府が独自に発行する紙幣を「政府紙幣」と呼びます。政府紙幣は、政府に対する信頼があればハイパーインフレを起こしませんので、基本的には中央銀行へ政府が預金をして、その範囲内で発行することで、信用を持たせます。
明治維新間もなくの、まだ中央銀行が確立していない時期を除けば、おおまかに2回、政府紙幣が発行されています。最初は第一次世界大戦の際で、まず好景気で経済の拡大が必要になったこと、そして50銭銀貨など補助貨幣に使っていた金属が高騰して製造能力が落ちたことから、1917(大正6)年に50銭、20銭、10銭の政府紙幣を発行して急場をしのぎ、戦争が終わって銀の高騰も終わった後に、通常の紙幣や貨幣に交換して回収しています。(「日本通貨変遷図鑑」より。下写真も)

そして、次に政府紙幣を発行することになったのが、1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件を端に発した日中戦争でした。まずは軍需景気でお金の使用が増大し、そして当時の50銭銀貨は重要軍需物資の金属を使っていることから、政府は50銭の政府紙幣を発行することに決定します。
発行の根拠となる「臨時通貨法」が1938(昭和13)年5月31日に成立公布されます。これによると、10銭、5銭、1銭の臨時補助貨幣を発行できること、そして必要がある時は50銭の小額紙幣を発行できるとしたものでした。最後に、臨時補助貨幣及び紙幣は、日中戦争終了から1年後には発行をしないとして、発行量に歯止めをかけています。
こうして1938年6月から発行されたのが、こちらの50銭紙幣です。デザインは富士山で、「大日本帝国政府紙幣」となっています。

こうした政府紙幣の一つとして、軍用手票もありました。ハーグ陸戦条約では「現品を供給させる場合には、住民に対して即金を支払わなければならない、それが出来ない場合には領収書を発行して速やかに支払いを履行すること」とされており、最終的には戦後処理で清算する必要がありましたが、膨張する戦線の需要に応じるように大量に作られて現地のインフレを引き起こします。こちら、中国戦線で使われたものです。しかし、先にも記したように戦後の清算や通貨の膨張を避ける為、占領地につくった銀行で裏付けなく大量に金券を刷って流通量を膨張させたため、現地はインフレに苦しんだことは以前にも述べた通りです。

さて、富士山のデザインの50銭紙幣ですが、戦意昂揚のため、太平洋戦争突入後の1942(昭和17)年10月23日、「貨幣の形式に関する勅令の改正」によって、靖国神社のデザインに変わり、太平洋戦争1周年に合わせて発行が始まります。もちろん、根拠法は変わっていないので政府紙幣のままです。

戦局の悪化とともに、通貨の流通量も増大し、50銭紙幣も凸版印刷に委託して印刷されます。特に1945(昭和20)年の50銭紙幣は赤黒の2色のみ、政府紙幣の文字も簡素化されるなどしています。紙質もミツマタの使用割合を減じていたと思われます。

そしてこのまま敗戦を迎え、1946年から50銭硬貨に切り換えられます。こちらは、インフレで5円硬貨発行のため、つり合いがとれるよう小型化させた1947年から発行された50銭硬貨です。

ところで、先の靖国神社50銭紙幣は占領政策の中で、軍国主義を想起させるとして廃止されていました。しかし、こうして硬貨をつくるのも戦後インフレで能力が追い付かず、あらためて1948年3月10日から、政府紙幣の50銭が作られるようになります。今度は板垣退助の肖像でした。日本政府紙幣とあり、臨時通貨法を引き続き運用していたとみられます。
この紙幣は、アメリカ様式の最初の紙幣で、文字も左書きに初めて改められています。

この50銭紙幣は、1953(昭和28)年12月末をもって通用禁止となりました。これで、戦時下から続いた日本の政府紙幣は終わりをつげています。
戦時下や戦後の混乱期などに臨時に発行されていたのが政府紙幣ですが、そのコントロールを誤ると、とんでもないことになるということは、覚えておいても良いのではないでしょうか。軍票が良い例です。政府紙幣が日本銀行券と同様に使われるのは、あくまで、信頼あってこそですから。それがなければ、ただの紙切れです。そして日本銀行券も、経済の規模を超えて発行されれば、たちまち価値が落ちていくのです。それは戦後のインフレを振り返ることで、容易に理解できると思います。
謀略として偽通貨発行を企図したほか、傀儡政権に通貨を発行させて国内のインフレを防止しつつ、GNP以上の戦争をできるようにしました。
マレーシアでのインフレなど経済破壊について。
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