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新聞号外の研究家兼コレクター・小林宗之氏が「アジア・太平洋戦争期の新聞号外」を作られました!ーご恵贈いただきましたので、貴重な中身を一部ご紹介!

 新聞号外の研究家兼コレクターとして知られる小林宗之氏が、ご自身の現段階での研究成果をまとめられた本「アジア・太平洋戦争期の新聞号外ー戦後80年、ここまでわかった『号外空白時代』ー」を出版されました。今回、一部資料写真を提供させていただき、内容も素晴らしいので紹介したいと相談したところ、ご快諾いただきましたので、その内容や一部の図版を紹介させていただきます。

書影表紙
書影裏表紙

 (小林宗之氏のX

 B5判、160ページの大作で1冊2000円。来月の文学フリマ京都で販売されますが、その前にほしいという方には、上記小林氏のXでDMで受け付けておられます。

 内容は目次をご覧いただくとして、小林氏は東洋文化研究所・羽島知之氏に師事し、新聞収集と研究で知られる羽島氏の薫陶を受けられていて、これまで新聞号外の発掘、調査を長く続けてこられています。この本は、中の人が戦時下資料を集め始めた2007年、小林氏が同志社大学大学院新聞学研究会紀要「新聞学」第22号に投稿された論文をベースに、その後の新発見を加え、号外が出ていないとまで言われた太平洋戦争当時の号外発行について整理されたものです。

 ちなみに、本の表紙は太平洋戦争の対米宣戦を報じた「東京日日新聞」の張り出し号外です。
 裏表紙は赤刷り号外が1941(昭和16)年12月8日付朝日新聞号外、4つの同じ内容の号外を印刷して未裁断状態で発見された1944(昭和19)年6月16日付東京5紙の共同号外(北九州へのB29来襲とサイパンの戦況)、左下が1945(昭和20)年8月15日付朝日新聞特報で、正午の玉音放送の予告でつくられたものです。

 この表紙と裏表紙のコレクションだけでも「よく手に入った!」と驚くものです。特に張り出し号外などは使い捨てられるものなので、どこにあったかとか、大変興味を惹かれます。
 太平洋戦争の時期は新聞号外の空白期とされますが、小林氏は「はじめに」で「『ない』と言われると探してみたくなるもので、新聞号外の収集を本格的に初めて以来約四半世紀、見つけては可能な範囲で入手に努めてきた」と書いておられます。さらに文献やマイクロフィルムを当たるなどして発掘されたものもあるとします。通説を打破するには、これほどの精進が必要であるということは強調しておきたいと思います。
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 以下に、目次を示します。各年ごとにわかれて、読みやすい構成です。基本的に所蔵資料を軸にされておられます。

 本文で小林氏が述べられていますが、江戸時代の初の新聞号外に始まり、最も号外の発行競争が激しかったのが日露戦争であったように、戦争となると庶民がその動向に関心を持ち、新聞社もそれに応えつつ、新聞の販促にもつなげるという狙いがありました。日露戦争は、特に多くの将兵が出征しましたので、関係者は各地におり、その関心の高さは間違いなかったところです。
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 1941年の太平洋戦争開戦後の号外は、最も多いのが12月8日付の開戦号外ということです。そして、年末まで、たびたび戦果の号外報道がなされていることを、実物で示され、開戦時ほどではないが「出てこないかと言えば、そうでもない」と説明されています。詳細はぜひ、本をご覧ください。下写真右は「昭和十五年」12月8日としてしまった開戦号外です。

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 1942(昭和17)年に入ると号外発行は激減したとし、理由として従来挙げられていた新聞用紙の不足と新聞連盟の申し合わせによる号外の自由発行の禁止に加え、新聞共販制の実施を小林氏はあげています。三番目の理由は、それまでの新聞販売店が各新聞社の系列別だったのをまとめたことを指し、詳細に解説されています。

 その中での特別な事例として、満洲日日新聞の号外を紹介されています。また、文献では、中国国内でもあったとします。

満洲日日新聞号外

 一方、国内において同年は、関門日報シンガポール陥落号外以外は張り出しや臨時夕刊を除き確認されていないとして、極めて少なかったことを裏付けられています。この、ほとんどない、と言えることも研究の裏付けあってこそという点を確認しておきます。
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 1943(昭和18)年で確認されているのは9月9日付のものからとしています。イタリアの降伏に対する日本政府の声明で、これは夕刊発行後であり、発行許可が出たということから、各社が発行したというものです。
 また、この時期、空襲などを前提とする「非常特報」の相談がなされていたことも詳述されています。

貴重な1943年号外。現物はTBSにより紛失。画像記録を掲載

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 1944(昭和19)年に入ると、夕刊が3月から廃止されます。それを機に、政府が許可した場合の共同号外発行が認められたと小林氏は指摘します。裏表紙の号外4連のものがそれにあたります。
 小林氏は、これが同年唯一とされてきたが、ほかに小磯内閣成立時の滋賀新聞号外などを指摘されています。

滋賀新聞号外
共同特報。こちらも実物はTBSで紛失

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 1945(昭和20)年の大きな変化は、各県ごとに全国紙やブロック紙もひとまとめにする「持分合同」の実施です。空襲による全国紙の配達不能による情報空白を防ぐ狙いです。
 この時期は、空襲絡みの「新聞特報」が出されたほか、号外も出ていることを確認されています。各地方紙で空襲関連号外が出ていて、ぜひ研究成果をごらんいただきたいです。

 そして、終戦号外。これには放送の予告と放送後の号外が確認されているとしています。終戦号外は確認された範囲で11紙と、従来の通説の2倍以上となったとします。これなど、地道な調査のたまものでしょう。そして、号外を発行した社とそうでない社については、また、分析をご覧ください。
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 中の人は、この号外発行の説明過程での、15日に終戦を報じていない紙面として、信濃毎日新聞8月15日付早版の写真を提供させていただきました。小林氏所蔵の遅版と並べると、その違いから情報の流れなどが推測できます。実物の発掘とは、そうした背景まで含めた歴史を掘り起こす力になるのです。

 最後に、実物を積み上げての研究というのは、とにかく手に入るうちに手に入れる、見つけたら入手するという緊張や探索の連続です。それだけに資金も時間もかかりますが、現物という動かぬ証拠が、何よりの足場になります。中の人も、分類すればただのコレクターですが、こうしたコレクションをする人間がいてこそ、体系的なモノ、歴史の証人が次世代に引き継がれると思っています。
 小林氏のこれまでの御努力に敬意を表するとともに、今後の研究のますますのご発展を期待しております。

 なお、妄想で歴史や現実を否定したりトンデモ説を言うような輩には、こうした地道な取り組みをきちんとやってから発言しなさいよと言いたいところです。


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