なぜ瞑想は難しいのか?
静かになろうとすると考えが増える
瞑想に興味を持ったことがない人は私の周りにはあまりいないと思う。一度くらいは試したことがあるはず。
目を閉じて
呼吸に意識を向けて
静かになろうとする。
ところがやってみると気づけば考えごとをしている。さっきの出来事や、これからの予定が浮かぶ。
「ちゃんとできていない」という評価まで始まり、多くの人は思う…自分は瞑想が向いていないと。
集中力が足りないのか
心が落ち着いていなからか…
勝手に起きているものに気づく時間
ここで少し見方を変えてみたい。静かになろうとしているのに考えが次々と出てくる。
これは「自分がうまくできていない」というよりも、自分は何もしていないのに起きていると捉えることができる。
よく思い出してほしい。あなたは「次はこの考えをしよう」と決めてから考えているだろうか。
ほとんどの場合は違う。
気づいた時にはもう始まっている。
止めようとしても別の考えが出てくる。内容も選んでいない。
これは「思考があなたの意志で動いていない」ということを「瞑想」がはっきり示している瞬間だ。
自我は沈黙を嫌う
では誰がそれをやっているのか?
それが自我だ。
自我は静けさを好まない。何も起きていない状態を不安に感じる。だから沈黙が訪れそうになると如実に動き出す。
考えを出し→意味を与え→評価を始める
これは悪いことではない。自我にとっては自然な働きだ。
ただし瞑想はその働きを止める訓練ではない。
「こんなふうに、勝手に起きているんだな」
と気づくための時間だ。
考えが止まらないくて雑念だらけになる…その時すでにあなたは思考そのものから少し離れた位置に立っている。
普段は思考や感情を「自分」だと思って生きている。
でも瞑想の中ではそれらが自動的に現れて自動的に消えていくのが見えてくる。それに気づいた時「正しい瞑想」はもう始まっている。
静かになる必要はなく特別な状態になる必要もない。ただ何が勝手に起きているのかを見る。
瞑想が難しいのはその事実をあまりにも正直に見せてしまうからだ。
そして瞑想によって「自我」の存在を見つけることが出来たら、あなたの一元性への旅は大きく進む。
これからの生活の中では「自我を見つけて赦しを行い訂正していく」これが一元性へ確実に近づく道となる。
