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【じまこちゃ夏祭り】せなのエッセイ屋さん

はじめて来て下さった方、
いつも読んで下さる方、
ありがとうございます。

この度、noteで2回目の、企画参加をさせていただきます。
この記事は【じまこちゃ夏祭り】企画参加屋台です。
どなたでも、参加できるイベントです。
詳細はリンク先に、とても丁寧に書いてありますので、
私からの説明は、省略させていただきます。

私のこの記事も、どなたでも参加できるようになっています。
もし、企画のことがわからなくても、いつもの私の記事を見るように、
読んでいただいて大丈夫です。


屋台店主を務めさせていただきます、せなです。

早速ですが、助けていただきたいことがあります。
この屋台には、商品がありません。

どうか商品を、私に届けてください。

商品の届け方:コメント欄に記入をお願いします。

例:商品「夏祭り」

私が「夏祭り」に関する、ショートエッセイを作成し、
屋台に置かせていただきます。
(例としまして、実際に作って、置かせていただきました)

私が作ることができないもの
・誰かを傷つけたり、不快にさせる可能性があるもの
・noteのルールに抵触するもの
それ以外なら、何でも作ります。

作り終えましたら、コメントに返信をさせていただきます。

どういうこと?
コメントにお題をいただき、私がショートエッセイを作成します。
完成しましたら、この記事を編集して加えていきます。
この記事は「せなのショートエッセイ集」として育ちます。
期間は、この記事が投稿されてから7月23日(木)までです。
受付終了いたしました、ありがとうございました。

私に商品を、コメントで届けていただける方を、募集させていただきます。
コメントが無いと、商品の無い屋台で、途方にくれてしまいます。
皆さまが、商品を届けて下さるのを、心よりお待ちしております。

たくさんのコメント、ありがとうございました

商品を届けていただきまして、ありがとうございました。


0.夏祭り(せな|無理しない低燃費生活)


「夏祭り」と聞くと、屋台や花火が思い浮かびます。

でも、今年の私が参加しようとしているのは、noteの中の夏祭りです。

「なんだか面白そう」

このお祭りを、最初に知った、私の感想です。
でも、参加を決めたあとで、自分の中から別の声も聞こえてきました。

「私に、何ができるのだろう」

参加表明をされている方々は、思わず「すごい発想だ」と、
感心してしまうような人が、たくさんいらっしゃいます。
そんな中で自分には、面白いアイデアなんてない気がしました。

それでも、参加しようと思いました。

せっかくの機会だからなのと、
自分自身がこのお祭りを、楽しみたいと思ったからです。

子どもの頃の、夏祭りの記憶が、ぼんやりとありますが、
花火の大きさや、景品の数を競った記憶はありません。

何となく行って、屋台をのぞいて、笑って帰る。

それだけで、十分楽しかった思い出があります。

大人になってからは、何かを始めるたびに
「うまくやれるかな」
「ちゃんとできるかな」
と考えてしまいます。

でも、お祭りのときは、
そんなことを、忘れてもいいのかもしれません。

誰かと比べるためではなく、自分が楽しむために参加する。

それが私の屋台「せなのエッセイ屋さん」です。


1.夏の歌と言えば、これを思い出す(豹子頭 林冲さま)

中学生の頃の夏休み、私は部活に入っていなかったので、多くの日をひとりで過ごしていました。

街を歩いていると、
窓を全開にした少し物騒な車が通り過ぎると、車内から流れてきたり。
お店の自動ドアが開き、冷たいエアコンの風が吹いてくる。
その瞬間、お店の中からこの曲が聞こえてきたりします。

「打上花火」

自分から聴こうとしなくても、
この夏は毎日どこかで、この曲を耳にしました。

夏休みは、ずっとひとりだったわけではありません。
同じ学校の女子たちと待ち合わせをして、ショッピングモールへ行く日もありました。

みんなでタピオカミルクティーを飲みながら、他愛もない話をして、気づけば何時間も同じ場所にいました。
あの頃は、いつまでもここにいられる気がしていたのに、一日はあっという間に流れました。

ショッピングモールでも何度も「打上花火」が流れて、
「この曲いいよね」とみんなで話しました。
私も、いつの間にかこの曲が好きになっていました。

あの夏に、特別な出来事があったわけではありません。

それでもこの曲を聴くと、体温と同じくらい暑かった夏の日や、DAOKOさんに憧れて、少しだけ背伸びをして、大人びた雰囲気をまとっていた同級生たちの姿が浮かびます。

あの夏の思い出に、花火大会はないけれど、
何度も聞いた「打上花火」は、あの夏だけの、とくべつな思い出です。


2.noteと出会った、白猫さん(Marie | まりーの小さな⚙️歯車⚙️ラボ🔬さま)

私がその白猫さんと出会ったのは、noteではない別のSNSでした。

猫耳、大きなリボン、しなやかなしっぽ。
可愛いお洋服を着た姿は、私の大好きな世界でした。

ただ、そこに書かれていた言葉は少し専門的で、私には難しく感じました。

「ITのお話なのかな」
「エンジニアさんなのかな」
そんなことを、なんとなく思っただけでした。

でも、その日から白猫さんは、私のタイムラインによく現れるようになりました。

きっと私は、いつも手を止めて見ていたのでしょう。

まるでアルゴリズムが、
「あなた、この白猫さんが気になっているよね?」
と言っているような気がして。
私は自然とフォローをしていました。

そして、白猫さんとnoteで再会したのは、
この夏祭りに参加すると決めたときでした。

主催の方から受け取ったバナーを見たとき、
「あの白猫さんだ」と思いました。

「やっぱり可愛いな」

そして、こんなことを思いました。

「私もこんな可愛くなれたらいいな」

白猫さんのnoteページへ行くと、そこには展示屋台がありました。

私は、とても驚きました。

夏祭りに参加することを決めた私は、
どんな屋台を出そうか、ずっと考えていました。

そこで思いついたのは、前からやってみたかったこと。

コメントでお題をいただいて、
私が文章を考えて、
記事として編集して、どんどん長くなっていく。

そんな企画でした。

でも、少し不安でした。
「こんなことをしていいのかな」
「迷惑をかけたりしないかな」

私はいつも、自分に自信がなくて、不安になってしまいます。

そんなときに見つけた、白猫さんの展示屋台。
コメントに書かれたことを、イラストにする企画でした。

形は違いますが、少しだけ私の発想と似ている気がしました。

「私のやりたいこと、やっていいのかもしれない」

とてもうれしくなりました。

もしかしたら、白猫さんがいなければ、私はこの企画をすることなく、
いつものように、ぼんやりと記事を書いていたかもしれません。

白猫さんは、私にとって遠くから背中を押してくれた存在です。

そして、気づいたことがあります。

私の企画は、コメントをいただけないと、とても寂しい。
それはきっと、白猫さんも同じなのではないかと。

だから私は、必ずコメントしようと思いました。

今日、白猫さんの屋台にコメントをしようとしたとき、
すでにたくさんのコメントがありました。

少しだけ迷いました。

「たくさんコメントあるけど、いいのかな」

でも、考えました。

もし私だったら、どんなにコメントがあっても、まだまだコメントがほしい。

私は、今日もまた背中を押してもらい、自分の希望をコメントしました。

「私も同じように可愛くなりたい」

あの日、タイムラインに流れてきた白猫さん。

その出会いが、今のこの記事に繋がっています。

誰かの表現が、誰かの背中をそっと押している。

きっとnoteには、そんな不思議な出会いがたくさんあるのかもしれません。

まりーのお絵描き屋さん、開店しています。


3.夏祭りの時にだけ神社の境内に現れる、人生で見た中で一番陽気なおじさん(kazz_n0te@一般会社員さま)

浴衣を着ると、人は変わります。

高校生の夏、近所の神社の夏祭りに、クラスの女友達数人と出かけたことがあります。

私は普段着のままでしたが、何人かは浴衣を着ていました。
中でも一人、当時地下アイドルをしていた子だけは、別格でした。
同性の私が見ても、ドキっとするほど可愛かったです。

「浴衣、着たいな」

ほんの一瞬だけ、そう思いました。

玉子たこせんのソースの香り、ミルクせんべいの練乳の匂い、
ベビーカステラを頬張りながら、私たちは境内の奥へと歩いてきました。
誰かが屋台の前で足を止めれば、他は待ちます。
そんなことを繰り返しながら、奥に向かって進んでいました。

イカ焼きを買いに行くという子について行かず、私は地下アイドルの友達とふたり、少し離れた場所で待っていました。

「ねえちゃん」

隣にいた友達へ、誰かが声をかけます。

弟さんでしょうか。

そんなわけがありません、声の方向を見ますと、50代くらいの男性が立っていたのです。
頭はつるりと丸坊主で、鉢巻をきりりと締めています。
祭りの日でなければ、道ですれ違うだけでも、少し身構えそうな風貌でした。

「可愛いな、LINE教えて」

ナンパでした。

私にとって、生まれて初めて目にする、ナンパの現場でした。

しかも相手は、高校一年生の、未成年の友人です。
親子ほど年の離れた男性が、友人をナンパしている事実が、現実に思えなくて、私は言葉を失いました。

地下アイドルなのだから、こういうことには、慣れているのかもしれない、そう思いました。
ところが、案外そうでもないらしく、私の腕に、ぎゅっとしがみついてきました。

私も突然のことで、声が出なかったので、代わりに、両手で大きくバツを作ってみせました

すると男性は、拍子抜けするほどあっさりと、

「ごめんね、お祭り楽しんで」

そう言って、笑顔で人混みに消えていきました。

イカ焼きを手にした友人が戻ってきて、私たちはまた何事もなかったように祭りを歩きました。
ただ、私はさっきのことが、少し気になっていました。
あの人は、いったい何だったのだろう。
いい大人なのだから、もう少し考えて行動すればいいのに。

「去年も声かけられた気がする」

地下アイドルの友人が、ぽつりと言います。

「ファンとか?」

「ううん、この祭りでしか見たことない」

そのとき、また聞こえました。

「可愛いな、LINE教えてよ」

見ると、今度は別の浴衣姿の子に声をかけています。
相手は完全な無視をしています。
それでも男性は臆することなく、

「ごめんね、祭り楽しんで」

同じ台詞を残して、また祭りの中へ消えていきました。

「浴衣の子が、好みなのかもしれない」

そう思うと、少しだけ腑に落ちる気がします。
浴衣を着ると、人はいつもと違って見えます。
制服と体操服姿しか知らなかったはずの友達が、あの夜はやけに大人びて見えました。
すれ違う浴衣姿の男性たちも、どこか色気がありました。
お祭りというのは、そういう魔法をかける夜なのかもしれません。

令和のいまなら、50代の男性が高校生に声をかけたというだけで、もっと大きな騒ぎになるのかもしれません。

けれど、あの夜あの境内にいたのは、見た目こそ、いささか物騒だけど、どこか憎めない、夏祭りの晩にだけ現れる陽気なおじさんでした。

お祭りのはじめは、友人の浴衣姿を、私はうらやましく思っていました。

でも帰り道にこう思いました。

この祭りの日だけは、浴衣を着ないほうがいいのかもしれないと。


4.ワクワクした瞬間(あこさま)

私は暑い夏も、寒い冬も苦手です。

冬に、天気予報を見て「今年最初の大寒波がやってきます」というニュースを聞きますと、それだけで少し気持ちが沈んでしまいます。

その頃私は、今の職場で順調に働いており、冬が苦手なことはわかっていましたので、真冬を乗り越えるために工夫をしました。

有給休暇をためておいて、寒さが厳しい時期には水曜日に休みを入れたり、できるだけ無理をしないように予定を調整したり。
冬は、工夫をして、耐える季節でした。

そんな私が、去年、初めて冬を楽しみにした瞬間があります。

23歳の誕生日。

祖母とふたり暮らしを始めてから、初めて迎える誕生日でした。

祖母から渡されたプレゼントの袋は、驚くほど大きなものでした。

中から出てきたのは、黒いダウンジャケット。

ロゴは小さく、落ち着いたデザインでした。

それは、登山が趣味の祖母が、お気に入りのアウトドアショップで選んでくれたものでした。

以前、私は「通勤の朝、寒いのが嫌だ」と話したことがありました。

祖母は、その言葉を覚えていてくれたのです。

ダウンジャケットを見て、うれしさと一緒に、安心する気持ちがありました。

「これで、今年の冬を乗り越えられる気がする」


そして、明日から一気に気温が下がると聞いたある日。

私は前の日からダウンジャケットを出して、壁にかけました。

いつもなら憂うつになる冬の寒さ。

でも、その日は違いました。

「やっと、このダウンジャケットを着られる」

そう思うと、明日が楽しみになりました。

寒い冬を楽しみにするなんて、今までの私にはありえないことでした。

そのダウンジャケットは、今まで着たどの服よりも暖かいものでした。

冷たい風を防いでくれる暖かさ。
そしてもうひとつ、祖母が私のために選んでくれたという、あたたかさ。

冬は、夏の暑さが恋しくなります。
でも夏が来ると、今度は冬の寒さが恋しくなります。

人は今ないものを、求めてしまうのかもしれません。

今年の夏もとても暑くて、やっぱり冬が恋しくなります。

あのダウンジャケットに袖をとおす、ワクワクした瞬間。

その思い出が、冬への恋しさを、より強くしています。


5.夏祭りの締めとは?(木漏れ日亭さま)

夏祭りの締めと聞いて、私が思い浮かべるものはふたつあります。

ひとつは、打ち上げ花火。
もうひとつは、ソース焼きそばです。

学生の頃、近所で行われていた夏祭りは、最後に花火が上がるのが恒例でした。

でも、花火がよく見える場所はいつも人でいっぱいです。
少しでも見やすい場所を探すだけで、大変でした。

そんなある年、一緒に行く予定だった友達が言いました。

「花火がよく見える場所、知ってるよ」

そこは、友達が住んでいるマンションの屋上でした。

普段は誰も入れない屋上。
でも、なぜか毎年そのお祭りの日だけは、屋上への扉の鍵が開いているのだそうです。

しかも、友達のお母さんが事前にレジャーシートを敷いて、場所まで取ってくれていました。

私たちは屋台で買った食べ物を持って屋上へ向かい、シートの上に座って、花火が始まるのを待ちました。

この日は、なぜか全員がソース焼きそばを持っていました。

実は花火へ向かう途中、お祭りを出ようとした時に、屋台のお兄さんから声をかけられたのです。

「焼きそば100円にしとくよ、買っていってよ」

聞けば、お店の片付けをしていて、余った焼きそばを売り切りたいとのこと。

その安さに、みんな迷わず買いました。

「ソースいっぱいかけておくね」

そう言いながら、お兄さんはソースをたっぷり、いや、たっぷりすぎるほどかけてくれました。

いざ食べ始めると、

「ソース濃すぎない?」

みんな口々に言いました。

結局、友達が持っていたビニール袋を使って、かかりすぎたソースを少し減らしてから食べることになりました。

「ソース、捨てるのなんだか嫌だな」

そんな気持ちもありました。

でも、花火が上がり始めると、いつの間にかそんなことは忘れていました。

夜の屋上、
友達と一緒に食べる焼きそば、
空に広がる大きな花火。

お祭りの日だけにある、少しだけ特別な空気。

「この時間が、ずっと続けばいいのに」

打ち上がる花火を見ながら、そんなことを思っていました。

夏祭りの締めを思い出すと、思い浮かぶのは、
綺麗な花火だけではありません。

一緒に笑った友達。

屋上から見た、花火を待つ夜空。

そして、少しソースが濃すぎた焼きそば。

あの夏の思い出は、今でも鮮明に残っています。


6.夏と海と音楽と(あん|noteと遊ぶさま)

夏と海と聞くと、多くの人は青い海や波打ち際を、思い浮かべるのかもしれません。

でも、私が思い出すのは、小学生の頃の臨海学校です。

私が生まれ育った街には海がなく、夏に海へ行く機会は、ほとんどありませんでした。
だから臨海学校で「海へ行く」と聞いただけで、少し特別な気持ちになりました。

一方で、不安もありました。
私は運動が苦手で、水泳も得意ではなかったからです。

でも実際の臨海学校は、想像していたような、厳しいものではありませんでした。

泳ぎのレベルごとに班が分かれていて、私はいちばん泳げない班。
遠泳をする子たちを横目に、私たちは大学生のお兄さんお姉さんと一緒に、足のつく浅瀬で遊びました。

水をかけ合ったり、浮き具につかまったり、ただ海を楽しむだけでした。


そして、その臨海学校と一緒に思い出す、音楽があります。

AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」

夜、体育館のような場所でレクリエーションがあり、最後にみんなで踊りました。

前に立った先生が、「右に歩いて、いっぽ、にーほ、手は下に」と振り付けを声に出して教えてくれます。

私は最初の「こねこね」くらいしかできませんでした。

それでも、何十人ものみんなが笑いながら同じ曲で踊る光景は、まるでミュージックビデオの中に入ったようでした。

夏になると、海を思い出します。

そして海を思い出すと、不思議と波の音より先に、
「恋するフォーチュンクッキー」のイントロが、
頭の中で流れ始めるのです。


7.来てくれる人がいる、ありがたさ(月見草へらさん🌙🌼|Smiling Soulさま)

SNSを始めるとき、「発信のコツ」という言葉をよく見かけます。

発信するジャンルを決める。
誰に向けて書くか決める。
フォローすると何が得られるか伝える。

私もAIに教えてもらったとおりにやってみました。

でも、誰も反応してくれませんでした。
驚くほど無風です。

「まずは読まれないと始まらない」
「初速が大事」
「フォロワーが必要」
「投稿数を増やそう」

調べれば調べるほど、攻略法ばかり出てきます。

そのとき、私は思いました。

「なんだか、つまらないな」

私のSNSデビューは、あっという間に終わりました。

そのあと始めたのが、noteでした。

登録する前にnote公式の記事を読んで、同じ世代の人や同じ悩みを持つ人の記事を読んで、AIにも相談しました。

見出し画像を付けること、タグを使うこと、最初から全部の機能を覚えなくていいこと。

そして私は2026年4月2日、自己紹介の記事を投稿しました。

翌日、開いた画面を見て驚きました。

「スキ」がたくさん付いていました。

SNSで何も反応がなかった私には、とてもうれしかったです。

それから私は毎日書いて、毎日誰かの記事を読みました。

誰かの記事を読むと、また自分も書きたくなる。
見出し画像を作るのも楽しい。

気づけば、すっかりnoteが好きになっていました。

私の記事には、誰かの役に立つようなことが、
書いてあるわけではありません。

ただ、その日に思ったことを、そのまま置いているだけです。

「こんなことを書いていいのかな」
「誰が読んでくれるんだろう」
今でも、ときどき不安になります。

でも、その答えは自分では見つけられません。

読みに来てくださる人がいて、反応をいただける。
「これでいいんだよ」と教えてくれているように感じます。
とてもありがたいです。

「スキ」や「コメント」はとてもうれしいです。
それ以上にうれしいのは、今日も私のところへ来てくださる人がいること。

当たり前ではないそのことを、私は何度でも、いつまでも、ありがたいと思うのです。


8.つながり(ポンタさま)

少し恥ずかしい話ですが、私は人とあまりつながっていません。

人と話すのが得意ではなく、大勢の人がいる場所も苦手です。
ひとりの時間がないと疲れてしまうので、自分を守るために、人との距離を少し広めにとっています。

それなのに、私はどこか寂しがりです。

そんな私が、人とのつながりがほとんどなくなった時期がありました。

コロナ禍です。

高校一年の終わりに、突然学校が休みになり、そのまま春休みへ。
二年生になっても、4月から5月はほとんど登校しませんでした。

緊急事態宣言、不要不急の外出自粛。

私は毎日、部屋で「あつまれどうぶつの森」をしていました。

ひとりでも遊べるゲームですが、フルーツは全部そろいません。

そこで私は、Discordというアプリのコミュニティに入りました。

声で話す人も、顔を映して話す人もいました。
でも私は、文字だけでやり取りをしました。

欲しかったフルーツは、すぐに集まりました。

それなのに、私はDiscordをやめませんでした。

朝起きてSwitchの電源を入れ、スマホでDiscordにつなぐ。

知らない誰かと同じ部屋に入り、会話はほとんどせず、それぞれが黙々とゲームをする。

つながらなくても遊べるゲームなのに、
私は毎日、誰かとつながっていました。

言葉はほとんど交わさなくても、「同じ時間に、誰かがそこにいる」

それだけで、不思議なくらい安心できたのです。

人とのつながりは、たくさん話すことだけではないのかもしれません。

離れていても、同じ時間を過ごしている。

それだけでも、人は少しだけ寂しくなくなるのだと思いました。


9.はじめの一歩(なな|疲れた心の休憩所さま)

私は、はじめの一歩を踏み出すのが、苦手です。

何かを始めても失敗することが多く、誰かと競えばほぼ負けます、集団で何かをすると、いつも後ろのほうにいます。

だから、新しいことを始めるたびに、「どうせできない」と考えてしまいます。

それでも、何もしないままというわけには、いきません。

「誰かと比べない」

そうできたらいちばんいいのですが、でも、それがいちばん難しいのです。

だから私は、少し違う方法を考えました。

「行動するかどうかを、そのときの気持ちに任せない」

夕食を食べ終えたら、お風呂をわかす、そのあと食器を洗う。

そう先に決めてしまいます。

自信がある日も、ない日も関係ありません。
上手くできるかどうかも、関係ありません。
先に、そうすることだけを決めます。

私は上手にできないのに、何でも0か100で考えてしまいます。

だから、その考え方を逆に利用することにしました。

食器を洗ったら100点、洗わなかったら0点。

かなり極端ですが、食器を上手に洗えるかどうかは、自分ではコントロールできません。
でも、洗い始めることだけは、自分で決められます。

今は、「やったかどうか」よりも、「どんな成果を出したか」が求められる時代です。

それでも私は、一歩を踏み出しただけで、自分に100点をつけます。
もちろん0点になって落ち込む日もあります。

そんな少し極端な思考を使って、今日も私は、
不器用な「はじめの一歩」を踏み出しています。


10.ありがとう(さち 私のつぶやきさま)

「あなたの口癖は何ですか?」

YouTubeのインタビューで、
そんな質問をされている人を、ときどき見かけます。

私はもちろん、聞かれたことはありません。
でも、もし聞かれたら、こう答えます。

「ありがとう」です。

私は、人と話すのがあまり得意ではありません。

緊張したり、体調がよくなかったりすると、

「あ・・・」
「え・・・」

それだけで、言葉が止まってしまいます。

だからといって、何も思っていないわけではありません。

「あのとき、ああ言えばよかった」
「ちゃんと伝えたかった」

そんな後悔をすることが、何度もありました。

振り返ってみると、そのほとんどが、
感謝を伝えられなかった後悔でした。

だから私は、練習を始めました。

お風呂で湯船につかり、リラックスした状態で。

「ありがとう」
「ありがとうございます」

何度も声に出します。

お風呂場は少し響くので、小さな声でも、
ちゃんと自分の耳に届きます。

我ながら、変なことしてるな。
そう思ったのですが、繰り返し行っていると、
「ありがとう」だけは、自然に口から出るようになりました。

今でも、人と話すことは得意ではありません。

それでも会社で助けてもらったとき、
お店で会計を終えたとき、
家族に支えてもらったとき。

うまく言葉は出なくても、
「ありがとう」だけは伝えられるようになりました。

それを口癖というのは、少し違うかもしれません。
それでも、私が1日の中で、いちばん声を出して言う言葉は「ありがとう」です。


11.線香花火(canamin🍭さま)

小学生の頃の、とある夏の日、
兄と一緒にバケツと花火を持って、近所の集会所の近くへ向かいました。
そこには近所の子どもたちが自然と集まっていて、みんなで暗くなるのを待って、花火をしました。

最初は勢いよく火花を散らす花火で遊びます。
でも最後は決まって線香花火でした。

線香花火は、みんなあまり手を出さなくて、残ってしまいがちです。

でも私は、線香花火がいちばん好きでした。
派手ではないかもしれないけど、凄く綺麗だし、小さな火玉が揺れたり、
それがぱっと落ちたり、何だか儚くて、それが好きでした。

線香花火が始まると、自然と勝負になります。

「誰がいちばん長持ちするか」

あの頃は運任せでした。
みんなで線香花火を見つめながら、それでも火玉は気まぐれに落ちてしまいます。

私の線香花火熱は、大人になっても、まだ残っていました。
「線香花火を長持ちさせる方法」なんて調べたこともあります。

もちろん運の要素が大きいのですが、持ち方や火のつけ方、風を避ける向きまで、意外とコツがあるのです。

私は日ごろ、あまり勝ち負けには拘りません。
でもゲームっぽいものになると、なぜか負けず嫌いになります。

だから、もしあの頃に戻れるのなら、きっと自分の体を風よけにしたり、
息まで止めたり、本気で勝ちにいくと思います。

でも、なんとなく、勝ったあとに少しだけ、こんな風に思う気がします。

何も知らずに笑いながら遊んでいた、あの頃のほうが、
線香花火はもっと長く、美しく見えていたのかもしれない、と。


12.夏の思い出(まなつ/突出マイノリティ列伝さま)

9歳の夏。
私は初恋をしていたのかもしれません。

相手は、学校の同級生ではありませんでした。
モニターの向こうにいた、一ノ瀬トキヤという男性でした。

最初は「なんだかとんでもないアニメが始まった」くらいの気持ちでした。

でも、見ているうちに、何故か彼が画面に映ると嬉しくなる、
みんなが一緒に映っている場面でも、自然と彼を目で追ってしまう、
気がつくと、彼のことばかり考えていました。

「なんでこの人ばかり、見てしまうのだろう」

自分でも不思議でした。
私はネットで調べました。

気になる男性がいる。
自然と目で追ってしまう。
気がついたら、その人のことばかり考えている。

インターネット情報によりますと、
どうやら、それは「恋」というものらしいです。

小学4年生の私は、もちろん「恋」という言葉の存在は知っていました。

でも、それはどこか遠い世界のものでした。
言葉はわかっているけれど、意味はよくわかっていない。
そんな、ぼんやりしたものだったのです。

夏休みになると、私は毎日何度も何度も、彼の映像を見ました。

グッズがあることも知っていました。
正直とっても欲しかったです。
でも、それ以上に恥ずかしかったのです。
お金のこともありましたが、何より素直になれませんでした。

その代わり、彼が着ていた紫色を意識するようになりました。

何かを選ぶとき、気がつくと、紫色のものを選んでいました。

お弁当を買うとき、トキヤくんを思い浮かべただけで、ナスの入ったお弁当を選んだこともあります。

「もう重症だ」

子どもながらに、そう思いました。

学校で、少し大人ぶった同級生の女の子たちが、
「好きな男子いる?」

と色気のある話しをしているのを、聞いたことがあります。

その時、私は心の中で少し得意になっていました。

同級生の話?
私は16歳の大人に恋をしている。

今思えば、かなり痛い背伸びでした。

でも、あの頃の私は本気でした。

夏が終わり、アニメも終わりました。
それでも、私はトキヤくんのことを、忘れられませんでした。

きっとこのまま、ずっと好きなのだろう、根拠もなくそう思っていました。

でも、その気持ちはいつの間にか、少しずつ薄れていきました。
別の誰かに惹かれたわけではありません。
嫌いになったわけでもありません。

ただ、あの夏の気持ちが、
少しずつ思い出に変わっていっただけでした。


13.夏祭りと夜(🐾コロッケノスケ☕🌙|ゲッコーカフェさま)

いつの頃からか、私も友達も、みんなスマホを持つようになりました。

それから夏祭りの待ち合わせは、「現地集合」になりました。

少し前までは、駅や学校の前で時間を決めて、
そこからみんなで歩いて向かっていました。

いつしか「着いたら連絡するね」
それだけで、約束ができるようになりました。

その日の夏祭りは、歩いて行くには少し遠い場所でした。
私は自転車で向かいました。

夜の道を走っていると、会場に近づくにつれて、
少しずつ人が増えていきます。

浴衣を着た人、
楽しそうに歩く家族、
友達同士で笑いながら向かう人。

すると途中で、
「ここからは自転車を降りてください」
と案内されました。

私は自転車を押しながら、人の流れに混ざって歩きました。

普段はただの広場だった場所が、この日は自転車置き場になっていました。

そこには、たくさんの自転車が並んでいました。
こんなに混んでいるとは思っていなくて、少し焦りました。

待ち合わせ時間も迫っています。
私は急いで、どこに置くといいか、何も考えずに自転車を止め、
急いで集合場所へ向かいました。

みんなも同じだったのかもしれません。
「遅れる、ごめん」
「先に行ってて」
そんなLINEが次々と届きました。

今なら、どこにいるのかもすぐに伝えられます。

でも、あの頃の私たちは、スマホを使った夏祭りの待ち合わせに、
慣れていませんでした。

少し前みたいに、時間を決めて、どこかで待ち合わせをして。
みんなで一緒に歩いて行けばよかった。

きっと私だけじゃなく、みんなそう思っていた気がします。

お祭り自体は、楽しかったです。
屋台を見て、人混みの中を歩いて、夏の夜の特別な空気を感じました。

でも、人が多くて、途中から合流できない友達もいました。

「また連絡するね」
スマホの中ではつながっているのに、同じ場所にはいない。
一緒に行くはずだったのに、会っていない、そんな時間でした。

帰り道も、同じでした。
自転車を置いている場所は、それぞれ違いました。
歩いて来た友達もいました。
気づけば、自然と「現地解散」になっていました。

少し前のお祭りの帰り道は、まだ帰りたくなくて、
もうお腹いっぱいなのに、コンビニに寄ったり、
明るい場所を探して座ったり、
そこで、くだらない話をいつまでもしていました。

楽しかった時間を、少しでも長く続けたかったのだと思います。

でも、この日の夜はそれがありませんでした。

便利になったはずなのに、
連絡は簡単に取れるようになったのに、
とても、寂しく感じました。

今でも覚えているのは、帰りの夜道で思ったこと。

「みんなで一緒に帰りたかったな」

きっと夏祭りの思い出は、会場に着いてから始まるものではなくて、

そこへ向かう道も、帰りたくないと思ったお祭りの後も、
全部含めての、思い出なのかもしれません。


14.結露(KOTAYA | 今日はこれで合格さま)

今年も、あの季節がやってきました。

「ストレスチェック」

去年までは、少し厚みのある書類が配られていました。
正直、あまり気が進みません。

仕事のこと、人間関係のこと、自分の気持ちのこと。

あえて普段は、あまり考えないようにしていることを、
あらためて紙の上に、書かないといけないのです。

しかも、会社に対する否定的な質問もあります。

書いているとき、誰かが覗き込むわけではありません。
それはわかっているのですが、
それでも、ペンを持つと少し迷いました。

「会社で書いて大丈夫かな」

そんな気持ちが、どこかにありました。

なので家に持ち帰ることにしました。

忘れないように、部屋に入った時によく見える場所へ置きます。

これなら大丈夫、
目に入る場所に置いておけば、きっと忘れない。

けれど、不思議なことに、毎日ちゃんと目には入るのに、
手が伸びません。

「あとで落ち着いたときに書こう」

そう思って、家事をしたり、スマホを見たり、別のことを始めてしまいます。

そうやって何日も過ぎていきました。

ストレスを確認するための書類を書くことが、すでにストレスになっている。

何だか少しおかしな話です。

会社では書けない、
家に持って帰っても書けない、
私は少し焦り始めました。

そこで私は、会社帰りにカフェへ寄ることにしました。

少しだけ憧れていました。
窓際の席でパソコンを開く人、飲み物を片手に仕事をする人。

「私も、あんなふうに仕事ができる人みたいになれるかもしれない」

そんなことを考えて、カフェに入りました。
アイスカフェラテを注文して、テーブルの上に書類を広げます。

カフェで会社の書類を書く。
仕事ではなく、ただのストレスチェックなのですが、なぜか少しだけ、自分ができる会社員になったような気がしました。

私は少し得意気にペンを持ちます。
でも、現実は思っていたほど格好良くありません。

テーブルが意外と狭い、
メニューや飲み物があって、書類を広げにくい。

上手く集中できなくて、質問を読めば読むほど、迷ってしまいます。

それでも、わざわざカフェまで来たのだからと、
ひとつずつ書いていきました。

その間、目の前のアイスカフェラテは、グラスの外側に少しずつ、
結露を作っていました。

私は書くことに夢中で、気づいていません。

ふと顔を上げた時には、紙のコースターはびしょびしょになっていました。そして書類も少し濡れていました。

カフェで仕事をする私。
そんな姿を想像していましたが、実際に残ったのは、少し濡れた書類と、ストレスをためた私でした。

そのとき、ふと気づきました。
私は、仕事と休みの切り替えが苦手なはずです。
仕事でミスをしたときは、家に帰ってもそのことが、頭から離れません。
何度も思い出してしまいます。

なので、私は上手に切り替えができないのだと思っていました。

でも、違うのかもしれません。

会社の書類を家で集中して書けないと言うことは、ちゃんと切り替わっているのかも。

家は、私にとって休む場所です。
だから仕事の書類を持ち込んでも、心が「休む場所だ」と言っている。

カフェで書類を書くことも、きっと私には向いていないのでしょう。

私は、私に合わない方法で、何とかしようとしていました。
それに気づくことができました。

私はカフェを、仕事をする場所ではなくて、
ゆっくり飲み物を楽しむ場所にしたい。
それがわかりました。

あの日、結露で少し濡れてしまったストレスチェックは、ストレスの確認だけではなく、自分に合う方法を確認するものになりました。

そして今年、ストレスチェックは電子化されていました。
お昼休みに、仕事をするパソコンで入力するだけで終わり、
結果も画面ですぐに見ることができました。

去年のように、人事の方がこっそり近づいてきて、そっと封筒を置いていくこともありません。

なので今年は、書類を書くためではなく、ただカフェへ行ってみました。

去年と同じ、アイスカフェラテを注文します。
そして、スマホで結果をあらためて見てみます。

去年より、結果はずっと良くなっていました。
ストレスチェックを書くことがストレス、この皮肉な状態から、
抜け出せました。

安心して、スマホの画面を閉じようとした時、
ふと見てみると、今年もグラスの外側には結露がついています。
コースターが、少しずつ濡れていきます。

でも今年は、気になりません。

去年の私は、その水滴に気づかないほど必死でした。

今年の私は、その水滴を見る余裕があります。

同じアイスカフェラテ、
何も変わっていません。

でも今日は、ここがゆっくり飲み物を楽しむ場所だと、決めてきました。
スマホをしまって、アイスカフェラテを手に取ると、
カランと、氷が傾く音が聞こえます。

結露で濡れたコースターが、ぴったりくっついてきましたが、
気にせずストローで、ゆっくりと味わいました。


15.一緒にいるうさぎちゃんについて(考える赤柴|司法書士試験結果待ち中さま)

私のnoteには、たれみみのうさぎがよく登場します。
見出し画像や、イラストに、気まぐれのように現れます。

でも、我が家でうさぎを飼っているわけではありません。

高校生の頃、学校の近くに、うさぎだけを扱う小さなお店がありました。

そこで出会った一羽の子うさぎに、私は一目惚れしました。

けれど、当時住んでいた賃貸ではペットは飼えません、お迎えできるお金も、知識もありません。

だから私は、週に一度だけ会いに行きました。
お店の迷惑にならないように、うさぎのグッズをひとつ買って、少しだけ眺めて帰る。
それが、私の楽しみでした。

ある日、お店のホームページを見ると、その子には「売約済」の文字。

慌ててお店へ向かうと、
「すぐにいなくなるわけではなく、お母さんがいなくても大丈夫なくらい成長したら、飼い主さんの元へ行く」と教えていただきました。

私は、その日を最後にお店へ行くのをやめることを決めました。
最後にそのショップで買ったのは、うさぎの飼育本。

「いつか、自分がうさぎを迎える日のために」

あれから6年。
noteを始めるとき、ふとあの子のことを思い出しました。

今ごろ、どんな大人のうさぎになっているのだろう。
飼い主さんと仲良く、元気に暮らしているといいな。

そんな想像をしながら、私はあの子をnoteの中に登場させることにしました。

noteに私と一緒にいるうさぎちゃんは、
一緒に暮らすことはできなかったけれど、
私は心の中で、ずっと幸せを願っています。


16.夢の夏祭り(雪詠|ゆきよみさま)

あの年の夏は、街を歩けば「打上花火」という曲が流れていました。

何度も耳にしているうちに気になってしまい、主題歌になっていた映画、
「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか」を観に行きました。

その日の夜、不思議な夢を見ました。

私は映画に登場する女の子になっていて、物語とよく似た夏祭りの中にいました。

でも、相手役は映画の男の子ではありません。

同じ学校の男子でした。

彼とは話したこともなく、特別意識したこともありません。

目が覚めたあと、いちばん気になったのは、夢の内容ではなく、
「どうして彼だったんだろう」ということでした。

もしかして、私は気づいていないだけで、好きなのかな。

そんなことまで考えてしまって、夢について調べてみました。

すると、睡眠中の脳は記憶を整理していて、映画のストーリーと、身近にいる「同じ中学生」という記憶が偶然結びついただけなのだそうです。

つまり、相手が彼だったことに、私の気持ちは関係ありませんでした。

少し拍子抜けしたような、でも安心したような気持ちになりました。


それでも夏に、「打上花火」を聞くと、あの夢を思い出します。

現実には一度も話さなかった男の子と、夢の中でだけ一緒に夏祭りに行き、手も繋ぎました。

もし、あの日すぐに夢の意味を調べていなかったら。

学校で彼を見かけるたび、少しだけ意識してしまっていたのかもしれません。

そんな私の、実際には行っていない夏祭りは、夢の中にだけ残っています。


17.才能(ゆさま)

私は、自分には何の才能もないと思っています。

絵は描けません。
アニメや漫画が好きだからこそ、さらさらとイラストを描ける人を見ると、「いいなあ」と思います。

勉強も得意ではありませんでした、好きじゃなかったですし、成績も良くありませんでした。
人見知りで、あまり人と仲良くなれるタイプではありません。
話すのも苦手で、面白いことを言えるわけでもなく。
運動がとても苦手で、体力もありません。

そして、文章を書くのが好きだけれど、
noteを開けば、自分よりずっと素敵な文章を書く人がたくさんいます。

才能は、自分のどこを探しても見つかりません。

それでも私は、今日も文章を書いています。

理由は、とても単純です、
書くのが好きだから。

書いて、誰かに読んでもらって、反応をいただける。
だから私も読みに行きます、「スキ」を押したり、コメントをしたり。
noteの中にある、この循環が、大好きなのです。

才能があるから続けられる、そんな人もいると思います。

でも、才能がなくても、「好きだから続ける」という人もいます。

続けているうちに才能が見つかるのか、それとも、いつまでも見つからないのかは、わかりません。

きっともし才能があるなら、とっくに気づいているはずです。
気づかないまま、20年以上生きてきたので、たぶんありません。

だから今日も、好きだけを頼りに書いています。


18.青春した夏、休職した夏(どん底公務員 もだ丸さま)

アニメを見て、泣いた夜がありました。

モニターの前で、大きな声を出して、ぼろぼろと涙を流しました。

私はこんなに泣く自分に、少し驚きました。

その頃の私は、不安におしつぶされそうで、泣きたい日々でしたが、
泣いても何も解決しないし、更にみじめになる気がしていました。

2022年の夏。
休職して、3ヶ月経った頃でした。
復職どころか、将来のことを、何も考えることができませんでした。

いちばんの不安は、お金のことでした。

これからどうなるのか、何もわかりません。
でも、このままだと、生活していけないのは、なんとなくわかっています。

この年の5月、私は適応障害になり、元々なかった自分への自信は、
からっぽどころか、マイナスになっていました。

なので、お金のやりくりすら、きちんとできない気がしていました。

この夏はとても暑く、外は猛暑でした。
でも私はエアコンをつけることが、怖かったのです。

電気代が気になって、ひんやりシートで暑さをしのごうとしました。
ベッドで眠って、起きると、汗びっしょりになっていました。

そんな私を見て、通院している病院のスタッフさんが、口を揃えて言いました。

「エアコンつけないとだめ」

最初は、でも電気代が・・・と思ったのですが、
本当に暑かったですし、こんなにもみんなに注意されることなんて、なかったので、私はエアコンをつけました。

そこから、ほんの少しだけ変わり始めました。

部屋が涼しくなると、家で何かしないと少しもったいないと思いました。

そこから、私は、しばらく見ていなかったアニメを見るようになりました。

外にはほとんど出れませんでしたが、
「外にあまり出ない方がいい」と言われるくらい、気温が高かったので、
それに後押しされて、お家時間を過ごしました。

まだ本調子ではなく、新しいアニメを見ることができなくて、
今まで見たものを見ようと、高校生の頃に見た、
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見ました。

そして私は、冒頭のように、大泣きしました。

高校生のとき、私は漫画・アニメの部活に入っていました。
部室で漫画を読んだり、アニメを見たりする時間が好きでした。
みんなで同じ作品を見て、考察して、感想を話すことが楽しかったです。

でも休職中に1人で見るアニメは、少し違いました。
深く考察するわけでもないですし、誰かと語り合うわけでもありません。

この頃は、とにかく何もしない時間が怖かったです。
することがないと、不安がどんどん出てきてしまいます。

なので、だらだらと見るアニメは、私にとってたいせつな逃げ場でした。

それは、前向きになるためでも、自分の病気を回復させるものでも、社会復帰に繋がるものでもなく、
ただ、時間を少し早く流してくれるものでした。

それでも、大泣きした夜は、いつもより少し眠れた気がしました。

「私泣きながら眠ってるよ、乙女だね」と少し自分に酔った気分になる余裕も出ていました。


翌年の夏、私は就職活動をしていました。

休職して3ヶ月の私には、そんな未来は全く想像できませんでした。

あの時の自分に、何か声をかけることができたとしても、
何も言うことはありません。

ただ、アニメを見られるようになったこと、
それだけで、あの頃の私は十分だったと思います。

高校生の頃は、部活仲間と、好きな作品を語り合いました。
あの頃は、ひとりで、モニターの前で、涙を流しました。

形は全然違うけれど、どちらも同じ作品に、夢中になった夏でした。


19.流れるプール(ジョーイ・ボイオさま)

18歳の夏。
社会人1年目の私は、高校時代の友達から「みんなでプールに行かない?」と誘われました。

少し驚きました。

なぜなら、私は運動が苦手で、泳げないことを、みんな知っていたからです。

高校の近くにプールがあることは知っていました。
でも、一度も行ったことはありませんでした。

そんなプールが、その年で閉鎖されることになっていました。
それでみんなで行こうという話に、なっていたのです。

「最後なら行ってみようかな」

とはいえ、不安はあります。

久しぶりに友達に会えるのは、楽しみですが、
問題はプールです。

ウォータースライダーなんて絶対無理。
泳げない私は、どうやって過ごせばいいんだろう。

気になるので、行く予定のプールを調べてみると、流れるプールがあることを知りました。

「浮き輪があれば、なんとかなるかもしれない」

そこから、私は水着よりも浮き輪探しに必死になりました。

浮き輪は子どものものというイメージがあったので、買うことに少し戸惑いもありました。
でも、その時の私にとって浮き輪は、遊び道具ではありませんでした。

泳げない自分を守ってくれる、お守りのようなもの。

当日、高校を卒業して半年も経っていなかったけれど、みんな少しだけ大人になったように見えました。
浮き輪を持っていたのは私だけ、ひとり子どもみたいです。

でも、実際に流れるプールに行くと、大人でも浮き輪でぷかぷか浮いている人がたくさんいました。

安心して、私も浮き輪につかまりました。

その日は閉鎖前だったからなのか、とても混んでいました。
どのプールも混んでいるので、自然とみんな一番大きな流れるプールに集まります。

なので、流れるプールなのに、なかなか進みません。
でも、そのおかげで、友達とずっと話をしていました。

みんなで私の持ってきた浮き輪につかまって、ぷかぷかと浮きながら、話をして笑ったりしました。

みんなほとんど泳いでいません、流れるプールで浮いて、
プールサイドで座って、ただ話しました。

行く前はとても不安でしたが、
解散するのが名残惜しくなるくらい、楽しめていました。

このプールに来たのは、この日が初めてです。
それでも閉鎖されることが、少し寂しいと思いました。

その後、私はプールには一度も行っていません。

せっかく買った水着も、きっともう着ることはないと思います。

私の大人になってからの、夏のプールの思い出は、泳いだ記憶ではありません。

浮き輪につかまりながら、友達とゆっくり流れた時間。
苦手だったはずの場所で見つけた、小さな夏の思い出です。


20.ラムネ(てぼっこさま)

先週、仕事を終えた帰り道、祖母からLINEが届いていました。

この時間にLINEが来る、内容を見なくても、なんとなくわかります。

「駅前のスーパーに行きたい」

重いものをひとりで持つのは大変なので、こういう時祖母は私を誘います。

一緒に買い物へ行くと、私は荷物持ちになります。
私がいると2人分持てるからなのか、祖母はいつもより少し大胆に買い物をします。

買う予定だった、お酢とみりんをカゴに入れたあと、カートを押していると、祖母がさっとラムネを2本入れました。

少し驚きました。

祖母がラムネを買うところを見るのは、初めてだったからです。

夜になり、お風呂を済ませて髪を乾かしていると、祖母が声をかけてきました。

「せなちゃん、ラムネ飲まない?」

ラムネを飲むのは、いつぶりくらいかな。
いつの間にか、ペットボトルのふたのようになっているわけでもなく、
グッと押して、ビー玉が落ちる、私の知っているラムネでした。

しゅわっと小さな音がします。

祖母は飲みながら、
「しゅわっとするもの、飲みたくなるのよ」
と言っています。

そのまま、昔の話をしてくれました。

祖父がまだ生きていた頃、ビールを飲むことがあったけれど、
祖母はお酒が飲めなかったから、ラムネで一緒に付き合っていたこと。

最近、祖母は祖父の話をよくします。
はじめは、亡くなった祖父の話を聞く時、私はなんとなく、少し気を使っていました。

でも祖母は、いつも悲しい思い出ではなく、楽しそうに、
たいせつな時間を、聴いてほしそうに話します。

いつもお風呂のあとは、それぞれ別々に過ごすことがほとんどです。

祖母も私も、毎日たくさん話すわけではありません。

でも、この日のラムネのような小さなきっかけがあると、
ふと会話が生まれます。

私は話すのが得意ではなく、祖母もおしゃべりな方ではありません。
なので、こういう時間は、たまにあるくらいが、私たちにはちょうどいいのです。

私は普段ラムネを買うことは、ありません。

でも祖母が「しゅわっとしたもの」を飲みたくなったら、
また一緒にラムネを飲みたいなと思いました。


21.ピカソ(須川元介/情報翻訳家さま)

私は、自分のことを、ネガティブな顔しか持たない人間だと思っていました。

不安になる私、
どうせ失敗すると考える私、
誰かに迷惑をかけるくらいなら、はじめからなにもしない私。

それが、私の性格なのだと思っていました。

だから、
「諦めなければ夢が叶う」とか「努力は必ず報われる」とか、
そういった前向きな言葉は、どこか遠い世界の話でした。

何かに挑戦できる人や、
倒れても立ち上がれる人は、
最初から何かを持っている、私とは違う人たち。

そう思っていました。

でも、noteを始めて、ほんの少しだけ変わりました。

5月に初めて、noteの企画に参加しました。

不安はありました、
きっとうまくいかない、迷惑をかけるかもしれない。

いつもの私なら、そう考えて何もしなかったと思います。

でも、その時の私は、ちいさく一歩だけ、踏み出しました。

ありがたいことに、たくさんの反応をいただきました。
それは企画そのものが、素晴らしかったのが、いちばんの理由だと思います。

参加した方々は、すごい人たちばかりで、
比べてしまえば、自分は全然ダメだなと思いました。

それでも、少し不思議な感覚がありました。
「恥ずかしい」
「みっともない」
いつも日常で感じてきた、そんな気持ちにはならなかったのです。

挑戦したこと、少しでも企画を盛り上げれたこと、
それがうれしかったのです。

その時、はじめて気づきました。

私の中には、まだ知らない私がいる。

ピカソの絵画で、キュビズムという表現があります。

ひとつのものを、ひとつの方向からだけ見るのではなく、いくつもの角度から見て描く。

最初は不思議な絵だと思っていました。

どうして顔がこんな形になるのだろう、
どうしてひとつの形に見えないのだろう。

でも今なら、少しわかる気がします。

人も同じなのかもしれません。

家にいる私、
会社にいる私、
noteを書いている私。

どれも同じ私なのに、まるで別人のように感じます。

家では、だらだらと好きなことをしている、自由な私がいる、
会社では、不安を抱えながら、無理して頑張ろうとする私がいる、
そしてnoteには、少し前のめりになって、挑戦する私がいる。

もどかしいことに、これらの私は、上手く繋がっていません。

noteでは一歩踏み出せるのに、現実では怖くなります。

でも、以前のように、ネガティブな私だけが、本当の私だとは思わなくなりました。

臆病な私も、無理して頑張る私も、前のめりな私も。
全部、私なのだと思います。

ピカソの絵に、ひとつだけの正しい顔がないように。
私にも、ひとつだけの姿なんてないのかもしれません。

そして、まだ見えていない角度の自分が、これから現れるかもしれません。

その時は、知らなかった自分との出会いを、怖がらずに、楽しんでみたいと思います。


22.狂気(顔のない問いさま)

私は祖母と、ふたり暮らしをしています。

少し恥ずかしいのですが、我が家の食事は、すべて祖母が作ってくれます。
そして夕食には、必ず納豆が1パック並びます。

ある日、何気なく調べてみると、納豆1パックには何十億もの納豆菌が入っているそうです。

何十億。

祖母と私は毎日食べるので、1週間で何百億菌、1年なら何兆菌。
こうして数字にすると、もはや狂気です。

だからでしょうか。

祖母は70代になった今でも、肌につやがあり、髪も年齢のわりに元気で、「本当に70代?」と思うことがあります。

もちろん、納豆だけのおかげではありません。
祖母は週に3回ジムへ通い、土日は私とウォーキングをして、月に1度は山岳サークルの仲間と、山を登ります。

納豆も、運動も、毎日の積みかさねです。
ひとつひとつは特別ではありませんが、それを続けることは、誰にでもできることではありません。

今日も食卓には、納豆が並びます。
祖母も私も、いつものように、黙ってお箸で混ぜます。

何十億という数字は、もう数えていません。

数え切れないほど続いた習慣は、いつの間にか「狂気」ではなく「日常」になっていました。


23.あの人に会いたい(碧乃さくらさま)

私は今働いている会社に入社する前、実習を受けました。

でも、実習が決まったとき、うれしいよりも、不安の方が大きかったです。

私は昔から、人と話すことが苦手でした。

病気になってからは、誰かと話す機会がほとんどなくなって、
もともと苦手だった会話は、もっと難しく感じるようになっていました。

「ちゃんとできるかな」
「迷惑かけるんだろうな」

そんなことばかり考えていました。

そんな私に仕事を教えてくれたのが、あの人でした。

実習最初の日、会社の偉い方から、黒髪ショートの女性を、実習の指導役だと紹介されました。
彼女は私にこんな話をしてくれました。

「わからないことがあったら、私に何でも聞いてください」

その一言で、「困ったらこの人に聞けばいいんだ」と思えて、少しだけ安心しました。

そして、もうひとつ教えてくれたことがあります。

「私は耳がほとんど聞こえないので、筆談だと助かります」

そして、私の使うデスクにはホワイトボードとペンが置いてありました。

筆談なんてしたことがなくて、最初は戸惑いました。

でも、ふと思いました。
私はその頃、病院の診察でも伝えたいことを紙に書いて、それを読み上げていました。

それと同じように、書けばいいのかな。

わからないことがあるときは、声をかける代わりに、肩をトントンとたたきます。
最初は、初対面の人に触れることも緊張しました。

でも、実習に必死で、そんなことを考える余裕がなくて、
私はわからないことがあれば、ホワイトボードに質問を書いて、
肩をトントンとたたきました。

すると、その人はいつも笑顔で、
紙に書いたマニュアルを指さしながら、とても丁寧に教えてくれました。

実習は短い期間でしたが、とても疲れました。

でも最後の日、会社の偉い方に個室に呼ばれて、こう言われました。

「指導役から、わからないことは、ちゃんと質問してくれるから安心できたと聞いています」

私はただ、不安で必死なだけでした。
でも、その人は私の「できないこと」ではなく、
「わからないことを聞こうとすること」を見てくれていました。

この後どうなるかわからないけれど、もしここに入社できたら、この人に教えてもらいたいと思いました。

でも、私が入社するタイミングで、その人は退職してしまっていました。

理由はわかりません。

結局、お礼を伝えることも、また教えてもらうことも、できませんでした。

今は、出社しても一人で仕事を完結できるようになっています。

あの頃は、わからないことばかりで、何度も質問しました。
そのたびに、いやな顔ひとつせず、笑顔で教えてくれた人がいたから、
今の私がいます。

もし、あの人にもう一度会えるなら。
私はきっと緊張して、うまく話せないと思うから、
ホワイトボードに書いて伝えたい。

ありがとう。
今、私はなんとか一人で仕事ができています。


24.自分を認めてあげること(Takanashi(たかなし)さま)

私は何か失敗をすると、そのことを何度も思い返してしまいます。

何もできなかった日は、「今日も何もできなかった」と、自分を責めてしまいます。

「自分を好きになろう」
「ありのままの自分を受け入れよう」

そんな言葉を聞くのですが、私には少し遠いものに感じています。

きっと私は自分のことを褒めるのが苦手で、責めることの方がずっと楽なのかもしれません。

そんな私が、毎晩やっていることがあります。

それは、ホットミルクを飲むこと。

きっかけは、眠れない日が続いたからでした。

「ホットミルクを飲むと眠りやすくなる」

そんな話を聞いて、試してみることにしました。

正直、効果があるとは思っていませんでした。
でも、初めて飲んだ日は、気温が低かったのもあって、
体が温まって、お薬が体に広がったような気がして、
いつもより少しだけ、眠れた気がしました。

そこからは、毎日ホットミルクを飲むようになりました。
大きな効果はありません、眠れる日も、眠れない日もあります。

眠れない夜は、時計ばかり見てしまいます。
時間は止まることなく流れていて、日付が変わっても、
失敗や後悔は、途切れることなく続いていきます。

でも、ホットミルクを飲むようになって、少しだけ変わりました。

1日の終わりは0時ではなくて、ホットミルクを飲むとき。
マグカップを手に持って「今日はここまで」

そうやって、1日に線を引ける気がしました。

それでも、失敗した日は落ち込みますし、
何もできなかった日は、やっぱり自分を責めてしまいます。

でも、頑張れなかった日も、何もできなかった日も、
終わらせることはできます。

「それでも、私は1日を終えたんだ」

そうやって、自分を少しだけ認めてあげることができます。

今夜も私は、気温が高くても、温かいホットミルクを飲みます。

今日という1日を、終わらせるために。


25.営業マンとオセロ(営業fafa | note業界No.1営業マンさま)

私は、あまり競争が好きではありません。
誰かと競争しても勝てないですし、集団では足を引っ張ってしまうことが、ほとんどだからです。

それなのに、何故かゲームだけは負けず嫌いです。

学生の頃、私はリバーシのアプリに夢中になっていました。

どうすれば勝てるのか調べて、定石を覚えて、それなりに真剣に取り組んでいました。

休職中、通院している病院のデイケアで、オセロをする機会がありました。

オセロは、多くの人が一度は遊んだことがあります。
でも、真剣に勉強したことがある人は、少ないと思います。

ほとんどの人は「角を取ればいい」くらいの知識です。
私はその相手に、時間をかけて覚えた定石で、大人気なく何度も勝っていました。

その頃私は、就職活動を、控えていました。
ふと思ったのです。

「私は営業マンにはなれないな」

営業が上手な人なら、きっと相手に合わせます。
少し手加減をして、相手にも「楽しかった」と思ってもらう。
勝つことより、相手の気持ちをたいせつにできる人です。

でも私は、それができませんでした。

手を抜いて負けるのはいやです。
それに、自分より強い相手と対戦した時、手を抜かれるのが悔しいと思いました。

昔から、人と話すのは得意ではありません。
だから営業には向いていないとは、ずっと思っていました。
デイケアのオセロで、それを再確認するとは思いませんでした。

でも、同時に気づいたこともあります。

私は、人に合わせることは苦手です。

その代わり、好きなことなら、調べて、考えて、集中して、本気になれます。

だから今日も、不器用なまま。
自分の好きなものだけは、本気で向き合っていきたいです。


26.猫とアイドル(るこのみらいさま)

私は9歳のとき、二次元の男性アイドルに恋をしました。

どうして好きになったのかは、当時の私も、そして今でもわかりません。

見た目が好きなタイプというわけではないですし、何故彼だったのか、少し不思議です。

理由は説明できないのに、画面にメンバーが全員うつっていても、気づけば私の目はいつも一ノ瀬トキヤくんを追っていました。

それから5年。

当時中学生になっていた私は、トキヤくんが好きなままでしたが、
あの頃のような、毎日彼のことを考えて、切なくなるような、
強い気持ちは、薄れていました。

そんな私の前に、とある情報が届きました。

この作品のキャラクターを、
猫として表現した「PRINCE CAT」という企画。

想像してみて下さい。

「好きなアイドルが猫になる」

私は、
「公式がとんでもないものを出してきた」
と驚きました。

気づけば、また心をつかまれていました。

「猫なのに、ちゃんとトキヤくんだ」

色だけなのかもしれません、だって猫なのだから。
それでも私は貴重なお小遣いを使って、買ってしまいました。

そのとき初めて気づきました。

誰かを好きになる理由を、説明できないように、
その人らしさも、きっと説明できない。

だから、姿が人から猫に変わっても、
「らしさ」はちゃんと残っていたのかもしれません。

私はあの日、猫になった推しを見ながら、
好きという気持ちの不思議さを、もう一度教えてもらったのでした。


27.読書(カナミン|AIと迷いながら、進む人さま)

私は家で本を読みません。
正確に言うと、読もうとしても、続かないのです。

本を開いても、気がつけばスマホを触っていたり、
別のことを始めていたりします。

ところが、図書館だと少し違います。

私は勉強になる本や、エッセイを読むのですが、
驚くほど集中できるのです。

家と図書館、読んでいる本は、同じはずなのに、不思議です。

図書館の本は、読みたいと思っても、すぐには借りられないことがあります。
誰かが借りていて、予約をして待つことも珍しくありません。
そして、ようやく順番が回ってきても、借りられる期間は決まっています。

だからでしょうか。
ページをめくる手が、少しだけ丁寧になります。
「あとで読めばいい」ではなく、「今のうちに読もう」と思えるのです。

もしこれが自分の本だったら、
本棚に置いたまま「いつか読む本」になっていたかもしれません。

本の内容は同じでも、読む場所や、手元に置ける時間が変わるだけで、本との向き合い方まで変わります。

私は、そのことを図書館で知りました。

だから今は、本を読むために図書館へ向かいます。

家でも図書館でも、本の内容は変わりません。
変わるのは、本を読んでいる私の方です。


28.町の小さな居酒屋(はるねずみ|note副業0→1応援さま)

仕事を終えたあと、帰りに少し寄り道をすることがあります。

会社の近くには繁華街があり、そこには居酒屋さんがたくさんあります。

居酒屋といえば夜の明かりを思い浮かべますが、
この町には、お昼から暖簾を出しているお店が多いです。

まだ陽が高い時間なのに、木の引き戸の向こうから話し声が聞こえてきたり、いい香りがしてきたりする。

私はお酒が飲めません。

だから、居酒屋の暖簾をくぐることは、ほとんどありません。
それでも、気になるお店はあります。

少し色あせた看板、
長い年月を過ごしてきた木の外壁、
決して目立つわけではありませんが、そこだけ時間の流れが少しゆっくりな気がする、小さなお店です。

前を通るたび、私は少し想像をします。

店主さんが朝から時間をかけて仕込んだ、煮物や焼き魚があって、
それを楽しみに通う常連さんがいる。

「この店、おいしいらしいよ」

そんな噂を聞いて、少し緊張しながら暖簾をくぐる人もいる。

初めてのお客さんも、いつものお客さんも、同じ料理を前にして、自然と笑顔になっている。

もちろん、これは私の想像です。

本当は、まったく違うお店なのかもしれません。

扉を開ければ、答え合わせはできます。

仕事を終えて、いつもの居酒屋に向かい、
暖簾をくぐって、店主のおすすめ日替わり料理を食べながら、
一人でお酒を飲んで、仕事を終えた自分をねぎらう。

そんなことに憧れたりします。

次にまた寄り道をするときも、繁華街をとおります。
町の小さな居酒屋の前を、ゆっくり歩くために。


29.バーテンダー(向日葵じまにゃん🌻さま)

ネットを見ていますと、ときどき「〇〇×バー」という言葉を見かけます。

読書バー、シーシャバー、発達バーまで、何かのテーマを掲げたお店です。
それも面白そうなのですが、私が気になるのは、そういう凝った店ではありません。

いわゆる王道のバーです。

照明は少し暗く、カウンターは使い込まれた艶のある木で、音楽は控えめ。
棚にはたくさんのお酒が並び、白いシャツと黒いベスト、蝶ネクタイを着けた寡黙なおじさまバーテンダーか、大人のお姉さんバーテンダーが、カウンターに立っています。

私は酒を飲みません。
なので、こういう店には縁がありません。
だからこそ、少し憧れています。

もし、私がバーに通うのなら、少し想像してみました。

仕事で何か失敗したわけでも、いやなことを言われたわけでもありません。
ただ、今日はまっすぐ家に帰りたくない、そういう日があります

駅から少し歩いた裏通りに、小さな看板が出ています。
いつもは素通りしていた店です。
でも今日は、扉を開けるのです。

「いらっしゃいませ」

威勢がいいわけではなく、落ち着いた声。
私はカウンターの端に座ります。

「おすすめいただいてもいいでしょうか」

バーテンダーさんは、初めての私に、
どこでこの店を知ったのかとか、なぜここに来たのかとか、そういうことは聞いてきません。
でも、グラスを置くとき、ひとことだけ、

「今日もお疲れさまでした」

そう言われて、私は肩の力がすこし抜けます。

おすすめが、そのまま気に入ったら、次からは自分で注文するようになります。
そのうち「いつもの」なんて言ったり。

でも、何か心にかかることがあった日には、また、

「おすすめをいただけますか」

と言います。
その一杯は、あとになって思い出になります。
一年経った同じ季節に、「去年の今頃に、あんなことがあったな」と、思い出しながら、そのお酒を飲むのです。

私は毎晩通う常連には、なりません。
もちろん自ら「常連です」なんて言ったりもしません。
たまに現れて、なるべく端の席に座ります。

でもちょっとだけ、私は自分では常連だと思っていないのですが、
たまにしか顔を出さないお客さんは、私を勝手に「常連」だと思っている。
それくらいの距離感が、心地よさそうです。

私は話すのが苦手なので、特に会話はしません。
お酒が出てきたときに、
「ありがとうございます」

帰るときに、
「ごちそうさまでした」

それの一言だけです。

こうして妄想していますと、私はお酒を飲む場所に、憧れているわけではなくて、
いつもと少し違う私のことを、知ってくれている人がいる場所に、憧れているのかもしれません。

バーに本当に通う日が来るかは、わかりません。
でも、少しだけ寄り道ができる場所、
会社の私でも、家の私でもない、別の私でいられる場所。

そんな場所が、見つかると、もう少しだけ、
お仕事を頑張れるかもしれません。


30.どんぐり飴(イロドリの詩/情緒ジェットコースターのリハビリ看護師さま)

小学生の頃、家の近くに住んでいる同級生の友達がいました。

学校から一緒に帰ったり、公園で遊んだり、お互いの家を行き来したり。

近所で同い年で女の子同士、いつも近くにいる友達でした。

ある夏の日に、一緒に近くの夏祭りへ行きました。

私は、夏祭りに行くといつも同じものを買っていました。

ベビーカステラ、玉子たこせん、ミルクせんべい。

子どもの頃の私にとって、この3つが夏祭りの楽しみでした。

でも、その友達は、生まれつき食事制限が必要な病気があり、食べられるものが限られていました。

私の定番だったものは、どれも一緒には食べられません。

普段から友達とそのお母さんは、
「友達の前で食べたいものを我慢しなくていい」と言ってくれていました。
実際に一緒に何か食べるときは、別の物を食べていました。

でも、夏祭りの日だけは、一緒のものを食べたいと思いました。

私は友達にそれを伝えて、
その日は、いつもなら選ばない、きゅうりの一本漬けや、どんぐり飴を買いました。

私がまだ小さかったのもありますが、どんぐり飴は、とても大きな飴でした。
一緒に買って、口に入れるとなかなかなくならなくて、次の屋台が気になっても、口の中にはまだ飴が残っています。

だから私たちは、ずっと飴をなめながら、何も買わずに一緒に歩いていました。

帰り際、友達が言いました。

「最後にミルクせんべい食べよう」

食べられないと聞いていた私は、驚きました。

友達はお店の人に言いました。

「私はミルクなしで、その分この子にミルク多めで」

ミルクのついていないミルクせんべいを食べる友達と、ミルクたっぷりのミルクせんべいを、手をべたべたにしながら食べる私。

きゅうりの一本漬けも、どんぐり飴も、ミルクたっぷりのミルクせんべいも、普段は食べることがなくて、とても新鮮で、この時間が何だかとてもうれしかったのを覚えています。

友達と行かなければ、食べなかったもの。
一緒だったから、見つけられた楽しみがありました。

あの日のどんぐり飴は、少しだけ長く口の中に残る、特別な夏の味でした。


31.昔の自分に、ひとつだけ言い訳をするなら(ちんぱん🐒会社しかない状態を減らす45歳さま)

小学生の頃の我が家は、あまり穏やかではありませんでした。

母と兄は、毎日のように言い合いをしていました。
母には母の事情があり、兄も反抗期でしたので、特別な家庭だったわけではありません。

壁越しに聞こえる怒鳴り声は、いつしか日常になっていました。

そんなとき私は、何もしませんでした。
止めに入ることも、泣くことも、誰かに助けを求めることもしませんでした。

まるで何も起きてないかのように、自分の部屋へ行き、アニメを見たり、ゲームをしたりしていました。

その時のことを振り返ると、いつも「逃げていた」と考えてしまいます。

家族なのに、何もしなかった。
もっと何かできたんじゃないか。

そんなふうに、ときどき思い出しては、自分を責めていました。

でも大人になった今、こう思うようになりました。

もし今の私が、記憶も知識も持ったまま、当時のあの家に戻れたらどうするだろう。

答えはすぐに出ます。

私は、やっぱり自分の部屋へ行きます。
アニメを流して、ゲームの電源を入れて、その時間を楽しむでしょう。

大人になった今でも、あの言い合いを止められるとは思えません。
だから、小学生だった私にできることは、ほとんどないのです。

だから、あの頃の私は逃げていたわけではありません。
あの子は、無関心だったわけでも、冷たかったわけでもありません。

ただ、そのとき選べる唯一の方法で、毎日をやり過ごしていただけでした。

昔の自分に、ひとつだけ言い訳をするなら。

「あのときは、そうするしかなかった」

今の私は、その一言を、ようやく素直に伝えられる気がします。

そして、もうひとつ、伝えたいです。

ありがとう。
あなたが選んだ部屋での時間は、大人になった今でも、心の支えになっています。


32.夏の風物詩と言えば…(ぱぴさんさま)

夏になると、お休みの日のお昼ごはんは、そうめんやざるそば、ざるうどん、冷やし中華になります。

麺そのものは、近所のスーパーで買った、ごく普通のものです。

けれど、祖母が茹でて、竹スや竹ザルに盛りつけると、それだけで夏らしい一皿になります。

冷たい麺つゆに、祖母が用意してくれた、薬味をたっぷり入れ、つるつると麺をすする。

その最初のひと口で、「ああ、夏が来たなぁ」と感じるのです。

昔から冷たい麺は食べていました。

でも、当時の私にとっては、食欲の落ちる、暑い夏を乗り切るための、食事でした。

祖母と暮らし始めてから、少しだけ見え方が変わりました。

竹スや竹ザルのような、昔から日本の食卓で使われてきた道具が、並ぶようになり、その上に盛られた冷たい麺を眺めているだけで、夏を味わっている気持ちになります。

同じ麺でも、ただお腹を満たす食事ではなく、夏だからこそ楽しめる一皿になりました。

季節を感じるものは、特別なものだけではないのかもしれません。

毎年変わらず食卓に並ぶものや、昔から受け継がれてきた道具が、「今年も夏が来たね」と、教えてくれている。

それが私にとっての、夏の風物詩です。


33.漫画から学んだこと(ナオユキ|物語と知識のコンシェルジュさま)

「一歩踏み出す勇気」

そんな言葉を、私は何度も聞いてきました。

でも、私が一歩踏み出すときにあるのは、勇気ではありません。

不安や怖さです。

「失敗したらどうしよう」
「迷惑をかけたらいやだな」

そんなことばかり考えて、何もできなくなることがあります。

でも私は、「勇気を出そう」と思っても、
なかなか出てきてくれません。

不安なものは、不安ですし、怖いものは、怖いのです。

そんな私が、何度も読み返す、とてもたいせつな漫画があります。

「鋼の錬金術師」です。

第1話の冒頭に、こんな言葉があります。

「痛みの伴わない教訓には意義がない」
「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」

初めて読んだときは、まだ子どもで、
主人公の兄弟ふたりを表現する、
ただの格好いい言葉だと思っていました。

子どものころ「あんなに怖がる必要はなかったな」と思うことが、たくさんありました。
不安で怖かったけど、特に問題はなかった。

でも大人になってからは違います。
不安で怖くて、何もしないと、本当に前に進みません。

怖いから挑戦しない、
傷つきたくないから何もしない。

それだと、何も失わない代わりに、
何も得られなくなりました。

今でも不安になります、
何かを始めるのは怖いです。

そのとき私の背中を押してくれるのは、勇気ではなく、
このままでは何も進まないという、不安や怖さです。

そして「鋼の錬金術師」は、最後にあの言葉の続きを教えてくれます。

「しかしそれを乗り越え自分のものにした時・・・・・・・・・」
「人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう」

私はまだ、そんな強い心は持っていません。

それでも、不安を抱えながら、痛みを伴う一歩を踏み出したあとで、無駄ではなかったと思えることが、少しずつ増えています。

不安も、怖さも、失敗も、遠回りも。

いつか振り返ったとき、私の心はどうなっているのかな。
ほんの少しだけでもいいから、強くなっているといいなと思います。


34.世界で戦えるキャラクターとは?(かえるこ | Kaerukoさま)

私は10年以上、ポケットモンスターの大ファンです。

ポケモンは、今世界170か国で親しまれています。
国が違えば、文化も価値観も違います。
それでも同じキャラクターが世界中で愛されているという事実に、私は一人のファンとして、とても誇らしい気持ちになります。

きっと、それは簡単なことではありません。

国や地域に合わせて設定や表現を見直したり、ときには姿を変えるポケモンが登場したり。
世界で愛され続けるためには、「変わらないこと」だけでなく、「変わる柔軟さ」も必要なのかもしれません。

それすら突破するポケモンがいます。

ピカチュウです。

「ピカチュウ」という名前は海外でもそのまま使われ、アニメでは「ピカピカ」「ピカチュウ」としか話しません。
それでも、うれしいのか、悲しいのか、怒っているのかは、見ているだけで伝わってきます。
言葉の壁を越えて感情を届けることが、できています。

私自身、小学生の頃からポケモンが好きで、大人になった今でも遊んでいます。
オンラインで海外の人とポケモン交換をしたこともありますが、そこでは国籍や言葉よりも、「ポケモンが好き」という気持ちが先にありました。

グローバルな世界というだけじゃなく、私の中にある世界。

ポケモンは子どもの頃から、大人になった今でも、辛いことや悲しいことがあったとき、ずっと仲間として、そばにいてくれました。

世界で戦えるキャラクターとは、海外で人気のキャラクターという意味だけではないのかもしれません。

国境を越え、言葉を越え、そして年齢を越えて、一人ひとりの心の中にも居場所をつくれる存在。

私にとってポケモンは、そんな「世界」を持ったキャラクターです。


35.ひと夏の笑神様(ういまるさま)

中学2年の夏休み。

同じ学校の友達4人で、当時流行っていた、台湾かき氷のお店へ行きました。

その日は夏休みということもあって、お店の前には長い行列ができていました。

「席を取る組」と「並ぶ組」に分かれることになり、私は友達の一人と一緒に列へ並びました。

その友達は、バスケットボール部のキャプテン、
背が高くて、美人で、男女問わず人気がありました。

夏休み中も毎日のように部活をしていたようで、真っ黒に日焼けし、髪もばっさりショートカットになっていました。

順番が来て、店員さんからかき氷を受け取ろうとした、そのとき。

「デート、楽しんでくださいね。」

一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。

私はそんな言葉を言われたのは初めてで、顔だけでなく耳まで熱くなりました。

そのまま席へ戻ると、友達が、

「せなさん、顔も耳も真っ赤だけど、どうしたの?」

私は何と説明すればいいのか分からず、口を開けませんでした。
すると、一緒に並んでいた友達が笑いながら言いました。

「私が男に間違われたんだ、恥ずかしいのは私だよ」

その一言で、テーブルは大爆笑。

さっきまで一人で抱えていた恥ずかしさも、一瞬で笑い話になってしまいました。

今振り返ると、中学生の女の子なら、男の子に間違われるのは、いやだったと思います。
それなのに、何でもないことのように笑って、その場のみんなまで笑顔にする。
人気があるのは納得です。

今のところ「デート、楽しんでくださいね」と言われたのは、
あの日が最初で最後です。


36.お祭りで、つながる心(ルルトアヤコさま)

通知欄に、見たことのない数の数字が表示されていました。

ドキドキしながら開いてみると、そこにはたくさんの人からの、コメントやスキの、お知らせが並んでいました。

「こんなにたくさんの人が、私の記事を読みに来てくれたんだ」

とてもうれしくて、少し戸惑いました。
お祭りが始まる前の私は、こんな想像していなかったからです。

今、私はnoteの夏祭りに参加しています。
noteを始めて4ヶ月目、企画への参加は2回目です。

準備をしながら、楽しみな気持ちがある一方で、不安もありました。

今回のお祭りは、コメントを通して交流することで成り立つ企画でした。

でも、コメントするのは、勇気がいることです。

フォロワーさんは、知らない企画の記事には、コメントしにくいかもしれない。
企画に参加している方も、初めて読む相手の記事にコメントするのは、迷うかもしれない。

そんなことばかり考えていました。

「もし誰も来なかったらどうしよう」
「閑古鳥とふたりで、ずっとお留守番だったら嫌だな」

ネガティブな私は、そんな心配をしながら、夏祭り記事を投稿しました。

けれど、始まってみると、想像とは違っていました。

たくさんの方が、私の記事を読みに来てくださいました。
いつも読んでくださっている方も、初めましての方も。

私も、夏祭りの記事を読みに行きました。
記事を読む、コメントをする、返信をいただく。

そのやり取りの中で、少しずつ画面の向こうにいる人の存在が、近く感じられるようになりました。

次の日には、コメントへの返信が届いていました。
ひとつひとつ、いただいたコメントを読み返します。
とてもあたたかくて、やさしいコメントに、スキをします。

最初は戸惑っていたはずなのに、いつの間にか、その時間が楽しくなっていました。


思えば、noteを始める前の私は、家と会社を往復する毎日で、
会社で、朝と帰りに挨拶をする以外は、黙々と仕事をして、
仕事が終われば、どこにも寄らずに帰り、
家で祖母と話す、そんな日常です。

もちろん、その生活が嫌だったわけではありません。
でも、ふと思うことがありました。

「もっと誰かとつながりたい」

そんな気持ちがあって、私はnoteを始めました。

最初は、自分の言葉を置いておく場所でした。
殆ど読んでいただけない日も、コメントがない日もありました。
続けていると、ありがたいことに、少しずつ読んでくれる人が増えて、コメントをいただけるようになって・・・

気づけばnoteは、私にとって大切な居場所になっていました。

夏祭りでは、たくさんの方と新しくつながることができました。
今まで読んだことのなかった方の、記事を読むこともできました。

そして、そこにある言葉のひとつひとつが、とてもあたたかいものでした。

画面の向こうには、誰かがいます。

住んでいる場所も、年齢も、歩んできた人生も違います。

それでも、ひとつの文章をきっかけに、気持ちを届け合うことができる。
あらためて、そのことが、私にはとてもうれしく感じました。

夏祭りは、もう少しで終わります。

でも、この期間だけの特別な出来事で、終わるわけではないと思っています。

出会った人とのつながりや、いただいた言葉は、これからも私の中に残っていきます。

今でも、コメントをする時には少し勇気がいります。

「こんなことを書いて大丈夫かな」

そう迷うこともあります。

それでも、これからは心が動いた時、自分の素直な言葉を置いていきたいと思います。

誰かの文章に出会って、誰かと心が近づく、
そんなつながりを、たいせつにしていきたいです。


37.風(空波DX100%さま)

暑い夏の通勤は、それだけで体力を使います。

私が働くオフィス街は、アスファルトやコンクリートに囲まれていまして、
朝から照り返しが強く、会社に着く頃には、かなり疲れています。

仕事を終えて帰る時間は14時なので、さらに暑くなっています。

会社を出て歩き始めると、いつも背中からビル風が吹いてきます。
熱い空気の中を、吹き抜けるビル風が、汗ばんだ私に、少しの清涼感を届けてくれます。

仕事終わりの私は、足取りが少し重くなっています。
それなのに、その風を受けると、少しだけ歩くのが楽になります。

いつものビル風は、私の背中に手を添えて、やさしく押してくれます。

その風に身を任せながら、最寄り駅までの道を、
「今日も頑張ったね」と、歩きます。

私たちを元気にしてくれるものは、
大きな出来事ばかりではないのかもしれません。
誰かの言葉、自分の気持ち、自然の中にあるもの。

たまに強すぎて、髪の毛がボサボサになることもあるけれど、
ビル風は、仕事に疲れた私の背中を、少しだけ押してくれるのです。


38.夏の祖母との暮らし(Maru(まる)|87歳認知症の祖母とのゆっくりな暮らしさま)

私と祖母は、団地の一室で、ふたり暮らしをしています。

ふたりで暮らすには少し広くて、
祖母の部屋、共用の部屋、台所、私の部屋に分かれています。

祖母の部屋と私の部屋の間には、共用の部屋と台所があります。
普段は、ふすまを閉めています。

私は、静かな場所が好きです。

部屋を閉め切って、静かな場所で、ひとりの時間を過ごしていると、とても落ち着きます。

でも、夏になると少し変わります。

台所にはエアコンがないので、ふすまを閉めていると、とても暑いのです。だから夏の間だけ、ふすまを開けます。
祖母の部屋のエアコンと、私の部屋のエアコン。
ふたつのエアコンで、台所へ、冷たい空気を送るのです。

いつもは別々の部屋で過ごしている祖母と私が、夏の間だけ、大きなひとつの部屋で暮らしているみたいになります。

祖母には祖母の時間があって、私には私の時間があります。

お互いに自分の時間をたいせつにしていて、
家族だけれど、過度に干渉しない。
それは、私にとってはちょうどいい距離感です。

でも今は、夜中にふと寂しくなったとき。
開いたふすまの向こうには、眠っている祖母の気配があります。
その気配は、寂しさを少しやわらげてくれます。

ふすま2枚分の距離だけれど、その向こうに祖母がいることが、
寂しがり屋のひとり好きの私には、なんだか安心するのです。


39.やらかしの夏(ふらつき母ちゃん│脊髄小脳変性症ですが何か⁉️さま)

私は、障害者枠のパートで働いています。

私の直属の上司は、耳が聞こえません。
そのため、私たちは筆談で会話をしています。

話すことが苦手な私にとって、筆談で話せることは、
とてもありがたいことでした。

ただ、どうしても会話には時間がかかってしまいます。

私の部署には、聴覚障害のある社員が何人かいて、いつも手話で話しています。
そして、同じ日に入社した、いわゆる同期にも聴覚障害のある方がいます。

そんな環境で働いていると、なんとなく、
「手話を覚えたいな」
と思うようになりました。

最初に覚えた手話は、一番使うであろう「ありがとう」です。

ある日、上司にお礼を伝えるとき、
私は思い切って手話で「ありがとうございます」と伝えてみました。
すると上司は、手話で「いえいえ」と返してくれました。

たった一往復。
それでも私は、上司と手話で話せたことが、とてもうれしかったのです。

その後、手話の本を買いました。
ネットで手話動画も見て、毎日少しずつ勉強するようになりました。

とはいっても、上司と話すのは、どうしても仕事の話が中心です。
間違いなく伝えなければならないので、結局は筆談で話します。

そんな夏のある日、広報誌で「手話体験」というイベントを見つけました。
近所の図書館で、一日だけ手話を体験できるイベントです。

私は申し込み、その日を迎えました。
夏休み中の平日ということもあり、参加者は高齢者と子どもが多く、私は少し浮いていました。

講師として来ていたのは、聴覚障害の当事者でもある協会の方でした。
丁寧に手話を教えていただき、最後には、ひとりひとりが、ボランティアの方と手話で話す時間がありました。

目の前には紙が置かれ、指文字の表もありました。
でも、私が使ったことがある手話は「ありがとう」くらいです。
結局は、ほとんど筆談で話しました。

一日だけで手話が上達するはずもありません。

それでも最後に、「ありがとう」だけは手話で伝えようと思っていました。すると、相手の方が先に「ありがとう」の手話をしました。

私は、「ここだ」と思いました。

そして、上司に教えてもらった「いえいえ」の手話をしました。

すると、相手の方が大爆笑しました。
私は、何が起こっているのかわかりません。

後から知ったのですが、「いえいえ」の手話は、
上司の冗談だったそうです。

「家」の手話を2つ合わせて「いえいえ」なんて、しょーもない。

私は、初対面の人に、上司の使った冗談で返していたのです。

盛大なやらかしでした。

あまりに恥ずかしくなった私は、後日、上司に筆談で伝えました。
「前、いえいえを手話で使ったら、笑われました」
すると上司は、手話で「ごめん」と答えてくれました。

こうして私は、「ありがとう」と「ごめんなさい」の手話を覚えました。
「いえいえ」は、まだ忘れられません。


40.お豆腐(羅生門SKYさま)

我が家では、毎日のようにお豆腐が食卓に並びます。
お味噌汁の具になったり、煮物に入ったり、冬にはお鍋にも登場します。

夏になると、冷ややっこです。

お休みの日のお昼ごはんには、ざるそばやざるうどんと一緒に、冷ややっこが並びます。

祖母は少しこだわりがありまして、何でも日本のものを買います。
なので、お豆腐も必ず日本産のものを選んでいます。

祖母が選んだお豆腐は、とってもやわらかくて、なめらか。
大豆の味がしっかりしていて、風味もとても良い。

お醤油をかけなくても、そのままで十分おいしいお豆腐です。

冷たい麺と冷ややっこのまわりには、祖母がたくさんの薬味を用意してくれます。

小ねぎをのせたり、しょうがをのせたり、すりごまをかけたり、別の薬味を合わせたり。

同じお豆腐でも、薬味を変えるだけで、少しずつ風味が変わります。

暑い日に、冷たい麺をつるつる、ひんやりしたお豆腐を食べる。
次はどの薬味をのせようかと考えながら、またひと口。

そんな時間が、私の夏の楽しみになっています。

お豆腐は、食卓の主役ではないかもしれません。
けれど、祖母が選んだお豆腐と、祖母が用意してくれた薬味を囲んで食べるお昼ごはんは、私にとって夏のたいせつな日常です。

今年も夏が来て、冷たい麺と冷ややっこが、食卓に並びはじめました。

「いただきます」をしたら、最初にお豆腐をひと口食べる。

暑い夏は、こうしておいしいものを食べながら、乗り切っていきます。


41.夜空(もも │ 溺愛♥️BL本棚さま)

夜空を見上げても、星が見えない。

私の生まれ育った街では、それが当たり前でした。

小学生の頃、校外学習でプラネタリウムに行きました。
暗いドームの中に広がる、たくさんの星。
星座の説明を聞きながら、私はとても感動しました。

それでも、その映像は、どこか現実離れしたものだと感じました。

小学校高学年になり、野外活動がありました。
私は学校行事があまり好きではなかったので、
あまり、気乗りしていませんでした。

夜になり、キャンプファイヤーが始まりました。

燃え上がる炎をみんなで囲んでいましたが、私はどこか退屈で、
ぼんやりと座って空を見上げました。

そこには、満天の星空が広がっていました。

「プラネタリウムみたいだ」

あの日、初めて私は、アニメやネットの中にしかないと思っていた夜空を、自分の目で見たのです。

それから何年も経った去年の夏。

私は休みの日の午前中、祖母とふたりでウォーキングをしています。
けれど、真夏になると気温が高くて危険なので、ウォーキングはお休みです。

一度だけ、日が落ちて気温が少し下がった夜に、歩いてみたことがありました。

夜の公園は、想像していたよりずっと気味が悪くて、私は怖くなってしまいました。
祖母も同じように感じたらしく、私たちはなるべく明るい道を選び、駅のほうへ向かいました。

途中、歩道橋がありました。

そこで私たちは立ち止まり、ふたりで、夜空を見上げました。

星は、ほとんど見えませんでした。

「昔はもっと星が見えたんだけどね」

祖母が、少し寂しそうに言いました。

私は、あの日のことを思い出しました。

キャンプファイヤーの炎の向こうに広がっていた、満天の星空。
あの日の夜空と、祖母と見上げた夜空は、まるで違って見えました。

それ以来、夜に歩くことはありません。

それでも、ひとり退屈で見上げた夜空も、祖母とふたりで見上げた夜空も。
私にとっては、どちらも忘れられない夜空です。


42.心が震え上がる瞬間(あずなぶーる|元在仏10年🇨🇵コミュ力アップ術✨️さま)

私は、1日4時間、月曜日から金曜日まで、事務のパートで働いています。

朝、少し早めに出社して、
「おはようございます」
と挨拶をします。

ひとりで黙々と仕事をして、上司や先輩たちがまだお仕事をしている中、
「お先に失礼します、お疲れさまでした」
と言って、会社を出ます。

「帰ったら、アニメの続きを観ようかな、ゲームをしようかな」
そんなことを考えながら帰宅する。

そんな毎日を送っていました。

でも、今は少し違います。

仕事を終えて、駅で電車を待ちながらスマホを見る、
noteから届いた通知メール。

やさしくて、あたたかいコメント。
「読んだよ」と伝えてくれる「スキ」。

電車に乗ってから、もう一度コメントを読み返します。

「どう返信をしようかな」

仕事中に投稿されていた、フォローしている方の記事も読みます。

「どんなコメントを残そうかな」

私は、家を出てからほとんど誰とも話しません。
それはそれで楽なのですが、少し寂しくもあります。

noteの中にいる人たちは、
私を否定しないですし、責めたりもしません、私を不安にさせないのです。

私を否定して、責めて、不安にさせるのは、
いつだって私自身でした。

朝6時半に起きてから、8時間後。

やっとそこで、私の心が動き始めます。
あたたかくてやさしい言葉に触れていくと、
動き始めた私の心は、小さく震え、
これまで体感したことのない、高揚感に包まれます。

noteを始めてから、私はそれを毎日体験しています。

私は、生活を変えたわけではありません。

ただ、いつもの日常の中で、
思ったことをnoteという場所に置き始めただけです。

「私は、このままでいいのかな」

そんな漠然とした不安の中にあった日常が、
今は、当たり前ではないたいせつな日常になりました。

今日も、電車の中でスマホを見ます。

誰かの言葉を読んで、私も言葉を返す。

そんないつもの帰り道に、私は今日も心を動かしているのです。


43.皆と一緒に後片付けをしながら(ゆさま)

今日は、この屋台の最終日です。
そろそろ、後片づけの準備を、しなければなりません。

7月13日~23日までの夏祭り。

始まる前は、11日間という時間が、少し長いように感じていました。
でも、いざ始まってみると、あっという間でした。

はじめてコメントをいただいたとき、
仕事を終えてスマホを開いたら、
たくさんの通知が届いていたとき、
とてもうれしかったです。

この期間は、多くの方と関わることができました。

寂しがり屋のひとり好きの私にとって、この夏祭りは、
とても楽しくて、幸せな時間でした。

皆さんとは、noteでつながっています。
でも、日常はそれぞれ違います。

皆さんのnoteを見に行かせていただくと、
固定記事を屋台にしている人、
最新記事を屋台にしている人、
毎日投稿を続けて、屋台の後にもたくさんの記事がある人、
別の企画にも参加している人。

同じ夏祭りに参加していても、ひとりひとり違います。

そんな私たちが、少しの間だけ、同じ場所に集まって、
一緒に夏を楽しめました。

それが、私はとてもうれしかったです。

だからこそ、ちゃんと終わらせたいと思っています。

屋台をこのままにしていたら、初めて訪れてくれた人が、
迷ってしまうかもしれません。

だから、後片づけをします。

私だけではありません。
きっと、同じように屋台を、後片づけをする人たちがいます。
その人たちと一緒に、楽しかった夏祭りを、
きちんと終わらせたいと思います。

楽しかった分だけ、寂しさもあります。

でも、永遠なんてきっとなくて、
楽しい時間に終わりがあるのは、次の楽しい時間と出会うため。
そう思っています。

夏祭りは、今日で終わります。

でも、私たちのnoteは、明日も続いていきます。

夏祭りで出会えた皆さまへ。
楽しい時間を、本当にありがとうございました。


たいせつなメインスポンサーさま
43本、3.8万文字書かせていただきました。
とても楽しく、貴重な経験ができました。

この記事のいちばん最後

#じまこちゃ夏祭り

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