Love will keep us together

Love will keep us together
nothing else could tear us apart
and will never leave you
I'll always keep you with my heart

(愛が共にある限り、他に私たちを引き裂くものは何もない。そして私はあなたから離れることはない。いつもどんな時でも、心からあなたを守る)

1995年。大学受験というタイミングで阪神・淡路大震災に被災し浪人した僕は、東京の大学を受け直すという名目で実家のある神戸から逃れるように一人、上京した。

禍々しい地震の爪が深く食い込み、瓦礫の山と化した神戸に比べると、無傷の東京はまるで別世界のようだった。池袋にある予備校にも、東京暮らしにもだんだん慣れてきたある日のこと。

昼食後なぜだか、無性に煙草が吸いたくなった僕は喫煙所を探した。しかし当時、すでに世間に湧いていた嫌煙的な空気や予備校という場所柄もあって、校内には灰皿の一つも置かれていなかった。

途方に暮れた僕は、屋上に上がってみることを思いついた。非常口が施錠されていれば黙って引き返そう。このビルの建設以来、一度たりとも箒もモップの侵入も許してなさそうな汚れた非常階段をかけ登り、僕は非常口のドアノブに手をかけた。鍵はかかっていなかった。

ドアを開けた瞬間、立ちくらみするような初夏の光に包まれた。それと同時に、大音量で聴こえてきたのは音楽だった。──音楽?

それはヒットチャートを賑わせている邦楽とも、ハードロックやヘヴィメタルとも違う、それまで僕が聴いたことのない質感のものだった。ジャズっぽいというのか──。

まぶしさに顔をしかめながら音楽の鳴る方向を見遣ると、CDラジカセのそばで一人、寝そべりながら煙草をふかしている先客がいた。よくよく見ると女の子だった。

彼女は僕に気づくと、「あなたも吸いにきたの?灰皿はないけど空き缶はあるから、良かったら一緒にどーぞ」と言った。限りなく坊主頭に近いショートカットに、ちょっとだけ目のやり場に困る薄手のノースリーブ。

「私なんて立派に成人してるのに、煙草吸う場所もないなんて冗談じゃないわよね」

その一言だけで、彼女が少なくとも二浪はしていて、僕よりいくつか歳上であることは窺い知れた。それがナツとの出会いだった。

漢字で書くと「奈津」だけど、おばさんくさいからと本人が嫌がったのでここからは「ナツ」という表記で統一する。

返答に窮した僕は、「これなんて曲なの?洋楽みたいだけど」なんて間抜けなことを口走った。するとナツは即座に、「ジェイムズ・テイラー・カルテットの『Love will keep us together』っていうの。アシッド・ジャズよ」と答えた。

──アシッド・ジャズ?聞き慣れない響きだった。ナツはラジカセを止めてCDを取り出し、僕の前に掲げてみせた。照り返しでよく見えなかったけれど、目を凝らしてまじまじと見ると盤面には「ACID JAZZ」の文字が大書されていた。その時は思いもしなかったが──それは僕らを結びつけるキーワードとなった。

それから僕は、煙草が吸いたくなるたびに屋上にのぼるようになった。そこからは東京の全景が一望できた。どこかの国の軍隊に、絨毯爆撃されて焦土と化したみたいな僕の故郷とはまるで違う景色が広がっていた。

大体いつもナツが先にいて、ラジカセで音楽を聴きながら煙草を吸っていた。僕は神戸のことはおくびにも出さず、他愛もない世間話に徹した。そんなある日──。

「あなた、『完全自殺マニュアル』って読んだことある?」

なんの脈絡もなく、ナツは唐突に訊いてきた。

「去年か一昨年に出て、ベストセラーになった本だよね。読んだことはないけど題名だけは知ってるよ」

「自殺を奨励する内容だって物議をかもしてるけど、私は逆だと思うのよね。昔の武士が懐に短刀を忍ばせてたみたいに、自殺という選択肢も一応頭に入れておけば、人間というのは逆に強く生きられる。そういう論旨じゃないのかしら」

「へえ、今度買って読んでみるよ」

「一番勧められない死に方は電車に飛び込むことよ。たくさんの人に迷惑がかかるし、遺族はとんでもない賠償金を請求される。考えうる限り最悪ね。ここから飛び降りるのも、誰かを巻き添えにしてしまう可能性も考えると、ろくなもんじゃないわね」

ナツは不思議と楽しそうに話した。二の句が継げないでいると、

「本に書いてあった中で、一番良さそうなのは凍死ね。ほとんど苦痛を感じずに死ねるんだって。なんなら、だんだん気持ちよくなるくらい。人知れずどこかの雪山に行って凍え死ぬのがベストかもしれないわね」

と、さらにまくしたてた。その時は、ナツがなぜそんな話をするのか僕にはわからなかった。例によってCDラジカセからは、例の曲がおさめられたジェイムズ・テイラー・カルテットのアルバムが流れている。

「こんな暑い日は、もっと爆音で音楽聴きながらビールでも飲みたいな。クラブでも行くか。あなた、クラブは?」

またもやナツは話題を唐突に切り替えた。

「──えっ、クラブ?高校の時は帰宅部だったから……あっでも、中学では手品クラブにいたよ。クラブというか、学校の公認がなかったから同好会みたいなもんだけど……」

そう言うとナツは、くわえたばかりのヴァージニア・スリムをペッと吐き出して笑い転げた。

「アハハ、あなたの手品見てみたいわね。私が言ってるのは夜遊びの方のクラブ。よしわかった、お子ちゃまにクラブ通いはまだ早いから、お姉さんがもうちょっと健全なところに連れてってあげるわ」

その数日後、池袋丸井で待ち合わせた僕らは中にあるヴァージン・メガストアに行った。「アシッド・ジャズ・フェスティバル」と銘打った店内で流れる曲は、それっぽい音楽一色だった。

「CDを買うのにつきあわせただけ?」と訝しんでると、ナツは僕の腕を引っ張って、フロアの一角にあるカフェにいざなった。そこは屋号こそカフェだけど、ビールやワインやウイスキーの瓶がこれでもか、と並んでいてバーさながらだった。

「ここは都内で一番美味しいビールが飲める店なの」

ナツは不敵な笑みを浮かべて言った。隅の席に通された僕らはビールを注文し乾杯した。見回すと、他の客は外国人ばかりだった。

ビールは確かに美味かった。銘柄が何かはわからないがキリリと冷えて、どっしりとした麦の味がした。最上の技術で注がれているし、レコード店独特の空気や喧騒も一役買って、ほてった身体をこれ以上なく潤した。

モニターが映し出す映像もまた、アシッド・ジャズ系のミュージシャンばかりだった。今ならスマホでたちどころにアクセスできるが、当時の音楽好きの若者はタワレコやHMV、ヴァージンメガストアに足を運んでこのようなメディアに触れたのだ。

何曲か流れた後で、照明を落とした店内の暗がりの中でナツが軽く僕の腕を小突いた。

「そろそろかかるわよ」

なんだろう、と思ってると時空をすこしだけ歪ませるような、耳馴染みのイントロが流れだした。『Love will keep us together』だ。この曲の映像を見るのははじめてだった。ジェイムズ・テイラーがおんぼろのビルを見上げるシーンからはじまり、その屋上では黒人女性ボーカリストやバンドの面々が押されたら落ちそうなほどのスペースで、所狭しとゲリラライヴを敢行する。

ソウルフルな歌声、ベースやトランペットやハモンドオルガンとの官能的な絡み合い。映像つきの『Love will keep us together』は東京でも神戸でもない、ロンドンのどこかの街角に僕をいざなった。

「警官隊まで出動して、ビートルズの『ゲット・バック』セッションみたいだ」思わず口をついて出た。

「いいところに気づいたわね。一見時代もジャンルも違う音楽でも、どこかではつながっているの。オマージュというか……。軽く聴き流すのもいいけど、点と点を線でつないで、歴史の奥行きに思いを馳せるのが音楽を深く掘り下げるってことじゃないかしら」

何杯目かのビールを飲みながら、赤ら顔でナツはそう言った。僕とナツも、運命の糸というものがあるならか細い糸でつながっていた。あの日、屋上へ続く非常口が施錠されていたら僕らは出会うこともなかった。運命を分けるものはどれもこれも紙一重だ。では、あの震災で死んでしまった人たちは──友人知人、その家族、あまりに多くの人が死んだ。その中で僕が生き残った意味はなんなのか、誰が選り分けたのか──そんなことを考えた。

やがて店内はチークタイムとなった。白人も黒人もアジア系も、いろんな肌の色のいろんな国籍の人が入り乱れて踊り出した。ナツは僕の手を軽く取って、言った。

「踊らないの?」
「ぼ、僕は……」

考えてることを見透かされてる気がして、僕の動悸は高鳴りはじめた。数ヶ月前、僕は神戸で瓦礫に埋もれていたのだ。運良く救急隊が見つけてくれたから一命を取り留めたし、若いこともあって軽い怪我で済んだ。

それが今は東京で、半分幻のような空間にいる。人生ってなんて奇妙なものなんだろう。神戸では両親や妹がまだ、明日も知れない仮設住宅暮らしをしている。僕を上京させるために、無理をしたこともわかっている。それなのに、こんなところで酔っぱらいながら踊ってていいのか──そんな罪悪感が頭をよぎった。

「神戸のことを思い出しちゃった?」
「な、なんで僕が神戸から来たって知ってるの?」
「小耳にはさんだ程度だけどね。震災に遭われた方々には、私からも哀悼を捧げるわ。でもあなたが、遠慮して申し訳なさそうに生きていくのも違う気がするの。人は与えられた場所で、生きることを楽しむべき。私はそう思う」

救われたような気がして、僕は立ち尽くしたままはらはらと涙を流した。その日二度目の『Love will keep us together』がかかると、ナツは泣きべそをかいた僕の胸にひとしきり顔をうずめた後、「ガラにもないこと言っちゃったわね、アハハ」と笑った。

「かつてビートルズがそうだったように、いつか世界中がアシッド・ジャズに熱狂する日が来るわ。いや、もうそこまで来ているのよ」ジャミロクワイが一世を風靡する前年のことだった。

その夜、運命のシナリオの流れに沿うように僕はナツと寝た。カフェよりも暗い部屋の中で、ナツは裸の胸を押し当てながら僕にこう言った。

「私もひとつ、打ち明け話していいかな。あなたとはじめて会った日、実は自殺しようと思ってたの。大学には受からないし、その間ろくでもない男に引っかかるばかりで。親との関係は悪くなるばかりだし、生きててもしょうがないなって」

それは普段のナツからはにじみ出ないトーンの話だった。唐突に『完全自殺マニュアル』を持ち出したのは、そういうことだったのか。

「でもね、ただ飛び降りるんじゃなんだかつまらないじゃない。そこで私は神様と賭けをしたの」
「賭け?」
「そう。ラジカセでジェイムズ・テイラー・カルテットのアルバムを聴き通すまでに、屋上に誰も現れなければ死ぬ。でも、誰か現れたら神様の遣いだと思うことにする。君はまだ生きてていいんだと。あの時はあなたが天使に見えたの」

──まさかの告白に僕は胸を衝かれた。人は何をも為せなくても、ただ生きてるだけで、存在するだけで、誰かの希望になることもある。ナツが僕を救ったように、僕もまたナツを救っていたのだ。

一人屋上にいたナツと、瓦礫の下にいた僕もまた、どこかでつながっていて糸を手繰り寄せるように出会った。運命を司る管制塔があるならば、そこから天使たちはか細い糸を垂らしている。どんな形であれ、生きていれば糸をつかめるチャンスはある。生きてさえいれば──。

皮肉といえば皮肉だが、恋人同士になってからのナツと僕にはこれといって、特筆すべきことはない。僕らは世間の恋人たちがやることを一通りやって、愛し合い喧嘩もし、そして別れた。別れ際のナツのセリフだけがやけに心に残っている。

──さよなら、私の天使ちゃん。

ナツは次の受験にもすべて失敗し、予備校もやめてしまった。その後は風の噂で夜の仕事をしていたとも聞くが、詳しいことはわからない。僕はかろうじて引っかかった大学で四年間学び、故郷の神戸に帰って普通のサラリーマンになった。携帯やらインターネットが普及する以前に別れてしまった僕たちは、連絡を取り合うすべもない。アシッド・ジャズも世界的な潮流とはならず、今では音楽の一ジャンルにおさまってしまった。

だけど、どこでどんな形であっても、生きていてほしいと思う。『Love will keep us together』の歌詞とは裏腹に、運命的だったはずの僕らは結局運命に引き裂かれてしまったけれど。ナツの記憶はいまだに僕を守っているし、彼女にとってもまた、そうであってほしいと思うからだ。

愛という言葉は、いろんな人たちのいろんな想いを注ぐには不完全すぎる器だ。だから僕たちは愛に代わる象徴を何かに見いだそうとする。それが僕にとっては(ナツにとっても)『Love will keep us together』という曲なのだ。夢か幻のように過ぎた、若い季節の象徴。

あれから東日本大震災も能登地震もあった。三十年が経ち、世界には今なお禍々しい爪が食い込んでいる。耳を塞ぎたくなるようなニュースばかりでも、それでも僕たちは耳を澄まさなければならない。

羽根をもがれ天界から墜落した天使たちが、どこかの街の屋上で凍えながら肩寄せ合い、人目をはばかるように小声で歌う『Love will keep us together』に。

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