『やりすぎ都市伝説』誕生のきっかけと、千原ジュニアらレギュラー陣が「マンネリ化」を感じるも続く理由
2004年4月、テレビ東京の深夜で『やりにげコージー』という今田耕司・東野幸治MCの番組がスタートした。1年あまりで終了し、番組名を『やりすぎコージー』と変えた後はゴールデン進出を果たし、結果的には2011年9月まで続いた。
前番組は、『ゴッドタン』の前身と言われている、おぎやはぎや劇団ひとり、そして佐久間宣行プロデューサーらがタッグを組んだ『大人のコンソメ』だった(2003年10月~2004年3月放送)。その後、なぜ今田・東野の深夜番組が突然テレビ東京で始まったのかと言えば、その事情について、東野幸治は次のように語っている(*1)。
佐久間宣行:松本さんって、テレビ東京出たことないんじゃないかな。
東野幸治:ほぼないと思う。
佐久間宣行:ないですよね。
東野幸治:一時、吉本がテレビ東京に行って、「吉本から、さんまさんとかダウンタウンとか出ますよ」って言いながら、騙くらかして、僕らの番組始めたから(笑)
佐久間宣行:そうですね(笑)
東野幸治:そうでしょ(笑)
佐久間宣行:なんでそんな手法まで言っちゃうんですか(笑)
東野幸治:いや、ようあるんですよ(笑)
佐久間宣行:はい、はい。でも、それはどのプロダクションもやることですけど。
東野幸治:そうですね。
佐久間宣行:「この人、出ますよ」って言って、中堅が出てくるっていう(笑)
東野幸治:はっはっはっ(笑)福岡でね、「さんまとかダウンタウン出ますよ」って言いながら、いざ蓋を開けたら、ほんこんさん行ったりとか(笑)
佐久間宣行:はっはっはっ(笑)
東野幸治:よくある手法なんですよ。
佐久間宣行:ある手法なんですよ。たしかにそういえば昔、「さんまさんとか松本さんが出るかも」っテレビ東京駆け巡ったのは一瞬、ありましたよ。
東野幸治:あったでしょ?一瞬。
佐久間宣行:ありました。
東野幸治:それは、だから吉本戦略ですよね。
佐久間宣行:はい。結果的に、今田・東野さんがトップです(笑)
東野幸治:はっはっはっ(笑)そうなんですよ。で、分かった上で行く我々も凄いでしょ(笑)
佐久間宣行:はっはっはっ(笑)
東野幸治:多分、スタッフはダウンタウンさんとかさんまさん来ると思って喜んでて、いざ蓋を開けたら、俺ら二人やから、「ちょっと落ち込んでんのやろうなぁ」って思う現場で、楽しくする我々の実力を考えてください(笑)
佐久間宣行:そうです、そうです。マイナススタートですからね(笑)
東野幸治:はっはっはっ(笑)「なんだ、アイツら。東野とか今田とか、違うんだよ」とか(笑)その後、NHKに吉本が行ったんですよ。
佐久間宣行:ああ、そうか。
東野幸治:テレ東で成功したからですよ。
佐久間宣行:トップの名前を出して(笑)
東野幸治:局ごと巻き込むっていう。
佐久間宣行:ああ。
東野幸治:で、次にNHKにグワッて行ったんです。
テレビ東京側にダウンタウンの番組がスタートできる、と思わせておきながら、蓋を開けてみたら今田・東野のMC番組であった、という吉本興業の策略が見事に展開され、結果的に『やりにげコージー』が始まったということのようである。
だが、この番組では多くの名物企画を生み出した。「ネイチャージモン」や「天王洲猥談」「やりすぎFBI」など、DVD化された企画は多く、なんと言ってもその代表作が『やりすぎ都市伝説』である。
『やりすぎ都市伝説』の誕生
『やりすぎ都市伝説』は2005年8月から『やりすぎコージー』内のコーナーとして始まった。2007年8月にはこの企画単体で特番化されるに至っており、以後、不定期に続くこの番組は2025年12月26日にもオンエアされている。レギュラー番組との比較はできるものではないと承知の上ではあるが、本家の『やりにげ/やりすぎコージー』の放送期間7年を大幅に超える息の長いコンテンツとなっている。
この『やりすぎ都市伝説』はどのように始まったのか、きっかけは千原ジュニアの提案だったという(*2)。
千原ジュニア:俺、人生で一回だけ後輩に奢られたことあんねん。それは、関(暁夫)が「ジュニアさん、ちょっとメシ行きましょう」って、で、行って。
「吉本やめることになったんです」って。で、「円満に退社することになりまして」って、その報告をしたくてっていうのは、ルミネtheよしもとができたホンマに初期の頃、俺が退院したてぐらいの時に、楽屋で関と喋ってて、アイツが喋りだして。
で、「これエエなぁ、都市伝説って」と。テレビで『やりにげ』とかやってる時やって、「これ企画で出すわ」って言って、色んなみんなが持ってる都市伝説を語り合って、テレビやから、「信じるか信じないかはあなた次第です」って言うときゃ大丈夫やろって言って、始まったのよ。
だから、なんか知らんけど、関は勝手に俺にめちゃくちゃ感謝してくれてんねん。アイツが色々持ってたもんだしてるだけやからアレやねんけど。
だから、関に会いに行く、みたいな。関がテレ東の地上波では喋られへん都市伝説を聞きに行くとかな。
で、そのメシ会で、「円満退社できることになりました。本当、ジュニアさんのおかげでこういうふうになれて」ってことで、関暁夫を作ったのは、千原ジュニアです、と。「だから今日は払わさせてください」って、俺、アイツにメシ奢ってもらってん。
こんなん、俺が言うてるだけで、信じるか信じないかはあなた次第ですけど(笑)
関暁夫は、お笑いコンビ・ハローバイバイとして活動していたが、2004年以降はコンビでの活動に行き詰まりを感じてピンとしての活動にシフトしていくことになる(ハローバイバイは2009年12月20日解散)。その中で、関の「都市伝説」トークの面白さに目をつけた千原ジュニアは、『やりすぎ都市伝説』の企画化に動き出したという経緯であったという。
かくして、『やりすぎ都市伝説』は関の代名詞的な番組となった。不定期放送ながら今なお続く番組であり、当の出演者たちはどのように考えているのか、東野は次のように語っている(*3)。
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