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15.4.2 途上国の工業化 世界史の教科書を最初から最後まで

石油危機をきっかけに、重厚長大産業(鉄鋼・造船・金属)の成長に限界が生じた結果、先進工業国では「軽薄短小産業」(マイクロエレクトロニクス)の技術革新(イノベーション)をすすめようと、しのぎをけずるようになった。


そして、従来型の「物を製造する業種」については、国内よりも人件費の安い国外に生産拠点を移すことに。
同じ物がつくれるなら、人件費が安いほうがいいからね。
こうして1970年代以降、先進国内部の雇用が失われる現象(産業の空洞化)も問題化するようになった。

国境を超えるビジネスが盛んになっていくと、企業にとってもいずれかの国だけに拠点を置くよりは、世界の複数のエリアに拠点を持っておくほうが好都合だ。
これにより世界展開が加速して「多国籍企業」が増加する。

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NIEsがくつがえした「開発」の常識

1970年代までは「貧しい国」は「先進国が援助をすることで豊かになっていく」「まずはじめに一時産品(農産物や鉱産資源)を輸出し、得た資金で機械を購入し、工業化というステップに向かう」という考え方が一般的だった。
「発展の道筋」が、ずいぶんとワンパターンなものとして考えられていたのだ。

しかし、1970年代以降に経済成長を達成したアジアのNIEsがそれをくつがえした。ニーズ(新興工業経済地域)とくくられる、韓国台湾香港シンガポールは、国が協力にプッシュするかたちで(ビッグプッシュ)、いきなり輸出向けの製造業で頭角を表していったのだ。


東アジア・東南アジアでは、1980年代にASEAN(東南アジア諸国連合)の諸国や、市場経済を導入した中華人民共和国(1990年代)も、その動きに追随し、世界銀行によって「東アジアの奇跡」と呼ばれる経済成長が実現することになった。


「ものづくり」の拠点は東アジアに

こうして製造業の拠点がアジアにうつされると、先進工業国では工場が海外に流出。国内の雇用機会が減ってしまったため、従来型の産業から脱皮し、コンピュータなど最先端部門の研究と生産で競争を乗り切るしか道がなくなってしまった。

そういうわけで1980年代には、アメリカ西欧日本が先端技術開発をめぐる激しい競争を繰り広げた。
その象徴が、自動車とコンピュータ部門をめぐる1980年代の日米の貿易摩擦問題だった。


1985年にプラザ合意という西側(アメリカ陣営)の先進工業国による取り決めによって、ドル安・円高(日本は輸出不利、アメリカは輸出有利となった)に円とドルの交換レートが人工的に誘導された。

これにより日本企業は、製品を国内でつくって輸出するよりも、海外でつくって輸入したり別の国に売ったりしたほうがよいということで、アジア各地に生産拠点を移していくことになった。
日本から輸出できない代わりにアジア各地でつくったものを、迂回させてアメリカ合衆国に輸出する方式がとられたわけだ。


そんなわけで、すでに新興工業経済地域として発展していた、香港、台湾、シンガポール、韓国といったアジアNIEsの資本とともに、日本の資本が東南アジアのタイやマレーシアなどのASEAN諸国に流れ、それがもとで経済成長が加速していくことになる。

この過程で、ASEANでは低価格の消費財が生産されるようになると、従来は低級品を生産していたアジアNIEsでも、付加価値の高い高級財が生産されるようになっていった。

こんなふうに、まずは日本、それを追いかけるようにアジアNIE、さらにASEAN…といったように、渡り鳥の雁(かり)がV字に列をなすように東アジア・東南アジア地域(経済的には一括して「東アジア」といわれることも多い)が発展していく様子を、「雁行(がんこう)的発展」ということがあるよ。


ただ、経済を短期間で急速に成長させようとすると、どうしても中央集権的な権力が必要になる。外資を呼び込むにしても商法や民法といった法制度の整備や、統一的な経済政策をたてることも必要だ。
「輸出を主導して経済成長を実現させるためには、ある程度強いやり方(=民主化をおさえたやり方)で国内をまとめることも必要だ」とするこのような政治体制は開発独裁と呼ばれ、各国で様々な方式がとられていった。
経済的な自由権が尊重される反面、福祉などの社会権は軽んじられる傾向にあることから、同時に社会の歪みも生んだことは事実だ。



米ソ冷戦後の世界の経済問題

さて、1990年代初めに米ソの冷戦が終わると、世界のほぼすべての地域は「自由な経済競争が許されるエリア」に変貌していった。


労働力の国際的な移動が活発化すると、先進国内では不景気や雇用不安やそれがもたらす経済格差(「各国内の不平等」)が「移民労働者や外国文化の流入のせいだ」とする排外的なナショナリズムも目立つようになっていった。
特に、単純な構図を表すキャッチフレーズを多用し国内の問題を外国人のせいにすることで票を集めようとする、ポピュリズム的な政治家・政党が支持を集める国・地域も見られるようになる。

同時に、「グローバルな不平等」も問題化している。

従来は「南北問題」の「南」側の発展途上国としてひとくくりにされていた国々の中から、技術革新によって新興国へとのし上がる国も出てきたため、これにより、1990年代以降、新興国の中間層の所得が増えていったのは確かだ。

しかし、それと連動して先進国の下位中間層の所得が低下し、先進国の富裕層がの所得が著しく上昇する現象も見られるようになっていく。

1980年代以降、国境を超えるお金の移動が自由化されたことで、他国の顧客にお金を貸し付け、その利子を得ることも容易になった。
このように20世紀前半型の「大量生産・大量消費」をベースとする経済は、ルール設定を世界規模で組み替えることによって、1970年代の危機を乗り越えようとしたのだ。





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