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ニッポンの世界史#48 宮崎正勝の「ネットワーク」世界史(1)

 まぎれもなく宮崎正勝(1942〜)は1990年代以降の「ニッポンの世界史」の形成における最重要人物の一人だ。


 東京教育大学文学部史学科卒業後、都立三田・九段・筑波大附属高で世界史を担当。筑波大学講師を経て北海道教育大学教授。1975~87年の間にはNHK高校講座「世界史」ラジオ・TV講師を務め、高校世界史教科書の編集・執筆にも従事した。
 キーワードや枠組みを提示し、明快な通史を一冊に凝縮する数々の一般書は、2010年代以降に台頭した世界史一般書のフォーマットをかたちづくったと言っても過言ではない。

 宮崎は1998年版の学習指導要領世界史A・Bの作成にも携わった(注1)。
 現行の指導要領にも影響を与えている1998年版「世界史B」の構成は次のとおりだ。

(1)諸地域世界の形成
(2)諸地域世界の交流と再編
(3)諸地域世界の結合と変容
(4)地球世界の形成

 1998版改訂からさかのぼること約10年、1989年に学習指導要領が改訂され、1994年から順次施行された。すでに見たように木村尚三郎による積極的な働きかけにより必修化された世界史は、世界史Aと世界史Bに分けられることになった。



文化圏学習


 そしてさらにさかのぼること約10年、改訂前の学習指導要領(1978年版)では以下のように、前近代(18世紀まで)を「三大文化圏」に分けて学ぶ構成がとられていた。

 文化圏学習は前近代の世界史をいくつかの文化圏に分けて学ぼうとするもので、教科書によっては別案を提示するものもあったが、上図のように事実上3つの文化圏に分けることが基本となった。
 元を辿れば1970年版の改訂で導入されたもので、のちに社会科教育学者の原田智仁が整理するように、①内容精選の原理と②発展段階論的世界史構成の克服の原理という2つの意図が込められていた。
 たが、精選といっても、どのような観点からどう精選するかといったことまでは踏み込まれることはなく、これを継承した1978年版も同様で、結局のところ用語の膨張に歯止めがかからない状況となっていった。



世界史A・世界史Bの登場


 こうした現状を踏まえ、1989年版学習指導要領はどのような構成をとることになったか。
 結論からいえば、文化圏学習を思い切って突き破ったのが世界史A、受け継いだのが世界史Bである。

 世界史Aは、従来の文化圏学習があまりに体系化されすぎたことへの反動として、「横の交流・接続」を重視する方向が打ち出された。ただし、キリスト教・イスラーム・中華という旧来の三大文化圏は維持され、そこに南アジアが加わって「四本建て」の文化圏構成となった。
 文化圏の建て付けは残しつつ、「諸文明の接触と交流」を導入した形だ。

 世界史Bのほうでは「四本建て」の文化圏構成がとられ、やはり横の連関を意識した構成となっている。

 世界史A・Bいずれにせよ、前近代はあくまでいくつもの文化圏に分かれていて、それらが交流・接触していた時代であり、「一体化」していくのは19世紀以降、という見方をとっている。この点も1978年版指導要領と変わっていない。
 また、1989年版指導要領には比較文明論の影響が色濃く見られる。国際化を意識し、諸文明を相対化しながら比較するこのアプローチがなぜ重視されたのかについては、1980年代の動向で詳しくみてきた通りだ。

 


宮崎の「ネットワーク」世界史とは何か


 だが、冒頭で紹介した宮崎の構成(1998年版)は、こうした見方とは一線を画すものだった。

 たとえば1989年版では世界の一体化は19世紀以降とみるが、宮崎は16世紀以降を「結合・変容」の始期とする
 また、「文明」「文化圏」といった語に代わり「地域世界」という語を用いたことは、1970年代以来の「文化圏」ごとの世界史構成への訣別ともみえる。

 宮崎はすでに1990年代から、旺盛に世界史構成に関する議論を試みていた。
 その試みは、どのような背景から展開され、「ニッポンの世界史」にいかなるインパクト与えることとなったのか。あとづけていくことにしよう。







(注1)宮崎正勝『世界史の読み方』角川学芸出版、2013年、p.244。

(注2)1970年版の学習指導要領「解説」で次のように示されている。

① 世界史の内容をあるまとまりをもって学習させることで、生徒の理解を容易にする
②従来のヨーロッパ中心史観を克服し、世界史における日本の位置づけを明確にする

 

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