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新科目「歴史総合」をよむ 0-1.歴史の扉 歴史と私たち

0. 歴史の扉 

0-1.歴史と私たち

 

(参考)学習指導要領
 諸資料を活用し,課題を追究したり解決したりする活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 次のような知識を身に付けること。
(ア)私たちの生活や身近な地域などに見られる諸事象を基に,それらが日本や日本周辺の地域及び世界の歴史とつながっていることを理解すること。

イ 次のような思考力,判断力,表現力等を身に付けること。
(ア)近代化,国際秩序の変化や大衆化,グローバル化などの歴史の変化と関わらせて,アで取り上げる諸事象と日本や日本周辺の地域及び世界の歴史との関連性について考察し,表現すること。

 「歴史の扉」は、「歴史総合」の学習への「扉」にあたる。身近なテーマを選び、その来歴をたどることで、「それらが日本や日本周辺の地域及び世界の歴史とつながっていること」を理解し、その変化が「歴史総合」で学ぶことになる「近代化,国際秩序の変化や大衆化,グローバル化などの歴史の変化」とどのように関わっているかを、資料の特質とともに理解し、考察、表現する力を養うことが目的だ。

メイン・クエスチョン
身の回りにあるさまざまな物や事柄は、「日本や日本周辺の地域及び世界の歴史とつながっている」のだという。具体的に、どのような物が、あなた自身の生活や地域と「つながっている」といえるだろうか?

砂糖の歴史と私たち

 たとえば、砂糖を例にとってみよう。

 まずは日本における砂糖について、そのルーツを遡ってみると、鑑真が日本を訪れた際に持参した品物にさかのぼる。

唐大和上東征伝とうだいわじょうとうせいでん』によれば、「石蜜せきみつ蔗糖しゃとう(=砂糖)等五百余きん、蜂蜜十こく甘蔗かんしゃ(=さとうきび)八十そく」との記載がある。正倉院文書において、砂糖は薬として記載されている。

 砂糖が薬として使われていたなんて、現在では想像もできないだろう。

サブ・クエスチョン
日本で砂糖が菓子として食べられるようになったのは、いつごろのことなのだろうか?

 お菓子として砂糖が紹介されるようになったのは、16世紀に日本に砂糖をもたらしたのはポルトガル人がきっかけだ。織田信長にも金平糖こんぺいとうが献上されている。17世紀になると、琉球や奄美大島に中国の製糖技術が伝播した。和菓子の成立には、禅宗と茶の文化の影響もかかわっている。


 では、ポルトガル人はどうして砂糖菓子をつくるようになっていたのだろうか?
 もともと砂糖の原材料であるサトウキビは、東南アジアのニューギニア島が原産地で、紀元前後にインドに伝わった熱帯産の作物だ。しかし、ポルトガルは熱帯圏ではないのに、どこでサトウキビをつくっていたのだろうか?
 実はポルトガルは15世紀中頃から、大西洋上のマデイラ島に西アフリカの黒人を奴隷として連行し、サトウキビのプランテーションを開始していた。

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(出典:奴隷貿易の暗い歴史、DNA研究で明らかに、AFPBPニュース、2020.7.27)

 サトウキビの栽培や製糖技術自体は、実は地中海東岸のアラブ人から伝播したものだ。現在でも、砂糖はアラブ菓子にふんだんに使われ、断食月(ラマダーン)には、日没後に味わうために盛んに販売されている。 

 つまり、日本に伝わった砂糖菓子の背後には、大西洋黒人奴隷や、アラブ人の導入したサトウキビのプランテーションの歴史が控えているとも言えるだろう。

 でも、日本で砂糖菓子づくりに使われた砂糖は、過酷な労働をともなうプランテーションによって生産されたものだったのだろうか?(サブ・クエスチョン

 砂糖菓子は、江戸時代の日本がオランダと中国との貿易の窓口としていた長崎に定着し、さまざまな菓子が考案されるようになった。
 日本では、江戸時代の初め頃、1623年に琉球王国の儀間真常ぎましんじょう(1557〜1644)が中国に遣使し、サツマイモや木綿、砂糖の製造方法を学ばせ、沖縄で黒糖の製造を始めた。その後、奄美大島、喜界島、徳之島においても製造されるようになり、薩摩藩に莫大な収益をもたらした。この地の人々にとっての砂糖は、薩摩藩による支配の歴史を呼び起こすものでもあるのだ。

 明治期以降、海外への移民が増えると、



 次に「歴史総合」の扱う18世紀以降、日本がどのように洋菓子を発展させていったのか、私たちの暮らしや人々の移動と関連付けて考えてみることにしよう。

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スイーツの歴史と私たち


(1)近代化とスイーツ

 たとえばまず、現代の日本で普通に食べられている「ショートケーキ」に注目してみよう。
 すると、『和洋菓子製法ひとり案内』(1889(明治22)年)が初出であることがわかる(ただし、当時のショートケーキはクッキー状であったようだ。そもそもショートは英語のshortを指し、元来「サクサクした」という意味がある。つまり、当時のショートケーキは現在のようなスポンジ状ではなかった)。

 この時代の日本にヨーロッパの菓子製法が伝わったのは、紛れもなく開国の影響だ。
 では、なぜ日本がこの時代に開国を迫られたのかといえば、18世紀後半以降の欧米諸国の「近代化」によるものだ。
 蒸気機関によって動く船舶(蒸気船)の発明によって、交通革命がおこり、世界市場の成立が促された。日本もその影響にさらされたのである(第1部を参照)。

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ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の開業(1825年、イギリス)


 「近代化」の動きは、その後もどんどん進んでいった。たとえば、明治時代後半になると日本人の好みに合わせたスポンジ状のケーキが登場する。ショートケーキは、イギリス、フランス、アメリカ、日本の合作であるといえるだろう。

 似たようなものとして、カレーライスについて調べてみるのもよいだろう。




(2)大衆化とスイーツ

 このようなスイーツを食べることのできる人は、いつごろから増えていったのだろうか?
 スイーツの大衆化には、明治時代の日本の欧米化にともないバター、ミルクが普及していったことが関わっている。当初は栄養豊富であると宣伝された。
 1875(明治8)年、米津風◆月堂よねづふうげつどうがビスケット製造を開始。1899(明治32)年には森永太一郎もりながたいちろう(1865〜1937)がアメリカの成果技術を国産化し、機械化による大量生産がひらかれ、それが洋菓子が「大衆」の手に届く食べ物となった一因だった。
 なお、1910(明治43)年に不二家ふじや、1916(大正5)年に東京菓子(のちの明治製菓)、そして1921(大正10)年に江崎商店(のちの江崎グリコ)が開業している。



 スイーツの「大衆化」がすすんだ背景には第一次世界大戦勃発で、ヨーロッパからの輸入洋菓子が途絶えたことも影響している。当時の日本では、モボ・モガといった洋装、洋食が流行していたことに加え、第一次世界大戦のドイツ人捕虜ユーハイム(1866〜1945)や、ロシア革命を逃れ亡命してきたモロゾフ(1880〜1971)らがスイーツ普及に貢献したことも見逃せない。




(3)グローバル化とスイーツ

 さて、日本で発達したスイーツやお菓子は、20世紀後半になると、世界各地に日本のお菓子として広まっていった。
 とくに1950年代以降、ジェット機が民間にも普及したことや、コンテナ輸送網が発達したことで、人的交流の機会や貿易量が激増した。
 西洋にルーツを持つ洋菓子は、日本において独自の発達を遂げ、さらに世界に羽ばたいていった。グローバル化とローカル化の絡み合いは、1990年代の情報技術革命の加速以降、さらにそのペースを早めつつある。


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 このように、スイーツの普及だけでなく、身の回りにあるモノや制度の背後には、実は「近代化、国際秩序の変化や大衆化、グローバル化などの歴史の変化」が関わっていることが少なくない。

 その他の例についても、探してみよう。

 そのことを後づけるには、歴史的な事象の資料を扱う必要がある。次項では、歴史の特質と資料について学んでいくことにしよう。

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