【ニッポンの世界史】#42 世界史は、なぜ必修化されたのか?(その3):必修化推進の論理
世界史はなぜ必修化されたのか? 目次
・#40 その1 世界史離れ・林健太郎・中曽根康弘
・#41 その2 必修化までの経緯
臨教審に配布された文書:「「国際化」の時代に逆行する世界史教育の現状」
世界史必修化をめぐる政策決定の陰で、臨教審関係者に配られたある文書がある。
タイトルは「「国際化」の時代に逆行する世界史教育の現状—高校における世界史教育の危機」」(以下、「国際化」文書)。茨城智史らによると、B4用紙2枚にわたり、1986年3月と記名があり、ほかにB5用紙の別紙資料が3種(資料1=「世界史」履修率の推移、資料2=都道府県別「世界史」履修率、資料3=中等学校における歴史教育の変遷)が添付されていたという(「歴史教育体験を聞く 吉田寅先生」、『歴史教育史研究』6、2008年、74頁)。
世界史必修化が決定されると、この「国際化」文書の存在も、新聞によって取り沙汰された。
この文書を、山本達郎(東大名誉教授)、村川堅太郎(同)、増田四郎(一橋大学名誉教授)が86年夏に臨教審メンバーに配布していたというもので、朝日新聞は山川出版社の教科書に関わった山本と村上、そして文書には参加していない参院議員の林健太郎にちなみ「山川グループ」と命名している。
たとえば、「高校から消える社会科 あっという間の「歴史独立」:「歴史は人間諸学の基礎」東大教授、粘りに粘る」(『朝日新聞』1987年11月14日)では、「これら3氏[注:山本・村川・林]が、歴史教科書では一番多く使われている山川出版社「詳説世界史」(今年度で32万冊)の著作者になっていることに由来する」とあり、彼らの「弟子」筋として木村尚三郎が位置付けられている。
たしかにこの文書には、上記三名の名があるが、木村尚三郎の名前は見えない。代わりに法学者・碧海純一(1924〜2013)、政治学者・福田歓一(1923〜2007)、吉田寅の名前がある。
実は起草したのは吉田寅氏(1926年生まれ)。高等学校で歴史教育にたずさわったのち、筑波大学・立正大学で東洋史を研究した人物だ。
先述の茨木らによる本人への聞き取りによれば、背景にあったのは共通一次試験以来の「世界史」履修率の低下であり、精力的に活動していた山本達郎氏に誘われ、村上堅太郎宅に出向いたことがきっかけだった。
吉田が原案を書いた上、1986年2月に山川出版社で会合をおこなった。このとき初めて碧海と福田と会ったという。加筆・修正はほとんどなかったが、添付の3枚の書き手はわからず、当初は社会科再編成の話は出ていなかった。
さらに次の会合に参加したが、それ以降は出ていない。その後はそれが吉田のあずかり知らぬまま社会科再編成のために活用されることとなってしまったのだそうだ。
山本達郎はどのように世界史の危機を訴えたか
では、「山川グループ」と名指された教授陣にはどのような動機があったのだろうか。
この時期、新聞紙面でも積極的に主張を展開している東洋史家の山本達郎(1910〜2001)の考えを見てみよう。
たとえば先ほどの「朝日新聞」(1986年8月31日)紙上で次のように述べている。
近ごろ大学に入学してくる学生をみますと、世界史をまったく知らない学生が多いんです。第一次大戦の知識もないし、マルクスとアダム・スミスがどちらが先に生きていたかも知らない。とんちんかんで大学の授業に様々な支障がでてきています。どうしてこうなったんだろうと調べてみますとね、高校での "世界史離れ" の現象が浮かび上がってきたんです。
国際化の時代に世界史の視野を著しく欠いた国民が育成されてきているのは困ると思いましてね。でも歴史の問題はデリケートで、すぐ左右から政治問題になってしまうので、運動らしくなく世論に訴えようと静かに文書を出したのです。
第一に山本の念頭にあるのは、大学教育にとっての要である世界史に関する知識の欠落に対する憂慮だ。おかげで教養課程で初歩から教えなければならないが、教える側からも「世界史の新イメージ」がなかなか出てこないことも問題であるとも指摘する。
さらにこれに、「国際化の時代に世界史の視野を著しく欠いた国民が育成されてきている」というスケールの大きな話が加わり、「国際化」文書を臨教審などに配った理由とした。
次に世界史教育の現状について問われると、
昭和57[1982]年度の高校学習指導要領の改定以来、全国平均で約40%近い高校生が世界史を学習していません。昭和56[1981]年に比べて20%も減っています。都道府県別にみますとね、世界史履修率が一番低い県では、わずか28%、つまり10人に3人ぐらいしか学んでいないんです。30%台の県も2県あります。おまけに驚いたことには、最近一部の高校では、社会科の科目に世界史を設けていないという、学校による"世界史離し" さえみられるんですよ。
都道府県ごとの差については、1981年の各県別「世界史」教科書採択率(単位は%)のデータが「読売新聞」(「高校の世界史離れ定着 入試に迎合、教育不在に」1983年12月7日)に掲載されているので一部抜粋しておこう。
東北、北陸、四国、九州の地方で大都市圏より採択率が低い傾向にある。記事はこの要因を、地方では国公立に有利なカリキュラム(たとえば2年で倫理・3年で政治・経済に取り組ませ、共通一次では現代社会を選択させる)を組む戦略が「本人の適性や希望を無視した徹底的な振り分け」とともにとられることにあると分析している。
北海道 89.1
宮 城 91.8
秋 田 89.4
栃 木 91.1
埼 玉 89.9
千 葉 93.1
東 京 90.4
神奈川 94.9
富 山 66.7
石 川 62.8
長 野 96.9
岐 阜 87.4
愛 知 88.3
大 阪 97.6
兵 庫 86.3
広 島 86.0
山 口 86.5
高 知 79.4
福 岡 84.0
長 崎 75.6
鹿児島 69.5
沖 縄 83.4
全国平均 87.2
山本は、大学生の「知識」の欠落の原因を、こうした "世界史離し" のデータと結びつけて論じている。大学教育にとって枢要な役目を果たす世界史の知識をもった大学生が減少している原因は、個々の生徒の選択の問題というよりも、制度設計と教育行政のあり方にあるのではとの見方だ。世界史が必修でなくなり、「世界史的視野を著しく欠いた」現代社会が必修化されたこと、それに小中学校を通して外国史を学ばない「特殊事情」についても苦言を呈している。
さらに続きをみてみよう。
社会科は戦後設けられ日本の民主化に大きな功績があったと思います。しかし私は歴史教育は社会科から独立させなければならないと考えます。今年2月ユネスコが中心となってフランスで "今日の歴史家" の集会がおこなわれましたが、どこの国でも、歴史教育は人間形成、国民形成に重要な教育として独立の教科として扱っています。歴史学はその性質からいって人間の営みのあらゆるものを含んでいますから、社会科学として扱うのは不可能で、思想、宗教、美術すべての人間の文化を歴史的に考える人間を形成するためにも、社会科から独立させて歴史教育をおこなうべきだと考えています。
このように山本は、歴史教育を「社会科」に含める戦後の制度を再考すべきだと提言する。
そもそも歴史学が制度や構造に還元しきれない、人間の営み全体を扱う学問であり、思想、宗教、美術といった非制度的・非合理的な人間文化も含めて歴史は記述される。社会科のような社会科学的な枠組みに押し込めることで、その豊かさと批判性が失われてしまう。歴史を通した人間形成と国民形成を図らなければ、国際的な動向からも逸れてしまう、というわけだ。
世界史教育をめぐる多様な論理と似通う構図
ところで「国際化」文書を起草した吉田寅は、山本達郎ら東大の研究者の位置どりについて、「この文書にお名前がある5人の東京大学の関係者は、いわゆる〈文部省派〉と異なる、ある意味で文部省からは距離を置いた、いわゆる〈学術派〉の研究者であるとも言えます」と証言している(茨木ほか、上掲74頁)。
吉田の話に登場する「〈文部省〉派」は、おそらく木村尚三郎や林健太郎のことを指していると思われる。だが、単に「国際化」文書が〈文部省〉派とは別系統であることを対比的に述べただけかもしれない。
たしかに、木村や林、そして「国際化」文書の起草者である吉田、山本達郎や村
川堅太郎らが、みな「世界史離れ」という現状に対する懸念を共有していたのは事実だろう。
だが、「なぜ世界史が必要なのか」という論理は、それぞれに違いや温度差もあったはずだ。
たとえば、参議院議員の林健太郎は、前々回紹介したように「国際社会であればあるほど、これはそれぞれの民族の持っているところの文化的伝統というものが非常に重視されるべき」との主張に力点を置いている。この主張は「国際化」文書の翌々年、1988年1月の『諸君!』誌上で示唆されるように、原書房『新編日本史』をめぐる論争(1987年)を通して一層明確化されていくことになる。
だがそれと同時に林は、山本同様やはり学問の基盤として歴史は重要性なんだとも言っていることにも注意が必要だ。たとえば林は『諸君!』において、次のように述べている。
くりかえしくどいようですが、歴史というのは、大学の文学部が哲学、史学、文学の三つに分かれているように、学問として非常に重要なものなんですね。人間に関する学問というのは、すべて歴史の所産でしょう。何を勉強するにせよ、歴史の知識は必要なんです。法学部や経済学部の教授に聞いてみても、「高校でいまの社会の仕組みがどうだとか、問題がどうだとかいうような断片的な知識をつめ込むよりは、語学や歴史をしっかりやってきてもらいたい」と、みんないいます。
後半の「高校でいまの社会の仕組みがどうだとか、問題がどうだとかいうような断片的な知識をつめ込む」という部分は、現行の「社会科」批判だ。
もちろん論者により力点の置かれる点は異なる。
だが、ここで林のいう《 人文=歴史 ←→社会=社会科 》という構図は、先述の山本達郎にも、そして前々回指摘したように木村尚三郎も共有していたものだった。
いっぽう、先ほど見たように山本達郎の力点は、大学教育の水準の維持、そして人間の営みをつかむ歴史という学問の重要性に置かれていた。
だが「朝日新聞」のインタビュー(1988年8月31日)で、同時に次のように述べている点にも注目すべきだろう。
現在でしか考えない[注:過去・現在・未来のつながりで考える力が弱くなってきている]のと、もうひとつ相手の立場に立っての世界認識ができなくなってしまっています。昔から日本人には欠けていたんですがね。世界中の国々が自分たちの新しい世界史をつくり出しています。日本は独善的にならないためにも、こうした世界の各文化圏の歴史的特質を認識するための基本的枠組みを学校で学ばなければ、国際化の時代に対応できないんじゃないでしょうか。……いま臨教審などで教育改革が審議されていますが、国際人とは、単に外国語がうまいというだけではだめなんです。国際化というとすぐ外国語教育の充実とくる。外国語がよく出来ても、世界を広くみる基本的知識がないと通訳をたくさんつくるだけだと思います。私は、国際人をつくるには、高校で世界史を必修にすることが大切だと思います。自国中心のものの見方でなく、世界の動きのなかで、自分を見つめるためにも、世界史教育は今後の国際人のため必修の修養だとつねづね思っているのです。
林の場合、(林の言葉を使えば)「外圧」に負けずに自国の歴史を語ることに力点が置かれる。他方、山本は「相手の立場に立っての世界認識」に力点が置かれる。「国際化」という同じ言葉を使っていても、その意味するところは必ずしも一様ではなかったわけだ。
では、木村尚三郎の場合は、いかなる世界史観を持っていたのだろうか?
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