優しさには「副作用」があると知った日。
こんばんは。
瀬海歩です。
いつもスキありがとうございます。
まずは( ^^) _旦~~お茶でもどうぞ。
先日コメントをくださった方の記事を読ませていただいたら、
「優しさ」について深く掘り下げていらっしゃいました。
その余韻に背中を押されて、
私も「優しさ」について考えてみました。
■優しさの形① と、その副作用
私は「活字アート」というものを作っています。
それを宮崎県の美術展に出そうとしたとき、
妻がこう言いました。
「やめといた方がいいんじゃない?」
この一言は、
落選して私が傷つかないようにという妻なりの“優しさ”でした。
でも結果は――
「準特選」
ここで気づいたのです。
私たちは本来、「相手」によって決まる評価を待つ前に、自分で閉じてしまうことがある。
優しさは、ときに可能性まで小さくしてしまう。
そんな“副作用”があるのだと。
■優しさの形② と、あとから気づくもの
私の父は、
私が何か始めようとすると、ほとんど反対しました。
電子書籍を書くと言ったときも、
就労移行支援に通うと言ったときも、
じゃがいもを植えると言ったときも。
数えればきりがありません。
正直に言うと、
当時は「なんでだよ」と思っていました。
でも最近、やっと気づきました。
山に登るとき、
軽装では命に関わることがあります。
何かを始めるときも、
覚悟が足りなければ、大きく傷つくことがある。
父の言葉の奥には、
「それでもやるのか?」
「その覚悟はあるのか?」
という問いがあったのだと思います。
親に反対されるくらいで諦めるなら、
その程度の熱量だ。
――そういう、
少し不器用で、荒々しい優しさ。
そして不思議なことに、
Kindleで84万円の収益を出したときも、
仕事が決まったときも、
じゃがいもが収穫できたときも、
父は誰よりも喜んでくれました。
あれも、優しさだったのだと
今ならわかります。
■優しさの形③ と、すれ違い
中国・王府井を歩いていたときの話です。
私と友人2人で歩いていると、
日本人の女性2人組から
「安全のために一緒に行動してほしい」
と声をかけられました。
もちろん了承しました。
その後、
中国のケンタッキー(中国にもあります)に入ったときのこと。
私はこう考えました。
「せっかくの海外。
自分で注文する経験(度胸をつける体験)を奪ってはいけない」
そう思い、
自分の分だけ注文しました。
しかし実際は――
一緒に注文しても全く問題なかったようで、
友人が3人分まとめて注文しました。
つまり私は、
“優しさのつもり”で、
ただ距離をつくってしまっていたのです。

■結び
どの優しさが正しい、
どれが間違っている、
そういう話ではありません。
優しさには、
いろんな形がある。
守る優しさ
試す優しさ
見守る優しさ
そして、すれ違う優しさ
あなたのその優しさ、届いていますよ。
マガジンに追加本当にありがとうございます。
後日まとめ記事にします。
