まさーらさん × 瀬海歩コラボ
こんばんは。
瀬海歩です。
まずは( ^^) _旦~~ お茶でもどうぞ。
今日は、少し特別な回です。
“ある方”と一緒に考えてみたいテーマがあります。
■ 思考の職人、まさーらさん
その方は、
考え方の積み木/まさーらさん。
20年間、銀行で働きながら、
人が「どう考え、どう決めるのか」を見続けてきた方です。
未来を当てる人でも、
正解を押しつける人でもありません。
やっているのは、ただひとつ。
「外れる道を、静かに消していくこと」
一見、地味ですが、これがとても強い。
なぜなら人生は、
“当てるゲーム”ではなく、
“外さないゲーム”だからです。
そしてもう一つ。
この方は、切るべきものをきちんと切れる。
曖昧さを残さず、
構造として整理してくれるので、
読んでいて「スッ」と腑に落ちます。
まさに、
“思考の職人”です。
■ 今日のテーマ
さて、そんなまさーらさんと一緒に、
今回のテーマはこちら。
👉 「人生でやりたいことリスト100は危険なのか?」
前向きでワクワクするテーマですが、
実際にやってみると、
少し違和感を覚えました。
今日はその“モヤモヤ”を、
のび太のような気持ちで、
正直にぶつけてみます。
■ 瀬海歩(のび太風)の問い
まさーらさん、ちょっといいですか?
人生でやりたいことリスト100って、
すごく良いものだと思っていたんですが…
やっていくうちに、
少し苦しくなることがあって。
例えば、
・できていない自分ばかり見えてしまう
・叶っていないことに目がいく
・焦りが強くなる
こんなこと、ありませんか?
あと、
・そもそも100個も必要なのか
・達成できなかったら意味がないのでは
そんなことも思ってしまって…。
これってやり方の問題なんでしょうか?
それとも、この考え方自体に
何か落とし穴があるのでしょうか?
■ まさーらさんの視点(全文)
やりたいことリスト100に、取り組まれているのですね。
やりたいことリスト100には、自分の望みを可視化すること、行動のきっかけをつくること、自分の関心を整理することといった効用があるとされています。
しかし、これは、そのまま反作用にもなります。
望みを可視化することは、達成したことよりも、まだ残っていることの方を目に入りやすくすることでもあります。
その結果、未達成という事実に、「自分はできていない」という意味づけが乗ってしまうことがあります。
また、行動のきっかけをつくることは、どれだけ進めたか、どれだけ消化したかへと意識を向けることにもつながります。
そのため、本来は自分が何を望んでいるかを確かめるための道具だったはずが、達成そのものが目的になってしまい、本来得たかったはずの喜びからズレることがあります。
さらにいえば、自分の関心を整理するということは、その時点での関心を記録することにすぎません。
一覧に入った項目は、その後も「自分がやりたいこと」として残り続けます。環境の変化や時間の経過とともに関心や優先順位が変わり、もはややりたいことではなくなった項目まで、未達成として意識されてしまうことがあります。
こうした反作用があることを踏まえ、未達成に対する自己評価、目的の取り違え、望みの持続性などを考慮しながら取り組み姿勢を考えてみてはいかがでしょうか。

■ 私の気づき
そして私は、ここでハッとしました。
なるほど。
自分の自己肯定感の低さは、
“未達成=できていない自分”
この捉え方から来ていたのですね。
そう思ったとき、
不思議と少しだけ、
心が軽くなりました。
■ 少し、ほっとする話
ここまで読んで、
「じゃあ、やらない方がいいの?」
そう感じた方もいるかもしれません。
でも私は、こう思いました。
やりたいことリストは、
未来の自分を縛るものではなく、
その時の自分を知るためのメモ。
■ 締め
だから私は、
達成できたかどうかよりも、
「このとき、自分は何を望んでいたのか」
そこに目を向けてみようと思います。
もしかしたら、
叶わなかったことも、
途中で変わったことも、
すべて含めて、
ちゃんと生きてきた証なのかもしれません。
そして、最近思うのです。
やりたいことリスト100は、
“すべてを叶えるためのもの”ではなく、
“本当にやりたいことに出会うまでの道具”なのではないかと。
そして――
それが見つかったとき、
このリストは、
静かに役目を終える。
あなたなら、どうしますか?
まさーらさん、新たな気づきをありがとうございました。
考え方の積み木/まさーらさんのnoteはこちら
