3つの小学校
自分が近視だと気づかないくらい、ぽわ~んと生きていた小学校時代。
そんな小学校の6年間、親の引越しの影響で3つの小学校に通いました。
1, 2年:会津若松の小学校
生まれた東京から、5歳の頃に移り住んだ福島県会津若松市。
ピカピカの1年生で通った学校は、古い木造建築の校舎でした。
机は二人ぶんが連なっている長い机。
トイレは水洗でない汲み取りの和式。
冬は教室にコークスストーブが置かれ、給食当番みたいに倉庫までバケツで当番がコークスを取りに行っていました。
給食のワゴンもコークスのバケツも、上級生が手助けしてくれました。
年長者は若輩の手助けをするものなのだと学びました。
遠足は鶴ヶ城(会津若松城)でした。
「ならぬことはならぬものです」で終わる什の掟を習ったものです。
そのおかげで、今でも何かを食べながら歩くといったことができません。

2, 3, 4年:千葉県の小学校
2年生になる頃新校舎が完成して喜んだのも束の間、会津若松から千葉県への引越しで転校となりました。
通学は路線バスで、近所のこどもが集まって集団登校。山あいの場所なので多くのこどもが2系統のバスで通っていました。
わりと新しい校舎だったので良かったです。
机も一人に一脚になりまして、新鮮でした。
ここの小学校の遠足は、古墳跡。
家から近いところでプライベートで遊びに訪れていた場所でしたけれど、学校のみんなと歩いて行った時間が楽しかったです。
4, 5, 6年:千葉県の小学校2校め
4年生になってすぐ。同じ市内ですが引越したので、また転校。
やっぱり友達と別れるのは悲しかったですけれど、学校が変わるのは慣れてしまっていました。
今度の学校は、家からは近いのでぎりぎりまで家でテレビをみていられるのが嬉しかったです。
ここで初めてバスや電車で出かける修学旅行を体験しました。
4年生の行き先は、今はなき行川アイランド。
フラミンゴのショーやホロホロ鳥のパレードとか、きれいでしたよ。
行川アイランドはなくなってしまいましたが、なぜかJR外房線の駅名として残っています。
もうひとつ初めて防災頭巾というものも、この学校で使いました。
ふだんは椅子に敷いて、地震が起きたら頭に被って。
3校めで迎えた卒業式はあまり寂しくありませんでした。
学区によってほぼ二つの中学校に移るだけでしたから。
何かの交流で、別れた中学校に進学したみんなの懐かしい顔を見たときは、嬉しくもあり気恥ずかしかった感じがしました。
ただ卒業式が、雪の降る日だったことは憶えています。
最後に通った小学校は、今でも通勤電車の中から見ています。
大きく感じていた校舎は、今はとても小さく見えます。
卒業してから40年経った今。
あの校舎でこどもたちが学びいろんな体験を積み重ねていると思うと、自分も初心にかえって、まだまだ頑張ろうという気持ちが湧いてきます。

