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命とは

7月中旬に捕まえてきた我が家のカブトムシが、死んでしまった。

オスとメスのペアで、山で捕まえてきた。メスが先に死んでしまい、後を追うようにオスも死んでしまった。

最初の方は昆虫ゼリーを一晩で3つも食していた彼らだったが、最近は1つもなくなっていなかった。きっとおじいちゃんとおばあちゃんになっていたのだろう。お疲れ様でした。息子と一緒に、近所に埋めた。

ほんの二ヶ月程度だった。彼らと過ごしたのは。その間息子は、カブトムシは夜行性だと言うことを覚え、カブトムシにも男の子と女の子がいることを覚え、男の子と女の子では体の形が違うことを覚え、夜寝る前に忘れずにゼリーをあげなければいけないことを覚えた。

繰り返すが、ほんの二ヶ月だった。カブトムシが成虫として生きる期間は、2、3ヶ月だそうだ。ほぼ寿命をまっとうしたと言えるだろう。

カブトムシでも他の虫でも、命は命である。

命に重みの違いはあるのか、という問いに対して、真剣に向き合ったことはあるだろうか。

向き合ったところで、唯一無二の答えはないのだから、向き合うこと自体に意味がない、と思われるだろうか。でも、こういった類の問いは、考え続けることこそが大切だと思うのだ。そして、向き合うべきとも思う。我々は日々、他の命をいただいて、自分の命を維持しているのだから。

カブトムシは夜行性である。朝起きて見たら、土の中に潜っている。夜のうちにご飯を食べたり、活動したりする。

そのため、我々が「メスが死んでしまった」と知ったのは、おそらくメスが死んでしまってから少し後だろう。なにせ土の中にいるのだ。ここのところ見てないなあ、と思って土を少しガサゴソしてみたら、顔と胴体が分離したメスが出てきた。

儚い命である。一夏の間しか、あのかっこいい姿で、人の前に現れないのだ。こうやってカブトムシやクワガタは何千年もの間、子供達に観察され、大切なことを教えてきたのだろうか。

ペットを飼うことは教育上良い、という話を聞いたことがある。子どもに命の大切さを教えられるから。しかし、それが一つの命であるということと、真剣に向き合わねばならない。「子どもに命の大切さを教える」「ために」「ペットの命が失われる瞬間に」「子どもを直面させる」ということである。

それは果たして、「必ずしも」「プラスに」働くだろうか。果たして、本当に「命の大切さを教えている」のだろうか。「命の大切さを教えている気になっている」だけではないだろうか。

カブトムシは山で自然に生きていたのを、我々が捕まえて持ってきたのだ。そうしなければ、山で別の人生を歩んでいたことだろう。カブトムシの一生を「人」生と呼ぶのかどうかは別として。

答えが出るかどうかは別として、考えておく必要があると思った。考えがまとまらないが。

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