河野洋平氏の訃報について考えたこと
1.東アジアとの関係
慰安婦問題を認めた河野談話の是非が問われる。慰安婦問題があったかどうかは小生は歴史学者でもないので何も言及するつもりはないが、問題は、歴史学者でもない者が思想として、ましてや官房長官という立場でそれを認めた無責任さである。それがもし存在しないのであれば国のために戦った英霊たちに対しての侮辱である。とはいえど、これは韓国との良好な関係のために発されたものではあるのだろう。国益のためだといえば、確かに近代国家として、英霊達の名誉、世界に対する日本の威厳よりも
国益(ここでは国民の生活と定義)を優先させるべぎだろう。しかし、となれば慰安婦問題を認めたことにより得ることのできた国益というのは果たしてあったのだろうかというところが争点となる。
また、中国と韓国は速報で河野洋平の死を報じた。元首相ですらない者の死を速報で報じ、追悼もするわけだ。リベラル派から見れば、アメリカに偏らずアジアとの関係も大事にした結果だ。また、保守派からすれば確信犯だろう。
2.デタラメな総裁河野洋平
彼は与党(第2党)に戻るため、野党第一党であった社会党の村山富市を首相に迎え入れた。自民党の考え方とは180度真逆の社会党の党首を首相として迎え入れたことは、有権者に対する裏切り行為だと言える。また、明らかに社会党に有利な小選挙区制の導入を認めたのも彼である。これは、自民党に対する背反行為であったとも言える。実際、彼は1度自民党を離党したこともある。理念が合わない政党に居座り、ましてや誰も総裁になりたがらなかったあのタイミングを狙って総裁になる。それは政治家としてどうなのだろうか。
3.河野洋平の英断
とはいえ、彼がいたからひとまず政局を安定させられたという見方もできる。あの時代は、民主党時代とは違い、比較第一党はあくまでも自民党であった。だから首班指名選挙は、自民、共産以外の政党が代表者を選び担ぎ上げるというものだった。2025年の首班指名選挙における「玉木総理案」を現実にしたのがこの時代だ。まあ当然、政局が安定するわけがない。実際のところ細川内閣は半年、羽田内閣は47日で幕を閉じている。(※羽田内閣の終焉は社会党が連立を離脱したため。)実際、河野洋平が村山富市を首相にしたことにより政局は安定した。村山内閣が終わった理由も単に河野洋平が自民党総裁選で保守派の橋本龍太郎に敗れたからに過ぎない。1年も立たず総理が変わるような国は当然諸外国からも信頼されない。なので、自分が総理になることを諦めて政局の安定に徹した彼の判断は英断だったとも言えよう。
4.訃報から考えたこと
様々な意見が飛び交う河野洋平の急な訃報だが、去年の10月には村山富市元首相が亡くなった。そして、長らく共産党の議長を務めた不破哲三氏、もう既に時間は経ったが2019年には中曽根元首相も亡くなっている。これは時代の移り変わり、つまりは戦争を知る世代が消えていっていることを意味する。
戦争の悲惨さを誰が伝えていくかというのはもちろんのこと、方法も考えなくてはならない。はだしのゲン・火垂るの墓を規制しようという声があること。
これは教育現場から戦争を知る世代が居なくなったからという見方もできる。そして、平和学習は嘘や陰謀論になってはいけない。日本が諸外国に対して行った蛮行は酷だが伝え続けるべきだろう。しかし、行き過ぎた自虐史観を植え付けることで戦争を抑えようという考え方も大問題だ。これは平和学習そのものに対する信頼を損ねることとなる。また、小生が小学生の時平和学習のために被爆者の方々が講演に来たのだが、ある被爆者の方が「安倍晋三は北朝鮮と戦争するつもりだから支持してはいけない」と何も知らない小学生に教え込んだのだ。これももちろん平和学習そのものの信頼を損ねる行為だ。
小生達は、平和学習そのもののあり方について考えるべきなのではないのだろうか。
あとがき
率直に言って彼のことは嫌いです。
でも同時に戦争を知る護憲派が1人また亡くなったことに危機感を覚えたので本文を執筆しました。
彼がいなければもしかしたら自民党に改憲されていたかもしれません。
※改憲を全面否定する訳ではありませんが、やはり自民党の憲法案のような平和主義、国民主権、基本的人権に関わる条文をいじるのは基本的に反対です。もちろん、それもいいアイデアがあるのならばいいのですが今の自民党の改憲案を見る限りは…💦
