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​「どこ診てもらうねんなぁ」から始まった、タイムスリップした病室で見つけた温かい繋がり

(初めに、現在、入院生活9日目。7日間の絶食治療を終え、リハビリ食も始まり退院まで後数日と思われます。温かいコメントをいただき、とても闘病の励みになりました。本当にありがとうございました。)

夜中の慌ただしい入院。着の身着のままで病室に運ばれ、最初はただ用意されたベッドの上でぐったりと横たわっているだけでした。

それでも1日、2日と経つうちに少しずつ痛みが和らぎ、心と周りの景色にほんの少しだけ余裕が出てきました。

私が案内されたのは4人部屋。そこには、もう退院が間近だという、私より少し人生の先輩である二人の女性がいらっしゃいました。

カーテンの向こうからは、楽しそうなおしゃべりの声が聞こえてきます。「ここをこう押すのよ」と、80歳くらいの方にもう少しお若い方がスマホの操作方法を指南し、なんと最後にはこれからも友だちでいましょうねとLINE交換までされていました。

私は「お邪魔になったら悪いな」とひっそり息を潜めていたのですが……。
いざ退院されるその時。その方がわざわざ私のカーテンの向こうから、
「しんどいのに、騒がしくしてごめんなさいね」
と、優しく声をかけてご挨拶してくださったのです。

「うん?なんだろう、この感じ……」
見知らぬ人同士なのに、全く違和感のない、このごく普通の温かい関係性。

でも、普段の忙しい日常の中では、なんだかずっと忘れていたような懐かしさがありました。

これが、私の入院生活で最初に感じた、小さな「うん?」という気づきの始まりでした。

しばらくして、向かいのベッドに同世代の方がやってきました。私と同じ病気の方でした。

明るくて元気な、いわゆる「浪速パワー」にあふれるその方は、先生や看護師さんともワイワイ楽しそうにお話しされていました。

同じ病気だからお話を聞いてみたいな…と思いつつも、自分からグイグイいけるタイプではない私は、またしてもカーテンの向こうでひっそりと身を潜めていました。

そんなある時、ちょっとした事件が起きました。
大腸カメラの検査に向かわれる向かいの彼女が、専用の下着(検査用パンツ)に着替える際、

「どっちが前?後ろ?」
とおたおたされていたのです。
「看護師さーん!」
と呼ぶ声が聞こえましたが、あいにく看護師さんは席を外したあと。

そこで私は、過去の経験を頼りに、カーテン越しにそっと声をかけてみました。

「あの、穴が空いている方が、後ろやと思います…」

すると、カーテンの向こうから陽気な声が返ってきました。

「あ、そらそうですよね!前やったら、どこ診てもらうねんって話ですよね(笑)ありがとうございます。ご親切に~。」

このクスッと笑えるやり取りが魔法のように壁を取り払い、私たちはすぐに仲良くなって、いろんなお話をするようになりました。

「あれ? 人ってこんなに簡単に親しくなれたっけ? 会ってすぐなのに、この一体感は何だろう?」

不思議な感覚でした。でも、周りを見渡すと、そんな温かい空気は私たちの間だけではありませんでした。

リハビリのために廊下を歩けば、すれ違う患者さん同士で自然とアイコンタクトが生まれる。

ベッドで横になっていると、まるで昔のご近所付き合いのように、お互いを思いやる会話がBGMのように聞こえてくる。

看護師さんはもちろん、お掃除の方や配膳をしてくださるスタッフの方々まで、点滴棒片手にぼつらぼつら移動する私を、みんなが優しい声をかけ、温かく見守ってくれている。

効率化やスピードばかりが求められる外の社会では、いつの間にか見失っていた景色。

「ここは、どこか昔の時代にタイムスリップした場所なのかな?」

そんなふうに錯覚してしまうほど、そこは人と人との自然な繋がりがごく当たり前に息づく、温かい世界だったのです。

AIの技術が進めば進むほど、私たちは何でも一人で「自己完結」できる便利な時代を生きていけます。

でも、その分、人との関係性は希薄になりがちです。

​確かに、人と深く関わることは、時に煩わしく、疲れたり傷ついたりすることもあります。でも、人間は決して一人だけでは生きていけません。

煩わしさの向こう側には、この病室で感じたような「お互い様」の温かさや、人と関わることでしか受け取れない喜びや安心感が必ずあるのです。

​だからこそ、これからを生きる子どもたちには尚更、「傷つくことを恐れずに、いっておいで」と笑顔で送り出せる大人が必要なのだと思います。

​あらかじめ大人が正解を教えたり、失敗しないように壁を作ったりするのではなく。傷ついたりぶつかったりしながら、人間関係の絶妙な距離感を自分の肌で学んでいく姿を、ただ信じて見守る。

​そしてもし、壁にぶつかって傷つき、疲れ果てて戻ってきたとしても。

「また一緒に伴走するから大丈夫だよ」

と何度でも迎え入れたい。

戻ってきたことは決してゼロに戻ったわけではなく、勇気を出して外の世界に触れ、確かなものを手にして帰ってきた証なのですから。

​そうやって一歩ずつ、無理せずに自分らしい生き方の形を見つけていってほしい。

いつでも帰ってこられる安全基地として、そんなふうに子どもたちの隣を歩く「伴走者」でいるからと昭和の長屋のように温かい病院のベッドの上で、そんな事を考えていました。

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