空いたポストを狙うということ。
最近、周りの景色が少し変わってきたなと感じています。 なぎです。
ここ数ヶ月、仕事をしていると「あの人がいなくなった」「このポジション、誰が入るんだろう」という話を耳にする機会が増えました。組織というのは生き物で、人が動けば当然、空白が生まれる。そしてその空白には、必ず誰かが入っていく。
今日はそのことについて、少し書いてみようと思います。
さて、ここから本題に移っていきましょう。
▶︎ 優秀な人が抜けていく、というリアル
組織にいると、こういう瞬間があります。
「あの人、辞めるらしいよ」
そのニュースを聞いたとき、最初に感じるのは何でしょうか。寂しさ、惜しさ、不安。いろんな感情が混ざるかもしれません。でも、その少し後に、もうひとつの感覚が静かにやってくることがある。
「このポジション、どうなるんだろう」
特に、その人がチームの中で核を担っていたような人物であればあるほど、残された空気は少し複雑になります。プロジェクトへの影響、引き継ぎの問題、新しいリーダーへの期待と不安。組織というのは意外と繊細で、ひとりのキーパーソンが抜けただけで、構造ごとゆらぐことがある。
でも同時に、これは機会でもあります。
▶︎ タイミングが作るキャリアの地形
キャリアについて考えるとき、「実力があれば自然と上がっていける」という考え方があります。努力や成果を積み重ねれば、いつか認められる、と。
もちろんそれは正しい部分もある。でも実際のキャリアを振り返ったとき、「実力だけで動いた」と言える人はほとんどいないのではないかと思うんです。
地殻変動は、静かにやってきます。
会社が合併した、事業部が新設された、大きなプロジェクトが立ち上がった、長くいたリーダーが離れた。そういった「組織の変化」の瞬間に、ふと視界が開けることがある。それまで埋まっていた席が、空く。
そしてその空席に、誰が座るのか。
このタイミングで動けた人と動けなかった人の間に、数年後、大きな差がついていることがあります。実力の差というよりも、「その瞬間に手を挙げられたかどうか」の差として。
▶︎ 期待されているというサイン
もし今、自分の周りで誰かが抜け、その後継について周囲の目線が自分に向いているとしたら。あるいは誰かから「このポジション、あなたに向いているんじゃないか」と言われたとしたら。
それは、ひとつのサインだと思うんです。
組織の中で「あの人が適任かもしれない」と思われるには、実はある程度の積み重ねが必要です。日々の仕事ぶり、判断の仕方、周囲との関係の作り方。そういったものが少しずつ積み上がって、「あの場面ならあの人だ」というイメージが生まれる。
気づかないうちに、そのイメージが自分に向いていることがあります。
急に降ってきたように見えて、実は静かに積み上がってきたものが、ある瞬間に可視化されただけかもしれない。そう考えると、「期待されている」というのは、今この瞬間に与えられたものではなく、過去の積み重ねへの応答なのかもしれません。
▶︎ 苦しいときに、どれだけ踏ん張れるか
ただ、こういうタイミングはたいてい、楽なときには来ません。
空席が生まれるのは、組織が揺れているタイミングであることが多い。つまり、周囲も落ち着かない、課題が山積みで、自分自身も余裕がないという状況で、新しい役割が目の前に現れることが多い。
きつい。そう感じるのは、当然のことだと思います。
でも少し引いて見ると、このタイミングに「どれだけやれるか」が、後から振り返ったときに大きな意味を持つことが多い。
これは精神論を言いたいわけではなくて、構造的な話です。
余裕があるときに頑張るのは、誰でもある程度できます。でも、環境が不安定で、自分も消耗している中で、踏ん張った人間に対して、組織は長く覚えている。「あのしんどい時期に、あの人は動いていた」という記憶は、想像以上に残り続けます。
苦しいからこそ、今どれだけやれるかが問われている。そう思えると、少しだけ見え方が変わるかもしれません。
▶︎ 空席を「狙う」ことへの後ろめたさについて
ここで少し立ち止まって考えたいのが、「空席を狙う」という言葉の感触についてです。
これを言葉にすると、どこか打算的に聞こえることがある。前任者が離れたことに便乗しているような、あるいは状況を利用しているような、そういう後ろめたさを感じる人もいるかもしれません。
でも、それは少し違うと思うんです。
誰かが抜けたことを「好都合だ」と思うのと、「このポジションに自分が貢献できるかもしれない」と考えるのは、全くの別物です。前者は不在を都合よく使おうとしているけれど、後者はその空白に何かを埋めようとしている。どちらも同じ状況を見ているのに、向いている方向が違う。
空席を狙うというのは、本来、組織のためになりたいという動機と重なっていていいはずです。そこに座りたいのは、そこから何かができると思っているから。そう言えるなら、それは打算ではなくて、志と呼んでいいものだと思います。
▶︎ 今ここにある機会を、どう受け取るか
キャリアを長い時間軸で見たとき、「あの分岐点」と呼べる瞬間は、後から気づくことがほとんどです。あのとき手を挙げていなければ、あのプロジェクトに関わっていなければ、あの変化の波に乗っていなければ、今の自分はなかった。そういう体験を持っている人は、少なくないと思います。
逆に言えば、その分岐点は事前に「これが分岐点だ」と明示されることはほとんどない。
気づいたときにはもう、波は行ってしまっている。
だから、今目の前にある変化のタイミングが、もしかしたらそのひとつかもしれないと思えるのなら、それはそれだけで十分な理由になるのではないか、と私は思います。
環境が苦しい中でどれだけやれるか。期待に応えられるかどうかわからなくても、動くかどうか。その選択は、誰かが代わりにしてくれるものではないし、後で取り戻せるものでもない。
今しかない、というのは使い古された言葉だけれど。
タイミングというものは、本当に一度きりの形で来るんだと、最近改めて感じています。
空席を狙うことは、狡さではなくて、ひとつの誠実さだと私は思っています。その場所に何かを持って行けると信じているなら、なおさら。
