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論語でつぶやきno.375   子路曰わく、桓公公子糾を殺す。召忽之に死し、管仲は死せず。・・・・・・

子路曰わく、桓公公子糾を殺す。召忽之に死し、管仲は死せず。曰わく、未だ仁ならざるか。子曰わく、桓公諸侯を九合するに、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。」

Geminiの解説
現代語訳

子路(しろ)が尋ねた。 「(斉の君主争いで)桓公が兄の公子糾(こうしきゅう)を殺した際、糾に仕えていた召忽(しょうこつ)は殉死しましたが、管仲(かんちゅう)は死なずに(仇敵であるはずの)桓公に仕えました。管仲にはまだ『仁』が備わっていなかったのでしょうか(不忠ではないでしょうか)。」

孔子はお答えになった。 「桓公が(バラバラだった)諸侯を九度も招集して天下を一つにまとめた際、武力(兵車)に頼らずに済んだのは、すべて管仲の力によるものだ。 その功績こそが『仁』なのだ。これほどの『仁』が他にあろうか、いや、ない。


🧐 解説:個人レベルの「忠」か、世界レベルの「救済」か

この対話には、非常に高度な政治哲学が含まれています。

1. 子路の疑問:武士道の先駆けのような「義」

子路にとっての正義はシンプルです。「主君が殺されたなら、自分も死ぬのが筋(忠義)」という考えです。生き恥をさらして仇に仕えた管仲を、子路は「卑怯で仁がない男」だと疑いました。

2. 孔子の反論:文明を救った「大きな仁」

孔子は、管仲の行動を「個人の節操」という狭い枠組みではなく、**「何万人の命を救ったか」**という視点で評価しました。

  • 九合諸侯(きゅうごうしょこう): 諸侯をまとめ、無駄な戦争を終わらせたこと。

  • 不以兵車(ひょうしゃを以てせず): 武力ではなく、外交と礼(秩序)によって平和を実現したこと。

孔子は、もし管仲が子路の言うように殉死していたら、天下はさらに混乱し、多くの民が死んでいただろうと考えました。「小さな節義(個人的なメンツ)」のために「大きな功績(文明の安定)」を捨てるのは、本当の「仁」ではないと断じたのです。


💡 現代における教訓:リーダーシップの「結果責任」

現代社会においても、この「管仲の評価」は非常に示唆に富んでいます。

  • プロフェッショナリズムの本質: 自分の感情や過去のしがらみよりも、自分の才能を「社会のどこで使えば最大多数の幸福に貢献できるか」を基準に判断すること。

  • ミクロの正解、マクロの正解: チーム内での義理を果たすことも大切ですが、それによって組織全体や社会が不利益を被るなら、それはリーダーの「独りよがり」になる可能性があります。


🚩 まとめ:孔子は「しなやか」だった

孔子は決して、型通りの道徳を押し付ける人ではありませんでした。 「死んで花実が咲くものか、生きて文明を支えることこそが最高の徳である」という、管仲に対する孔子の評価には、「平和と文化を守る実力者」への深いリスペクトが込められています。

実はこの直後の章句で、別の弟子の**子貢(しこう)も同じ質問を孔子にぶつけます。そこで孔子はさらに踏み込んで、「管仲がいなければ、私たちは今ごろ野蛮な格好をしていただろう」**と、管仲が中国文明そのものを守ったことを称賛します。


以上がGeminiの解説
何かこの社会は野球リーグのようだ。
リーグで最下位のチームの選手が、強いチームに引き抜かれ、そのチームは次のリーグで優勝する。

チームが最下位になった時に、その責任を取って辞めてしまったら、もうその選手は野球リーグで活躍することは無い。

チームに残って努力するか、転籍して活躍するか、生き残っていれば、花を咲かせることが出来る。

一般社会や会社も野球リーグと同じようであればいいね。
私が知っているある会社は、同じ大学の人しかとらないところがあった。

ある業界では、同業他社への転職を面白く思わないため、同業他社に、うちの会社の元従業員は雇わないように言っているところもあるね。

無駄な血を流さなくて済むよう、転職も無駄なフィルターがかからないような世の中になればいいね。

孔子は桓公のことを正々堂々と正しいことを行い偽りのない人だと評価している。
しかし、相棒の杉下右京は絶対に兄を殺した桓公のことは許さないよね。

この論語から読み取るに、台湾を吸収するときは、台湾の権力者を討伐して一つの中国になってよかったというようなストーリーを描いているんだろうね。


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