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火災報知器が鳴っても人は「動けない」― 知識と行動の間にあるもの ―

火災報知器が鳴った

会議の途中、突然、火災報知器が鳴った。
部屋に警報音が響く。

一瞬、空気が変わったように感じた。しかし、誰も席を立たない。会議はそのまま続き、私も「誤報だろう」と思い、その場で様子を見ていた。

結果として、本当に誤報だった。
何事もなく終わった出来事である。

それでも、あとから振り返ると、一つの疑問が頭から離れなかった。

もし、本当の火災だったら、私たちはどうしていただろう。


知っていても、人は動けない

この出来事で思い浮かんだのが、「正常性バイアス」という言葉だった。

人は異常な出来事に直面すると、「きっと大丈夫だろう」「いつも通りだろう」と考え、危険を過小評価してしまうことがある。

私はこの心理を知識として知っていた。
だから、自分は冷静に判断できると思っていた。

しかし、現実は違った。
火災報知器が鳴った瞬間、頭で知っていた知識よりも、「誤報ではないか」という感覚の方が先に働いたのである。

さらに、周囲に目を向けると、誰も慌てていない。その光景を見ているうちに、「まだ避難する状況ではないのだろう」という空気が自然に生まれていた。

今振り返れば、その場にいた誰もが同じように考えていたのかもしれない。

これは誰か一人の判断ミスではない。
人は集団の中で判断する生き物であり、そのことを私自身が身をもって体験した出来事だった。


避難訓練は何を訓練しているのか

今回の経験で、避難訓練の意味を改めて考えた。

避難訓練というと、避難経路を確認するためのものという印象がある。

もちろん、それも大切である。
しかし、本当に訓練しているのは、「火災報知器が鳴ったら動き出す」という最初の行動なのではないだろうか。

非常時、人は思っているほど冷静ではいられない。
知識があっても迷うし、周囲の様子にも影響される。

だからこそ、冷静さに期待するのではなく、迷っていても自然に動ける仕組みをつくることが大切なのだと思う。

避難訓練の目的は、人を変えることではなく、組織の行動を習慣にすることなのかもしれない。


誤報だったから終わった話ではない

今回は誤報だった。
だから、何事もなく終わった。

しかし、本当に重要なのは、「誤報だった」という結果ではない。

あの日、私は動けなかった。
そして、おそらくその場にいた多くの人も、「まずは様子を見よう」と考えていた。

そのこと自体が、人間の自然な反応なのだろう。
だから必要なのは、「もっと冷静になろう」という精神論ではない。

人は迷うものだという前提で、どうすれば最初の一歩を踏み出せるかを考えることである。

今回の警報は火事ではなかった。
けれど、私にとっては、人間の心理と組織のあり方を考え直すきっかけとなる「警報」だった。

そして今、私自身に問いかけている。
次に火災報知器が鳴ったとき、私は迷わず動けるだろうか。

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