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私と「フジファブリック」

「虹」から始まった関心

フジファブリックを知ったのは2009年の夏だった。大学の先輩に「最初はこれがいい」と勧められて聴いたのが「虹」だった。
一度聴いただけで衝撃を受けた、という言い方は正確ではない。ただ、聴き終わったあとに不思議と旋律が頭に残り、もう一度再生していた。強く主張するわけではないのに、こちらの意識に静かに入り込んでくる。そういう曲だった。

当時は、バンドの背景や文脈を深く知ろうという聴き方はしていなかった。ただ、日常の中でふと流したくなる音楽として、フジファブリックは少しずつ自分の中に居場所をつくっていった。

志村正彦の訃報

その年の12月24日、志村正彦が亡くなったというニュースを知った。まだライブにも行っておらず、ファンを名乗るほど聴き込んでいたわけでもない。それでも、目に入ったその一報は、なぜか強く印象に残った。
「これから知っていくはずだったものが、もう更新されない」という事実を、頭ではなく感覚で受け取っていたのだと思う。

その夜、カラオケに行き、フジファブリックの曲を何曲も歌った。上手く歌いたいという気持ちより、声に出して確認しておきたい、という感覚に近かった。喪失感というほど大げさなものではないが、確かに何かが終わったのだと、自分なりに整理する時間だった。

「CHRONICLE」という到達点

志村時代のフジファブリックで最も印象に残っている作品が、4thアルバム『CHRONICLE』である。ストックホルムまで行って制作され、全曲が志村の作詞作曲によるコンセプトアルバム。
この作品を聴いていると、曲を楽しむというより、志村の思考の流れに付き合っているような感覚になる。

それまでの作品に比べて、歌詞は明らかに内省的で、感情や迷いがそのまま言葉になっている。決して説明的ではないが、誤魔化しも少ない。その正直さが、聴き手の側に余白を残しつつ、強く作用してくる。
このアルバムを通して、フジファブリックは「少し変わったポップバンド」から、「固有の世界を持つ表現者集団」へと印象が変わった。

「MUSIC」に残された言葉

志村の死後に発売された5thアルバム『MUSIC』の中では、「bye bye」が特に心に残っている。
この曲には、感情を前面に押し出す強さはない。むしろ、時間が経ってから振り返るような視点で、失われた関係や未来への思いが描かれている。

「若者のすべて」にも共通するが、志村の歌詞は、誰かを断罪したり、感情を単純化したりしない。後悔も希望も同時に抱えたまま、遠くから相手の幸せを祈るような距離感がある。
それは、若さゆえの激情というより、すでに一段引いた場所から世界を見ていた人の言葉のようにも感じられる。

変化としての山内時代

2011年以降、山内総一郎がボーカルを担うフジファブリックについて、「はっきりと別のバンドになった」と言う人もいる。その感覚自体は理解できる。
確かに、歌詞は志村時代ほど直接的ではなくなり、全体として整理され、メロディもよりキャッチーになった。山内がギタリストだったとは思えないほど歌唱力を伸ばしていったことも印象的だ。

ただ、それを単純に「個性が薄れた」とは思わなかった。志村がいなくなっても、志村のDNAを感じさせる曲は確かに存在していたし、時間が経つにつれて、山内や他のメンバーの色が濃くなっていくのは、バンドが生き物である以上、自然な流れだと思う。
もし志村が生きていたとしても、音楽が同じ場所に留まり続けたとは考えにくい。実際、志村時代の終盤には、その変化の兆しがすでに見えていた。

続けたことの意味

志村の死から15年が経った2025年、フジファブリックは活動休止を発表した。振り返れば、志村が在籍していた期間はメジャーデビューから数えて僅か5年余りであり、その後の時間の方がはるかに長い。
その間、彼らは「志村のいないフジファブリック」であることを引き受けながら、名前を守り、更新し続けてきた。

「若者のすべて」が多くの人に知られる名曲となり、音楽の教科書に載ることが決まったという話を聞いたとき、続けてきたことの重みを改めて感じた。
苦しい時期もあっただろうし、簡単な選択ではなかったはずだ。それでもフジファブリックは解散せず、活動休止という形を選んだ。
今振り返ると、その判断は、過去を否定せず、未来を閉ざさない、彼ららしい終わり方だったように思う。

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