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仏陀の教え!「どうでもいい」が最強の武器になる。人生を楽にするたった一つの真理

こんにちは。
西炎です。
今回は仏陀の教えのうち、どうでもいいということについてテーマにしたいと思います。

仏陀の説法

弟子
「どうすれば悩みを解けるでしょうか?」

仏陀
「一切の形成されたものは無常である」と明らかな智慧を持って観察するときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。」
「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな智慧を持って観察するときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。」

仏陀のどうでもいいとはどうでもいいと思うことではない

仏陀のどうでもいいと思うことは、どうでもいいと思うことではありません。
仏陀の教えにおける「どうでもいい」は、決して無関心になることや、責任を放棄することではありません。
それは、以下の2つの意味を持ちます。

1. 結果への執着を捨てること
私たちは、行動する際に、必ず良い結果を求めます。
しかし、結果は常に自分の力でコントロールできるものではありません。
仏陀の教えは、努力はするものの、その結果に過剰に期待したり、結果が悪かったからといって自分を責めたりする執着を捨てることを説きます。

2. 感情への執着を捨てること
怒りや悲しみ、嫉妬といった感情は自然に湧き上がってきます。
これらの感情を無理に抑え込むのではなく、客観的に観察し、「これは自分の感情だ」と受け入れた上で、感情に振り回されないようにする訓練です。
感情的に観察することが達人の域に達すれば、その感情自体を非人間的なものとして観察でき、感情に支配されなくなります。

一般の人が思う、どうでもいいと思うことはたとえば何かの悩みがあるときに、それに対してどうでもいいと思うことで悩みを過小評価し、気にならなくなるという理屈だと思います。
しかしこの理屈には大きなデメリットがあります。

それはどうでもいいと思った瞬間に捨て鉢になったときのような感情が生じることです。
その結果、ネガティブ思考であるので、自分の運命や人生を悪化させてしまうわけですね。

ババジと執着

マハヴァター・ババジとして知られるヨガの行者の教えは、執着について深く言及しています。

ババジの教えでは、執着(アタッチメント)はエゴ(自我)の現れであり、悟りの道を妨げる主要な障害の一つだとされています。
彼は、愛と執着は別のものであると説き、執着を手放すことの重要性を強調しています。

愛と執着の区別
ババジは、執着なき愛の重要性を説いています。
家族や友人、パートナーを愛することは大切ですが、それらを「自分のもの」として所有しようとする気持ち(執着)は、苦しみを生み出す原因となります。
彼は、私たちが愛する人々の死すべき運命を忘れてはならないと教えています。

執着の根本は「自我(エゴ)」
執着は、私たちの心が「これは私のものである」「私がいないとダメだ」と考えることから生まれます。
これは、エゴが自己の存在を表現するための手段です。
執着を手放すことは、このエゴを弱める第一歩となります。

義務と執着は別
私たちは、家族や社会に対して責任や義務を果たす必要があります。
しかし、ババジは、これらの義務と執着は別物であると説いています。
執着がなくても、義務は果たせるのです。
例えば、子供を愛し、育てることは親としての義務ですが、子供を自分の思い通りにコントロールしようとすることは執着です。
執着を手放すことで、私たちはより純粋で効果的な愛を表現できるとされています。

瞑想による執着からの解放
ババジの教えにおいて、クリヤ・ヨーガのような瞑想の実践は、執着を手放すための重要な手段です。
瞑想を通じて、私たちは内面の感情や思考を客観的に観察し、何に執着しているのかを理解することができます。
この深い自己認識が、執着の鎖を断ち切る力となります。
ババジは、執着を手放すことは、愛や責任を放棄することではなく、それらをより高い意識レベルで実践することだと教えています。
それは、自己中心的な愛から、無条件の愛へと移行するプロセスなのです。

以上が賢者ババジの言葉です。
愛、地球では非常に陳腐に愛という言葉を使います。
別離のときに苦しみを伴うものはすべて所有欲が必ず入った偽の愛です。
真の愛とは観察し、対象をただ理解することにあります。
理解すれば、対象は必ず変化し、やがて消滅し、別離を迎えることが明白です。
そのため別離で悲しむことがないわけです。
これが真の愛です。

仏陀のどうでもいいを理解しよう

何かの悩みが出たとき、通常人間はその悩みで心や意識を支配されます。
これは意識が悩みに染まった状態です。

人間の意識は湖や鏡と非常に似ています。
湖は鏡のように対象を映します。
きれいな山を映すこともできれば、醜いものもそのまま映します。

悩みで支配されているとき、意識はその悩み自体を映し、他のものが映りません。
これを混乱といいます。
しかしこのとき、少しだけ冷静になれればどうでしょうか?
きっとその事態をありのまま映せるでしょう。
そして物質的に悩みを解く可能性もはじめて出てくることになります。

仏陀の教えは、悩みを根本から解決するための道を示しています。
それは、単に問題の解決策を教えるだけでなく、悩みそのものが生まれるメカニズムを理解し、心を変化させることを目的としています。
つまり物質的に悩みを解くことを言っているわけではありません。
なぜならたとえば今お金がないということで悩んでいるとして、お金を獲得する方法がわかりお金を得たとしましょう。
しかし所詮お金は物質、そしてあなたも物質であり、消滅することが最初から定められています。
ですのでお金を獲得する方法を発見しても特に意味はないのです。
そしてそのお金を獲得する方法も、資本主義の変質によっていつまでも続く方法ではありえません。

仏教では、私たちの悩みや苦しみを四苦八苦(しくはっく)として体系的に捉えています。
これは、人生における根本的な苦しみ(生、老、病、死)と、愛するものとの別れや、嫌いなものとの出会いなど、日常的な苦しみを指します。

仏陀は、これらの苦しみの原因は、執着(しゅうじゃく)と無明(むみょう)にあると説きました。

執着
「こうあってほしい」「これが欲しい」という、自分の思い通りにならないことへの執着。

無明
物事の本質や、世の中の真理を正しく見ることができないこと。

ちなみにババジも執着について指摘しています。
人間はどうしようもないことをどうにかしようとしているので苦しいのだという感じにですね。
そしてそれを無謀な挑戦というような表現もしています。

たとえばお金を得ようとしても、お金を払うのは相手です。
つまりあなたが自由にコントロールできません。
強力な洗脳術でも知らない限り相手に強制的にお金を払わせることはできません。
(とはいっても洗脳もいつか解けるものではありますが)

無明というのは非常に深い概念です。
たとえば日本で最高の学府といえば東京大学です。
世間的にはすごい大学ですが、ここの教授でもいずれ失う定めにある地位に固執しているなどは無明、つまり無知となります。
この世のすべては失うものでしかなく、少なくても次の瞬間にはもう変化します。
固定的なものはこの世に1つもなく、すべて維持しようということ自体が無謀な試みで、間違った考えや試みは必ず苦悩を招きます。
たとえばずっと一緒にいたいという恋人や家族がいても、そういうことは絶対にできません。
必ず別れがくるためです。
仏陀のような賢者は、そういうことを志向せず、変化するものであると知った上で思考と感情を持つので苦悩を招かないことを知っていました。

無明とは良い大学に入るかどうかの暗記量を鑑定する尺度でなく、法則といった定めを経験的に熟知し、それに沿って考え行動できるかどうかという意味です。
愛する人や物を失ったときに悲しむのは無知の証拠であり、いずれ失うことは当たり前なので悲しむ必要がない、そういう心の姿勢を取れることを知恵者というわけですね。

仏陀の悩みの解決方法

仏陀の悩みを解く方法を見ていきましょう。
仏教では八正道といいますが、なるべくわかりやすくお伝えしていきます。

悩みの原因を見つめる(正見)
まず、自分の悩みが何から来ているのかを冷静に見つめ直します。
「なぜ私はこんなに辛いのか?」「何に執着しているのか?」と、自分自身に問いかけてみましょう。
たとえば、「人間関係がうまくいかない」という悩みは、「相手にこうしてほしい」という執着や、「良い人間関係を築かなければならない」という固定観念(無明)から来ているのかもしれません。

受け入れる心を持つ(正思惟)
次に物事は常に変化するという諸行無常(しょぎょうむじょう)の真理を理解します。
世の中の出来事は、自分の思い通りにならないのが当たり前です。
特に相手がある悩みは相手に関することはコントロールできません。
コントロールできないものに期待したりするので、その通りにならず苦しむわけです。
その事実を受け入れることで、執着が薄れ、心に余裕が生まれます。
完璧を求めず、今できることに集中することで、悩みから解放される一歩となります。

瞑想を実践する(正定)
心を落ち着かせ、自分自身を深く見つめる時間を作りましょう。
サティパターナ瞑想は、呼吸に意識を集中させることで、頭の中の雑念や感情を客観的に観察する練習です。
これにより、感情に振り回されることなく、悩みの本質を冷静に見抜く力が養われます。

感謝の心を持つ(正念)
ここまでの結果を踏まえて正しく考えることを意識します。
当たり前だと思っていることにも、感謝の気持ちを向けてみましょう。
食事をできること、温かい布団で眠れることなど、日常の小さな幸せに気づくことで、心が満たされ、執着や不足感からくる悩みが和らぎます。
苦しいときには絶対に考えのどこかが間違えています。
苦しみとは人間に自身の考えの間違いを気づかせる警告でもあります。

仏陀の教えは、魔法のように悩みを消し去るものではありません。
しかし、日々の実践を通して、悩みに向き合う心の姿勢を少しずつ変えていくことで、どんな困難にも揺るがない、穏やかな心を育むことができるでしょう。

仏陀のどうでもいいをもう少しわかりやすく

昔、坂本龍馬という偉人がいました。
ものすごい剣の達人でしたが、龍馬は一生人を殺さなかったという意味でも達人でした。
よく倒幕のために京都にきていたそうですが、京都では新選組などがいていつ斬られるかわからない時代でした。

そんな京都で知人と歩かないといけませんでした。
すると向こうから新選組のメンバーが数人歩いてきます。
当時の京都は3人並ぶと道を歩けないほど狭かったようで、逃げも隠れもできません。
知人はすぐに逃げようといいました。
しかし龍馬をそれを制止し、このまま行こうといいます。
どんどん両者の間は縮まっていきます。
すると直前になって龍馬は道の脇にいる猫を抱き上げかわいがります。
当然そのときの顔は殺気とは程遠いものでほんわかしたものでした。
その表情に新選組も気を抜かれ、堂々とその道を龍馬一行に通らせてしまったのでした。

この逸話にはいくつかの法則が隠れています。
非常に深い話で、まず逃げると相手は追ってくるということで、マイナスはダメということです。
また逆に向かっていくと衝突して斬りあいになります。
つまりプラス行動もダメということです。
そして別の対象という猫に向かったということです。
別の方向に気が向かったので、相手も気を削がれてこちらに来なくなったということです。

悩みもどうでもいいと結論づけるのはこの逸話でいう逃げることでダメです。
悩みに向かっていくこと、つまり悩みをどんどんと考えて深い悩みにしていくこと、これも衝突でダメですね。
つまり別のことに気を抜くこと、これが正解です。
ですのでたとえば

・趣味に集中すること
・仕事に集中すること
・いったん悩みを忘れて散歩しにいくこと

というように別のことに集中することが正解というわけです。
要するに「今ここ」に意識を集中させれば良いというわけです。

あなたの悩みはあなたではない

悩みを持つと、意識がその悩みに染まると書きました。
このときの存在形態を分類します。

・意識
・悩みの対象を持つ想念

この2種類があります。
これは瞑想をしないとまずわからないのですが、意識の最奥は常時悩みとは無縁の存在です。
つまり絶対に悩むことはないわけです。
これを本当の自分といっても良いでしょう。

しかし物資的自我は物質的に弱く、もろいです。
そして悩みの対象を考えていくと、その悩みの対象と内的に距離が取れなくなり、ついに一体化してしまいます。
悩みを持っていると、ふと何をしなければいけないのか忘れたりしたことはないでしょうか?
これは意識いっぱいに悩みが占められて、キャパがなくなっているためです。

しかしよく観察すればその悩みの対象はあなたではありません。
たとえば収入が少ないとしても、収入はあなたとイコールではありません。
また収入の金額は永久不変に変化しないものでなく、明日上がるかもしれませんし、下がるかもしれません。
この世に現実というのは存在せず、すべてが現状に過ぎないわけです。
しかし悩みを持っていると、その悩みは現実といった固定的でずっと続くように見えるものです。

ただしそれは確実にあなたが死ぬときに完全に消滅する問題であり、また少なくても次の瞬間から変化してくるものなのです。

悩みと自分とを切り離し、区別することは非常に重要です。
ここができないので絶望し、自殺してしまう人が出てくるのです。

仏陀の悩みを解く方法と中国気功の真髄

私もヒーリングの依頼をしばしば受けるのですが、たとえばお金がないとか、仕事を失いそうというときに当たり前ですが意識は混乱し、悩んでいます。
しかしこの状態は悩みを解決できないと自身で断定しているのと同じです。
ですので解決に通常向かいません。
解決したい問題があるときほど、

・まず冷静になる
・そして安心する
・解決はするのだと緩く思う

ということが解決の前提条件となります。

仏陀のどうでもいいを実践してみよう

仏陀はただ呼吸を観察するという瞑想を繰り返しました。
一切の想念をストップし、それを完全に無視して呼吸という対象に集中する練習です。
それによって

・対象と内的な距離がとれる
・対象を正確に理解できる
・思い込みを完全に捨てることができる

ということがはじめて可能となります。

これを日常で行うことが悩みを解く方法といえます。
悩みがあるときほど

・冷静になる
・今ここに意識を置く
・あえて強制的に考えない

ということをしてみましょう。
これこそが仏陀の悩まないという心の姿勢の取り方というわけです。

悩み自体を消滅させる仏陀の教え

仏陀は悩むこと自体を消滅させる方法を説いていたわけですね。
たとえばお金に困っているとしましょう。
一見すると悲惨かもしれませんが、冷静に観察しましょう。

・お金が足りないという事実がある
・しかし自分にはさまざまな経験がある
・また他にも持つ資産がある

お金が足りないというのは現状としては事実であり、ただそれだけのことです。
それを悲惨で大変だと評価するので本当に大変になり、気功でいうところの解決できない問題となってくるのです。

冷静に見れば反面メリットもあります。
経験、資産など必ず持つものがあり、それらを生かして淡々とできることをしていくわけです。
このできることをしていくときも評価をしないようにしましょう。
評価をすれば大変となりますので、できることを探し、それをただ淡々と思うことなく実行するのです。
それが仏陀のどうでもいいと思うことの本当の姿です。

物質的にすべての問題や悩みを解決する方法

仏陀の教えとは、精神的に悩みを解く、あるいは悩まないことを説いたものでした。
私もこの教えに全面的に同意ですが、あと1つだけ追加したいことがあります。
この世は所詮エネルギーです。
すべての問題はエネルギーで解決できます。
まず潜在意識というものがあり、その情報は未来に現実化するものですが、これを書き換えると意外と簡単に悩みを物質的に解く方法が見つかったりします。

・まず悩みが出ればその状態を認識する
・あまり考えない
・できるだけ冷静になる
・いったん問題を忘れる
・この後に祝詞をかけて潜在意識を書き換える

という手順を踏みます。

参考リンクを貼っておきますので、自分のその悩みに対しての潜在的可能性をすべて一気に出して解決に向かわせたいときにお待ちしております。









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