スラッガーの期待打点数
「22本37打点」と聞いて、ピンとくる人もいるだろう。これは一種のネットミームかもしれないが、2003年のシーズンに横浜の古木克明が記録した本塁打数と打点数である。ネットミームとなった理由は、この年の古木の打撃や守備の成績が芳しくなかったことも大きな要因だろうが、とりわけこの数字について言えば「本塁打22本にしては37打点はあまりに少なすぎる」という点に尽きるであろう。
チームメイトの中村武志は半分の11本塁打で同じ37打点だし、同じ11本塁打の佐伯貴弘は古木と同じ73安打で古木を上回る46打点を記録している。これらと比べれば、確かに古木の打点数には物足りなさを感じるだろう。では古木が何打点挙げていたら、ファンはひとまず納得していただろうか。
この問いをもう少し普遍化すると、22本塁打を放ったバッターにとって、ファンが納得するような打点数とは一体いくつだろうか。それを考察したのが本稿である。とはいえ「ファンが納得するような打点数」ではファンの数だけ答えがあろう。これをもうちょっと数学的に求めてみよう。
まず、各打者のシーズン本塁打数ごとに選手を振り分け、各本塁打数ごとにその全選手の打点を合計する。シーズン0本塁打の選手が100人いたら、その100人分の打点数を合計する。これを1本、2本、…と本塁打数の別に計算していく、ということだ。
次にこれを、本塁打数ごとの打者数で割る。あるシーズンに2本塁打の選手が100人いてその合計が1234打点なら、この答えは1234÷100=12.34となる。つまりこのシーズンに2本塁打を打っていた選手は、平均して12.34打点を記録していた、と説明されるわけである。そしてこれをシーズン単位でなく全年度全選手で計算すると、本塁打数別のNPBの通算平均打点数が算出される。
本稿では1936年から2024年までの全シーズンを対象に、シーズンごとの平均と、それら全て、つまりNPB通算での平均とを算定した。それをグラフにしたのが次の表だ。

全体的に見て右肩上がりのモザイク模様ができあがっているが、これは本塁打が多ければ打点も多い、という傾向を示しているので当然である。このモザイクの真ん中をかなりきれいな1本の線形に並んでいるのがNPB通算の平均である(点が目立つようにしてある)。その線形が35本塁打あたりからばらけてくるのは、サンプル数(本塁打数ごとの延べ打者数)のせいだろうか。実際34本塁打まではサンプル数が45件を下回らないが、35本では34件しかなく、以下ほぼ減少の一途である。
シーズンの値も含めた全体的な傾向はこのグラフに現れるのだが、いかんせん点が多すぎてさすがに煩瑣なので、通算平均と、本塁打数ごとにシーズン平均の最小値と最大値だけに絞ったのが次のグラフである。

実は最小値と最大値には、ほとんど意味がない。例えば最大値について言えば、30本塁打90打点が10人いるシーズンよりも30本塁打100打点が1人しかいないシーズンの方が平均打点数は高くなるのだが、この2つのシーズンに優劣の差をつけるのはナンセンスな話であろう。この表においては、あくまで「過去のシーズン本塁打別の平均打点数は、青い点からグレーの点の範囲内で記録されている」という、範囲を示すだけの意味しかない。
というわけで範囲が分かるよう少し大きめに最小値と最大値を表示しているが、通算の平均打点数は、両者と比べても非常にまとまった線形を示しているということが分かる。その平均値に沿ってグラフ上に引かれた曲線は、表計算ソフトで累乗の近似曲線を計算させたものであり、グラフに書かれた数式で表される。
$$
期待打点数=9.4221×本塁打数^{0.6532}
$$
この数式は「本塁打数に対して平均的に記録されてきた打点数を求める式」であるが、「本塁打数に対して平均的に期待される打点数を求める式」と言い換えてもよいだろう。この「期待される」というのは数学的な期待値という意味ではなく、過去の記録から経験則的に期待される打点数であり、それはまさに「ファンが納得するような打点数」と言えるのではないか。
この式に出てくる細かな係数を、我々が覚える必要はない。数式の根拠となる本塁打と打点はNPBの公式記録に基づいているが、特に1950年代ぐらいまでの記録は、今なお検証の結果記録が修正されることがある。そうなればこの係数はたちまち(ごくわずかに)変わってしまう。過去の記録を根拠にする数式全てに言えることだが、係数は錦の御旗のように掲げるものではない。
それに本塁打の0.6532乗なんて、暗算できるようなものではない。だから数式で覚えるのではなく、数式に本塁打数を当てはめて算出した期待打点数を覚えるほうがはるかに楽である。

この計算式で計算された期待打点数と通算平均打点数を並べたのが上の表だが、過去の実績である平均打点数との乖離は35本塁打未満ならほぼ1点以内に収まっていることから、その乖離はわずかに残っている偏りと捉えることもできる。
35本以上のサンプル数が増えた時にこの曲線に収束していくかどうかは分からないが、いちおうこの数式があれば、現状では記録されたことのない値、53本や57本といった本塁打数の選手に対しても、期待される打点数を求めることができる。ただし0本塁打の選手については実質的に期待打点数を計算できない(常に0打点となる)のは欠点である。
さてこの期待打点数、時代や環境によって左右されることはあるだろうか。まず思いつくのは戦前、1944年以前の記録である。当時のシーズン最高記録は、本塁打が10本、打点が75であった。そもそも当時、本塁打はそんなに出るものではなく、点を取るのにも、ランナーをためて一発長打というよりはヒットや四球に小技もからめてコツコツ、というのがメインのスタイルであったから、本塁打数を算出根拠に持つこの期待打点数も大きく影響を受けそうである。

というわけで戦前だけで計算した平均打点数をグラフに表示させた。といってもシーズン最高が10本塁打だから、グラフ上の点も10本塁打までしか表示のさせようがない。
戦前の平均打点数のほうが上振れしている傾向は確かに見て取れる。だが実際には、戦前のサンプル数は3本塁打が52件に対して4本塁打は29件、5本塁打は11件しかなく、6本塁打以上は1ケタしかない。先の35本塁打の事を考えれば、戦前の4本塁打以上のデータはあまりアテにできないのが実情である。
このことは、戦後の平均打点数を計算してみても分かる。実はこのグラフには戦後だけで計算した平均打点数も表示されているのだが、どこに点があるのかわからないだろう。これは戦後の平均打点数が通算の平均打点数とほぼ同じであり、両者の点が重なっているためである。むろん11本塁打以上については戦後のデータしかないわけだから100%重なるのは当然だが、10本塁打以下についても点がほぼ重なっているのが分かるだろう。
以上のことから、期待打点数を戦前のデータに当てはめるのは若干そぐわない面があるが、逆に戦前のデータが期待打点数に大きな影響を及ぼしてるとは言い難く、あえて戦前のデータを抜いた期待打点数を求める程ではない、と結論付けたい。
戦前戦後の別以外では、やはり投高打低や打高投低といった環境下での差が気になるだろう。前者なら通算平均打点数より下にラインができそうだし、後者なら上に点が位置しそうである。そこで、1試合あたり得点数が少ない上位10シーズン(戦前を除く)と多い方の10シーズンとで、それぞれの平均打点数を出してみた。
なお少ない方すなわち「投高打低」群は順に1956年、1947年、2012年、2011年、1957年、1958年、1966年、1965年、1959年、1960年であり、多い方すなわち「打高投低」群は1985年、2004年、1950年、1949年、2003年、1984年、1980年、1983年、1979年、2000年であった。なんとなく説得力のある並びではある。

これをグラフに落としてみると、意外にも両群とも通算の平均打点数と大して変わりがないように見える。むしろ本塁打数によっては投高打低より打高投低のほうが平均打点数が低いケースも見受けられるのだが、実のところサンプル数からいえば、信頼できそうな範囲は投高打低だと9本塁打以下、打高投低でも13本塁打以下なのである。だがその範囲だけを見ても通算の数字と大差ないように思える。一つ前のグラフで戦前のデータとの乖離を思い起こしてみるとよく分かるだろう。
投高打低の環境下では得点数が減り、同様に打点数も減るのだが、実は一緒に本塁打数も減る。ちょっと考えれば当たり前のようなことであるが、こうして分母(本塁打)と分子(打点数)が共に減るから、その答えである平均値はあまり変動しない。結果的に通算の平均打点数と対して変わらない値が出ることになる。
これをグラフに即して言えば、投高打低の環境下では、点が下方向に動く(打点数が減る)だけでなく左にも移動する(本塁打数も減る)わけである。そしてこれらは 打高投低の環境下でも(反対向きに)同様の傾向を示す。
したがって、本塁打の割に打点数の低いのを投高打低のせいにする、というような主張は実は成り立たないことになる。逆に本塁打の割に打点数の多い場合にこれを打高投低の環境ゆえというのも誤りで、単純にその選手がチャンスに強いとか、前を打つ選手の出塁率が良かった、といったような理由に帰されるべきであろう。
今も書いたように、打点数については選手の勝負強さだけでなく、前を打つ選手がどれだけ塁を埋めてくれるかが重要な要素となる。それら要素の大きさはもちろんあるのだが、それにしても平均的な環境下であれば、本塁打数と打点数には一定の規則性が生じるというのは経験則的に確かと言えるのではないだろうか。
最後に、期待打点数との乖離が激しかった選手を上下20位ずつ紹介しておこう。

ジャイアンツの4番だった川上哲治が戦前の1939年から戦後の1954年にかけて4回ランクインしているが、その1954年までの、戦後の打点王4人がこの表に名前を連ねている。先に戦前の野球について「本塁打はそんなに出るものではなく、点を取るにも、ランナーをためて一発長打というよりはヒットや四球に小技もからめてコツコツ、というのがメインのスタイル」と書いたが、この表を見る限り、そのスタイルは1950年代前半まで引き継がれていた、と言えるかもしれない。
また戦後の野球では、1946年大下弘の出現とそれに続く選手たちによるホームラン競争、それを連盟がラビットボールで煽る構図、という流れの中で本塁打による得点への期待が増していったことは事実であるが、それが完全に定着したのはこの表以後の選手、例えば中西太や野村克也、長島茂雄に桑田武に森徹、そして王貞治といった世代の出現によるところが大きかったようだ、と言えるかもしれない。
1999年のローズや2005年の今岡誠は近年の特異点と言う存在かもしれないが、2010年に3人の選手がランクインしているというのもまた特異である。この2010年の時点で何か違う打撃戦術上のトレンドが生じていたのかもしれないが、翌年から統一球が導入されたことで打撃を取り巻く状況がまた一変していることから、その検証は難しそうだ。

他方マイナスの表からは、2003年の古木は最も期待打点数を下回った打者だった、という結論を得る結末となった。この年の古木は主に7番を打っていたが、4番のタイロン・ウッズが40本塁打とランナーを一掃するケースが多かった上、6番を打った村田修一も25本塁打でありながら出塁率.303にとどまるなど、ランナーがいるシーン自体が少なかった、と分析できなくもない。とはいえ、そもそも得点圏打率.121という古木の勝負弱さの前にはこんな分析も無意味かもしれない。
表の選手が全て勝負弱かったのかというとそういう訳でもない。1999年の緒方孝市は1番で94試合先発、しかも絶対に1打点しか稼げない初回先頭打者本塁打を8本も打っており、打順の影響が非常に大きかったと言える。ランクインしている選手の中には他にも、1957年の広岡達朗や1971年の小川亨、1970年の基満男など、1・2番タイプの選手がいる。
その他で目につくのは、昭和40年代から50年代初頭の選手であろう。1965年のウィンディから1977年の竹之内雅史まで計8人がランクイン、中には1976年のジョーンズのように本塁打王を獲得した選手すらいる。なぜこの時期にこういった成績の選手が多いかという点は解明できていないが、ほとんどの選手が20本塁打以上を放っていることから、長打力のある選手にはとにかくホームランを狙うことが求められた、そんな風潮が存在していたのかもしれない。
ただ1969年の山内一弘はちょっと例外かもしれない。3番で51試合、4番で31試合の出場であり打率.274も悪くはなかったが、山内の前を打った選手の打率が1番.212、2番.178、3番.202で出塁率も.280以下とあっては折角の打棒も空しく、非常に気の毒なことであった。掘り下げていけばこうした選手は他にもいるかもしれない。
期待打点数は、一定の目安にはなるものの、その乖離の要因には本人以外の要素が絡むこともあり、直接的に使える指標ではないかもしれない。ただ、これまで感覚的に「本塁打の割に打点が多い/少ない」と思っていた部分を可視化できるところに多少値打ちがあるだろう。
