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ネヘミヤ記 ― 祈りと行動

弱さの中の信仰

「祈りと行動」――この二つのことばが、ネヘミヤ記全体を貫くキーワードです。ネヘミヤは、ペルシアの都スサで、アルタシャスタ王に仕える献酌官(けんしゃくかん|王の飲み物を毒見する、王から深く信頼された役職)でした。彼は、故郷を遠く離れたバビロンで、捕囚の子として育ち、異国の宮廷で高い地位を得ていた人物です。

そのネヘミヤのもとに、エルサレムの様子を伝える知らせが届きました。城壁は何年も前に崩されたまま、いまだ再建されていない。門は焼け落ちたまま。神殿は再建されていても、都そのものが、無防備にさらされたままだったのです。この知らせを聞いたとき、ネヘミヤは、遠く離れた地位ある身でありながら、深く心を痛めます。

このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、 数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。 

ネヘミヤ記1章4節

ここに、ネヘミヤ記全体の姿勢が凝縮されています。彼は、遠く離れた場所で、快適な地位に安住していてもよかったはずです。故郷の惨状は、直接自分の生活を脅かすものではありませんでした。それでもネヘミヤは、他人事として片づけず、心から悲しみ、祈りました。信仰とは、まず、自分に直接関係のないことにも心を痛め、それを神の前に持っていくことから始まるのかもしれません。

ネヘミヤの祈り ― 悲しみから行動へ

ネヘミヤの祈りは、単なる感情の吐露ではありませんでした。それは、神の真実と、自分たちの罪を、はっきりとことばにする祈りでした。

ああ、天の神、主よ、大いなる恐るべき神よ。 主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。 どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。 私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、 私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。 

ネヘミヤ記1章5〜6節

ネヘミヤは、数か月にわたってこの祈りを続けました。そして機が熟したとき、彼は行動に移ります。王の前で悲しげな顔をしていたことをとがめられたとき、ネヘミヤは心の中で一瞬、天の神に祈ってから、王に願い出ました。「もしよろしければ、私を父祖の墓のある町ユダに遣わし、それを再建させてください」と。

祈りだけで終わらず、機会が来たときには、はっきりと願いを言い表す。ここに、この書の大切な適用点があります。

仕事の始まりと、敵の妨害

エルサレムに着いたネヘミヤは、まず夜のうちに、一人でひそかに城壁の状態を調べて回りました。そして、祭司たちや民を集め、こう呼びかけます。「さあ、エルサレムの城壁を再建しよう。もう恥をさらすことのないように」と。民は、この呼びかけに応え、それぞれの持ち場で、力を合わせて工事を始めました。

けれども、この働きを快く思わない者たちがいました。サンバラテやトビヤをはじめとする周辺の勢力は、城壁が再建されれば自分たちの利権が脅かされると考え、あざけり、脅し、ついには武力での妨害まで企てます。ネヘミヤは、この危機に、二つのことを同時に行いました。

私たちは私たちの神に祈り、また、彼らに対して昼も夜も見張りを立てた。 

ネヘミヤ記4章9節

祈ることと、見張りを立てること。信頼することと、備えることを、ネヘミヤは両立させました。信仰とは、神に委ねて何もしないことでも、自分の力だけで何とかしようとすることでもありません。祈りながら、なすべき備えをする――この姿勢が、ネヘミヤの働きの土台にありました。実際、仕える者たちの多くは、片手で仕事をしながら、もう片方の手には武器を握っていたと記されています。民の心が挫けそうになったとき、ネヘミヤはこう語って励ましました。

彼らを恐れるな。大いなる恐るべき主を心に据え、 あなたがたの兄弟、息子、娘、妻、家のために戦え。 

ネヘミヤ記4章14節

こうして、あらゆる妨害にもかかわらず、工事は続けられ、ついに完成の日を迎えます。

こうして城壁は、エルルの月の二十五日、五十二日間で完成した。 私たちの敵はみな、これを聞いて恐れた。 周囲の国々もみな、意気消沈した。 彼らは、この工事が私たちの神によってなされたことを悟ったからである。 

ネヘミヤ記6章15〜16節

わずか五十二日という短さで、これほどの大工事が成し遂げられたこと自体が、周囲の人々に、神が働かれたことを証しすることになりました。祈りと行動が伴うところに、人の目にも明らかな神の御業が現れる――これが、ネヘミヤ記が示す一つの真理です。

エズラとともに ― みことばに立ち返る民

城壁が完成すると、物語はもう一つの大切な局面に入ります。ここで、祭司であり学者であったエズラが再び登場し、ネヘミヤとともに働きます。エズラは、水の門の前の広場に集まった民の前で、律法の書を朝から正午まで読み聞かせました。

彼らは神の律法の書を、翻訳しながら、 はっきりと読み、意味を明らかにした。それで、民は読まれたことを理解した。 

ネヘミヤ記8章8節

律法が読まれ、その意味が丁寧に説き明かされると、民は自分たちがどれほど神の教えから離れて生きてきたかに気づき、泣き始めました。しかし、ネヘミヤとエズラは、意外なことばで民を励まします。

彼は彼らに言った。「行って、上等の肉を食べ、甘い物を飲みなさい。 それができない人には、食べ物を贈りなさい。 今日は私たちの主にとって聖なる日だからである。悲しんではならない。 主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」 

ネヘミヤ記8章10節

罪に気づいて悲しむことは、悔い改めの入り口として大切です。けれども、そこにとどまり続けることを、神は望んでおられません。罪を悔いた後には、赦しと恵みを喜ぶ道が備えられているのです。「主を喜ぶことは、あなたがたの力」ということばは、私たちにも大切な適用を与えてくれます。自分の弱さや罪ばかりを見つめて落ち込み続けるのではなく、赦してくださる神を喜ぶことこそが、次への一歩を支える力になるのです。

仮庵の祭り ― 昔を思い出す喜び

律法を読み進めるうちに、民は、長らく行われていなかった「仮庵の祭り」についての記述を見つけました。これは、木の枝を集めて仮の小屋を作り、そこに七日間住むという祭りで、一年の農事暦の最後を締めくくる、収穫の感謝の祭りでした。この祭りには、二つの目的がありました。一つは、実りの収穫を神に感謝すること。もう一つは、かつて先祖たちが荒野を旅し、天幕に住んでいたあの出エジプトの日々を、思い出すためでした。

律法を聞いたその日のうちに、民はすぐに外へ出て、木の枝を集め、仮庵を作りました。知って終わらせず、すぐに行動に移す――ここにも、この書全体を貫く「祈りと行動」の姿勢が表れています。律法を読むことは、単なる知識の獲得ではなく、自分たちの歩みを思い出し、神への感謝を新たにする、生きた体験だったのです。

生活を整える ― ネヘミヤの最後の働き

この後、民は罪を告白し、神との契約を新たにしました。エルサレムの人口を増やすために、くじによって人々を都に住まわせる取り決めもなされます。城壁の奉献式では、民は大きな喜びの声をあげ、その声は遠くまで聞こえたと記されています。

物語の終盤、ネヘミヤは、民の生活習慣に踏み込んだ改革にも取り組みます。安息日に商売をする者を戒め、異教の民との結婚によって信仰が薄れていくことを防ぎ、レビ人への献げ物が滞っていたことを正しました。祈りだけでなく、日々の生活の細部にまで目を配り、正していく――ネヘミヤの働きは、最後まで、具体的で、実務的でした。信仰は、礼拝の場だけでなく、日常の細やかな習慣の中にも、表れていくものなのです。

ネヘミヤ記は、印象的な一文で幕を閉じます。数々の改革を成し遂げたネヘミヤは、自分の功績を誇ることなく、最後にこう祈りました。

私の神よ、幸いのために私を心に留めてください。 

ネヘミヤ記13章31節

大きな働きを成し遂げてなお、それを自分の手柄とせず、ただ神に覚えていていただくことを願う――ここにも、ネヘミヤの生涯を貫いた、へりくだった信仰の姿があります。

結びに ― 弱さの中の信仰

ネヘミヤ記は、一人の人間の、祈りと行動の記録です。ネヘミヤは、遠く離れた安全な場所から、故郷の惨状に心を痛め、祈り、そして行動に移しました。妨害の中でも祈りと備えを両立させ、完成の日には、神の御業が誰の目にも明らかになりました。

この書が私たちに教えてくれるのは、信仰が、感情や願いだけで終わるものではない、ということです。悲しみを覚えたなら、それを祈りに変え、機会が来たなら、勇気をもって一歩を踏み出す。妨害があっても、祈りながら手を動かし続ける。そして、罪に気づいて悲しんだ後には、赦してくださる神を喜ぶ道へと進んでいく。

パウロは、後にこう語りました。「あなたがたは神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(第一コリント3章16節)。ネヘミヤが石を積み上げて都の城壁を建て上げたように、私たちは今、神の宮として、互いを、そして自分自身を建て上げていく働きに招かれています。目に見える城壁の代わりに、私たちには、信仰の共同体という、もう一つの城壁があります。祈りをもって始め、行動をもって続け、途中で挫けそうになっても、互いに励まし合いながら、その働きを続けていきたいと思います。

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