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ギブミーチョコレート8:港町・横浜の記憶

「ギブミーチョコレート!」
戦後まもない日本で、子どもたちが米兵に向かって叫んだ言葉だ。
大人になって港町を歩くと、この言葉の背景が少しずつ分かってきた。

何度でも訪れたい港町・横浜は、異国情緒をも色濃く残している。
本日は、そのゆえんを紐解いていきたい。

ある春のこと。浪人が確定したというのに、親は旅費を出してくれた。
卒業式の後、約束通りに友人と横浜へ行くことができた。
まだ新しいベイブリッジを見て感激した覚えがある。

2回目の受験は、関東の学校にも出願したから、一人で横浜に滞在した。
マリンタワーの見えるホテルに、受験生向けパックがあったのだ。
1961年開業のマリンタワーは、灯台の機能を持つ展望塔として、外国船を迎える象徴的存在だったという。

タワーに灯りが燈るころ、ホテルのスタッフは、しょうが焼きやハンバーグ定食を部屋まで届けてくれる。きちんとお客さま扱いもしてくれて、勉強はするものの夢のような時間に思えた。

故郷にも名古屋港があるが、工業化されているから、横浜のような「港町」は、未知の世界。また来たいという思いを抱いた。
受験はやっぱりうまく行かず、戻れたのは八年ほど後になった。

・伊勢佐木町
仕事の事情で、2ヶ月ほど桜木町駅のあたりにいた。ランドマークタワーや、できたばかりの赤レンガ倉庫にも歩いて行ってみたけれど、印象的だったのは伊勢佐木町だ。
歌謡曲で知った地名だったが、イメージ通りの大人の雰囲気を感じた。

進駐軍相手のバーやキャバレーが並び、音楽やファッションを通じてアメリカ文化が根付いた街で、終戦直後にはこの辺りでも「ギブミーチョコレート!」が聞こえていたという。

その話を聞いた小学生の頃は、敵国の兵隊を追いかけるなんて信じられないと思っていた。
しかし大人になるにつれて外国を知ることとなり、なかでもアメリカ人の、飛び切りの明るさと優しさを知った。

旅路で声をかけてくれるのはたいていアメリカ人で、筆者も彼らに大いに親しみを感じるし、子どもたちがなぜ米兵に駆け寄ったのかが、少しだけわかる気がする。

だから今では、その言葉を口にしてみたくなることがある。
旅人の視点で、植民地支配が残したものを見つめるこの連載だが、
これが「ギブミーチョコレート」を、タイトルに据えた理由だ。

・関内
少し歩いて、ギリシャ料理の店に立ち寄った。
オリーブの香りとレモンの酸味。
この店があるということは、ギリシャの船乗りも横浜へ来たということだ。

白と青を基調とした店内。
サントリーニ島に紛れ込んだよう。将来的に訪れたいと思っている。

・馬車道
馬車道は、かつて外国人居留地と港を結ぶ大通りだった。
日本初のアイスクリームやガス灯が導入された地としても知られる。
文明開化の象徴的エリアだ。

赤レンガ造りや西洋建築の銀行、灯りが並ぶ通りを歩くと、明治時代の名残りとともに、横浜がずっと異国との接点であることを感じる。
次の機会には、レトロなカフェに行ってみたい。

・中華街
さらに歩けば中華街。
開港直後に集まった中国人たちの居住区がルーツで、今も海上貿易の記憶を色濃く残している。

関帝廟の豪華さに驚く。
肉まんの湯気や八角の香りが立ちこめ、常に人々でごった返している。
店先には月餅や薬膳の食材が並ぶ。

フカヒレアイスを食べたこともあった。
チャイナドレスは買ったが、アオザイにはチャレンジできずじまいだ。

・山下公園
船の汽笛や、かわいいカモメたちが旅気分を盛り上げてくれる。
大さん橋では、ホテルよりも大きな客船が寄港していることもあった。

三度目の訪問では老舗ホテルに入り、元祖プリンアラモードを注文した。
横長のガラスのお皿に、盛られたフルーツ。アイスまでのっている。
ホイップクリームが小さな山をつくり、スプーンを入れると、甘い香りが広がった。
古い歴史の中に身を置いたようで、胸が高鳴った。

そして「人形の家」へ。
世界中から集められた民族人形が、静かに並んでいる。
カラフルな衣装をまとったアジアの人形、陶器でできたのはヨーロッパの子どもで、木彫りのものはアフリカの人形。

かわいくって、少しだけこわい。まるで生きているようだから。
海を超えてきた、世界のかけらを展示している。

・山手
山手は外国人居留地として発展し、各国の領事館や洋館が立ち並んでいたという。坂を登り、視界がひらけた瞬間、青い海と白い船が見えた。

その足で外人墓地を歩くと、ここに眠る人々がこの街の歴史を作ってきたのだと感じた。
海を渡り、日本という異国で一生を終えた人々。今はどんな思いでいるのだろう。
その名が刻まれた墓石を見させていただいた。

筆者は、横浜を観光地としてとらえていた。住みたいとも思ったが、
開港以来の歴史も、文化の交差点としての意味も、理解できていなかった。
あれから年月が経ち、断片的な記憶が、旅の原点として繋がりはじめた。

横浜は、ポジティブな街。
占領されるのではなく、積極的に異国の文化を取り入れて、発展している。
見知らぬ相手に、笑顔で手を差し出すことから始まった物語だ。


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