見出し画像

「あんな母親になりたくない」と思っていた私が、20年後『クレイマー、クレイマー』で号泣した理由【前編】

■はじめに

中学生の頃、ふとしたきっかけで観た映画が、今でもずっと記憶に残っています。

映画『クレイマー、クレイマー』
このタイトルを聞いて、あの有名な「フレンチトースト」を作るシーンを思い浮かべる人もいるかもしれません。

でも、当時の私が抱いた感想は、お世辞にも優しいものではありませんでした。

「なんて自分勝手な母親だろう。
 私は絶対、あんな母親にはなりたくない。」

幼い息子を置いて家を出ていく母親・ジョアンナに対して、
そんな強い拒絶感を抱いたのを覚えています。

あれから20年以上が経ち、私自身が母親になりました。
日々のせわしない子育てと仕事の波に揉まれる中で、

このまま雑用ばかりの人生で終わるのか・・・
これからの自分の人生は自分の意志で選びたい。

そんな気分になったとき
あの映画のことをたびたび思い出すようになりました。
そして、本当に久々に観返してみたのです。

すると、あんなに「悪者」に見えたジョアンナの言葉が、姿が、今度は痛いほど胸に突き刺さってきたのです。

「悪いのは私だ。子供にとって、私が一緒にいるのは良くないの」
そう泣きながら告白した彼女の絶望。
そして、それまで仕事一色で家庭を顧みなかった父親(テッド)が、必死になって息子を守ろうと変わっていく姿に、気がつけば涙が溢れて止まりませんでした。

1979年の古い映画。でもこれは、令和の今を生きる私たちにこそ、「家族のあり方」「自分自身の生き方」を深く問いかけてくる映画のように思えます。

■『クレイマー、クレイマー』ってどんな映画?

まずは、まだ観たことがない方のために、物語の概要をサクッとおさらいします。

「クレイマー、クレイマー」は、1979年に公開されたアメリカ映画
アカデミー賞主要5部門を受賞した、ダスティン・ホフマン
メリル・ストリープが演じるクレイマー夫妻の物語です。

ニューヨークで広告代理店に勤めるテッドは、モーレツに働くビジネスマン
念願の大口契約を勝ち取って意気揚々と帰宅した夜、妻のジョアンナから突然「あなたを愛していない。自分を見つけたい」と別れを告げられ、5歳の息子ビリーを残して、家を出ていかれてしまいます。

そこから、料理もまともにできないテッドのドタバタなワンオペ育児がスタート。

象徴的なのが、物語の序盤と終盤に登場するフレンチトーストを作るシーンです。

最初はパンの焼き方すら分からず、マグカップで卵を混ぜて台所をめちゃくちゃにしていたテッドが、最後には息子と息の合ったコンビネーションで、手際よく黄金色のフレンチトーストを焼き上げる。

言葉以上に、彼が過ごした濃密な時間と変化が伝わってくる名シーンです。
仕事と育児の両立に苦しみ、会社でのキャリアを失いかけながらも、テッドは息子との絆を深めていきます

かつては「仕事こそが自分のすべて」と信じて疑わなかった彼が、息子のためにプライドを捨て、泥臭く奮闘する中で、
少しずつ「父親」としての本当の顔を見つけ出していく過程は、この物語のもう一つの大きな見どころです。

しかし、1年半後。自立し、自分を取り戻したジョアンナが「息子の親権」を求めて戻ってきたことから、2人は法廷で激しくぶつかり合うことになります。

■映画が作られた時代背景ージョアンナが追い詰められた理由

なぜジョアンナは、愛する息子を置いてまで家を出なければならなかったのでしょうか?
それを紐解くには、この映画が作られた1970年代後半の時代背景を知る必要があります。

当時のアメリカは、まさに「激動の過渡期」でした。

👉「男は仕事、女は家庭」という根強い役割分担
👉会社に全てを捧げる、過酷な長時間労働の美徳
👉その一方で巻き起こる、女性の自立や平等を叫ぶ「ウーマンリブ運動」

テッドは「家族のために不自由なく稼ぐこと、会社に人生を捧げること」父親の正義だと信じ込み、週に6日、夜遅くまで働き詰めていました。
一方で、優秀な学歴を持ちながらも「専業主婦」という枠に閉じ込められたジョアンナは、社会から隔絶され、自分の存在価値を見失っていきます

当時の社会には、現代のような「頼れる場所」も、SNSでの共感のコミュニティもありません。
限界を迎えた彼女に残された唯一の手段が、「家を出る」という命がけのボイコットだったのです。

日本でも、

24時間戦えますか?ビジネスマン”

という栄養ドリンクのCMがあったことを覚えている方、いらっしゃいませんか?
若い世代は知らないと思いますが(もちろん息子も知りません・・・)
モーレツに働く社員が美徳とされていた時期が日本にもあったのです。
今では、そんな働き方をしているとブラック企業と言われかねない、そんな時代でした。

■「当時の仕事観」と「今の私たちの仕事観」の違い

映画の中の仕事観と、私たちが生きる現代の仕事観を比べると、ある共通点と、決定的な違いが見えてきます。

当時は「会社への絶対服従」「家庭の犠牲」がセットでした。
テッドがビリーの怪我や発熱で仕事を抜けると、上司から冷酷に評価を下げられるシーンは、現代の私たちが観ても胸がキリキリ痛みますよね。

現代は「ワークライフバランス」「男性の育休」が叫ばれ、制度としては随分アップデートされました。
しかし、本質的な悩みはどうでしょう?

「仕事の手を抜きたくないけれど、子どもとの時間も諦めたくない」
「保育園のお迎えのために、いつも頭を下げて職場を後にする罪悪感」

私たちはジョアンナのように「家を出る」ことはしなくても、
心の中で「このままでいいのだろうか」という小さなボイコット(葛藤)を毎日繰り返しているのではないでしょうか?

形を変えただけで、時代は変わっても
仕事と家庭のバランスの難しさは、今も地続きのまま残っているのではないでしょうか?

この映画が今の私たちにも刺さる理由は、ここにあるのかもしれません。

では、
👉私たちはどうすれば、自分を擦り切らせずに「自分らしいキャリア」を歩んでいけるのでしょうか?


次回の後編では、人生を一枚の「パッチワーク」のように捉えるサニー・ハンセンのキャリア理論の視点からジョアンナの心を分析し、
私たちが明日から実践できる「心のバランス作りのワーク」をお届けします!

🍀最後まで読んでいただきありがとうございます。
この記事が気に入ったら、スキ❤️、フォローお願いします。
スキ❤️、フォローしてくれた方の記事は、全員読ませていただいています


いいなと思ったら応援しよう!

hiroko🍀【仕事も人生も自分らしく】✨京都発・伴走型キャリアコンサルタント よろしければ応援お願いします。いただいたチップは、将来世代の社会のために、また、まとまった金額になれば、「祇園祭」山鉾保存会への寄付として使わせていただきます!