shuの航海日誌No174 ミンコフスキー時空へようこそ

1905年は「アインシュタインの奇跡の年」と言われています。この年、アインシュタインは3つの重要な論文を世に発表しました。
「光の量子説」「ブラウン運動の証明」「特殊相対性理論」に関する3つ論文です。
特殊相対性理論によって、エネルギーと質量が等価であることを発見しました。それが有名な《E = MC²》の等式です。
この式が意味している重要な点は、加速しても質量が重いとエネルギーが大きくなり、結局光速は超えられないという帰結です。
アインシュタインが学んだチューリッヒ工科大学の数学教授がヘルマン・ミンコフスキーでした。ミンコフスキーはアインシュタインのことを「数学のことなど全く気にしない怠け者の犬」と評していました。
アインシュタインの特殊相対性理論を知ったミンコフスキーは驚愕して、新たな研究テーマに取り組み始めました。それは4次元時空の概念を導入することで、幾何学を通して特殊相対性理論を完全に記述することでした。
ミンコフスキー流の専門用語によれば、時空の中の1点を〈事象〉と呼び、2点間の距離を〈時空の間隔〉と呼びました。2人の観測者から同意を得られる1つのことが、4次元時空における間隔または距離でした。
( x , y , z , t )
を指定することで〈いつ〉〈どこで〉〈なにが〉〈なにを〉起こしているかが分かります。
ミンコフスキーの4次元空間における2点間の距離(s)の公式は
S²=(Δx)²+(Δy)²+(Δz)²ー(CΔt)²
Cは光速を表し、Ctは〈距離〉を表しています。Δは増分を表しています。
さらに高速Cが1に等しくなるように「正規化」すると、式は単純化されて以下に
S²=(Δx)²+(Δy)²+(Δz)²ー(Δt)²
ここで空間の3つの方向(タテ、ヨコ、高さ)を表す変数Xで横軸に、縦軸は〈時間〉の座標グラフを想定すると、
S=√|X²ーt²|
光線のビームの場合、距離(X)は〈Ct〉ですが、C=1としたので、
X=t
つまりX=tの場合、光が時空を移動する距離〈√|X²ーt²|〉は常に0です。(*このトリックに慣れるしかない)
このことは、ミンコフスキー時空間における距離はユークリッド空間における距離とは異なることがわかります。
次のグラフ(図)で、線分ADと線分CDの長さの和、つまり〈2√|X²ーt²|〉は、線分ACの直線距離より短くなります。

ミンコフスキーは時空の構造を幾何学的に視覚する方法として〈時空図spacetime diagram〉も導入しました。

X=tのとき、点(1,1)点(-1、-1)を通る45度の直線が、ミンコフスキー時空における光が常に通る道になります。
そして第2の空間次元(x軸とy軸、t軸はそれに直交)を追加して、原点を中心にそのV字を回転させるとき〈光円錐light corn〉と呼ばれる曲線になります。それがこの図です。
この図はのちにペンローズとホーキングのブラックホールの〈特異点〉に関する研究でめちゃくちゃ使われることになります。その例として、〈光速で潰れる物質がつくるブラックホールのモデル〉の図を挙げておきます。

なお、教え子のアインシュタインはミンコフスキーに対して「余計な学問」と嫌っていました。
しかし重力理論の一般相対性理論にたどり着くまでに、アインシュタインはどうしても幾何学を応用しなければならなくなくなり、チューリッヒ工科大学での友人の数学者マルセル・グロスマンに助けを求めます。
その時に吐いた言葉は「さもないと気が狂ってしまいそうだ」でした。
特殊相対性理論から一般相対性理論までの約10年間は、アインシュタインにとって不慣れな数学との苦闘でした。
とくに空間を扱うリーマン幾何学の曲率テンソル(曲率を扱う枠組み)への理解が、最後の障害になって行きます。
一般相対性理論の完成には多くの数学者が関わっているのです。本エッセイは物理学を支える数学、ときには物理学を先導してきた数学に焦点を当てた数学者の著書から多くを参考にしました。

ブラックホールについては真貝寿明さんが書いた本をお奨めします。(図)

