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「やる気0」の時期を経て。喪失と葛藤の先に見つけた、私なりの「前向き」な歩き方

私の人生には、何に対しても意欲がわかず、ただ時間だけが過ぎていく
「やる気0」の時期が三度ありました。
今振り返れば、それは単なる「怠け」ではなく、相次ぐ別れや将来への不安に心が追いつこうとしていた、私にとって必要な時間だったのだと思います。

1. 消えない寂しさ、将来への不安

中学の頃。学生部屋をまとめてくれていた憧れの先輩が亡くなりました。喧嘩の仲裁に入ってくれる「大人でかっこいい背中」を失ったことは、部屋の全員にとって本当に悲しく、大きな出来事でした。
そして若くして亡くなってしまったので、同じ病気の僕たちはどうなってしまうだろうかと怖い気持ちになっていました。

高校卒業後は一人暮らしを望むも母や学校の先生たち、療育指導員さんの
周囲の反対で「八方塞がり」になり、さらには同室の親友・O君までもが急逝しました。自分の希望は通らず、仲間もいなくなる。そんな現実に、私の足は完全に止まってしまいました。

2. 「自立」への迷いと、知ってしまった現実

22歳からの約二年間。行政書士の勉強に挫折し、必死に就職活動もしていました。しかしそこで「ヘルパー介助を利用しながら職場では働けない」という制度の壁や、生活保護と就労のジレンマを知りました。
「頑張って動いても無駄だ、働かないで好きな事やってればいいじゃん」と世間に言われてるような気がして、答えの出ない問いから逃げるようにゲームの世界へ現実逃避しました。

3. 転機:「こんな生活でいいのか?」という疑問と、社会の真実

そんな私が変わるきっかけになったのは、ふと湧き上がった「ずっとこんな生活を続けていていいのか?」という自分への問いかけでした。

そこで気づいたのは、社会の少し厳しい真実です。 自分が「やる気がない」と止まっているとき、周りの人たちは意外と冷たくなります。学生時代ならまだ許される部分もありますが(私も学生時代は相当な馬鹿野郎だったので笑)、大前提として、大人は「頑張って何かに取り組むこと」が普通だと求められます。

ただ、心の中で「よし、頑張ろう!」と思うだけでは継続は難しい。何か取り組むための「理由」が私には必要でした。その理由は、いろいろなことに挑戦し、トライアンドエラーを繰り返す中で自分自身で見つけていくものなのだと思います。

4. 多様な人間が生きる社会で、自分を肯定する

社会を見渡せば、本当に多種多様な人がいます。

  • 必死に努力して、周りから尊敬されている人。

  • 健常者で、苦労なんてなさそうでいいなぁと思う人。

  • 性格はめちゃくちゃ悪いのに、なぜか気に入られて生き抜いている人。

「病気だから不幸だ」と殻に閉じこもるのではなく、「皆それぞれ、しんどい中で生きている。だったら自分も、自分なりのやり方で足掻いて、自分の『理由』を探してみてもいいんじゃないか」と思えるようになりました。

5. 0%から、少しずつ動き出す

今の私は、完璧に前向きな人間ではありません。今でも迷うことはあります。 でも幸せなことに、今はNPO(Seven Seas)という活動の場があり、良い目標を持つことができて本当によかったと感じています。

もし、今「やる気がでない」と悩んでいる人がいたら、まずは「できそうな簡単な目標」から始めてみてください。 「明日はいつもより早く起きてみる」とか「勉強を毎日20分だけやってみる」とか、そんな小さなことでいいんです。
あとはすく行動です。始める前に色々考えてしまうと「これやる意味ある?」「明日からやるか」「頑張る必要ないな」
とか辞める誘惑が襲います。言い訳を探し始めるのでご注意ください(笑)
人間全員共通です。私も言い訳を探すのが大好きです。
やってから結果を考えるのが理想です。あとでニヤニヤするぐらい、
頑張って良かったんだなと思うときが絶対に来ます。

まとめると大事なのは、「できない目標を立てないこと」「考えないで行動」だと思います。 自分のレベルに合わせて一歩ずつ進む。私もそうしてここまで来ました。

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