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診断された日から小学校生活へ



「Kくん、歩き方と走り方がちょっと変だね」
自分ではよくわからなかった。転びやすいとか、走るのがちょっと遅いとか、そのくらいの感覚しかなくて。

でも母は、気になって自分でどんどん調べていたらしい。歩き方、走り方、体の使い方。調べれば調べるほど、ひとつの病名が頭をよぎるようになっていったと。「筋ジストロフィーかもしれない」って。

「筋ジストロフィー」という言葉との出会い

5〜6歳のある日、母から「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」という病名を初めて聞いた。

長くて難しい言葉で、最初は全然ピンとこなかった。でも「筋肉が少しずつ弱くなっていく病気で、いずれ歩けなくなってしまって、寿命が短いんだよ」と言われて、一気に重くのしかかってきた感じがして。

意味はわかった。わかってしまった。しばらく悲しくて、泣くことしかできなかったのを覚えている。

ただ、この病名にたどり着くまでには、実は少し時間がかかっていた。最初にかかった病院では、なぜか筋ジストロフィーとは違う方向で検査が進んでいって。母はすでに「筋ジストロフィーかもしれない」と思っていたのに、医師はなかなかそこにたどり着かなかった。今振り返っても、正直なぜそうなったのかよくわからなくて、当時の母はずっとモヤモヤと不安だったと思う。それだけに、病名がはっきりしたときは「やっとわかった」という気持ちもあったと話していた。

普通学校での毎日

そんな診断を受けながらも、僕は近所の普通学校に通い始めた。

クラスメートと同じ教室で、同じ授業を受ける毎日。当時はまだ自分で歩けていたし、友達と遊ぶこともできていた。「自分は病気の子だ」という意識は、正直あまりなかったと思う。

でも、日常のあちこちに「みんなとは違う」場面はあって。体育の授業はいつも見学だったし、プールに入れない時期もあった。トイレに行くのも、普通の子なら何でもないのに、僕にはものすごく大変で。それでも当時は、そういうものだと思って過ごしていたんですよね。休み時間に何して遊ぶか、給食は何が出るかの方がよっぽど気になっていたくらいで(笑)。

学年が上がるにつれて、少しずつ「あれ?」と思う場面も増えてきた。階段がきつくなってきたり、長時間歩くのがしんどくなってきたり。それでも「まあなんとかなるか」って気持ちで毎日を過ごしていたんですよね。子どもの頃ってなぜか根拠なく「なんとかなる」って思えるじゃないですか。あれってすごい力だと思う。

怖い絵になったかも(笑)

小学5年生、新しいステージへ

小学5年生になると、家庭のいろいろな事情が重なって、転校することになった。療養病棟への入院と、特別支援学校への転校。それが新しい日常になっていった。

入院生活は週末だけ家に帰れて、また月曜に病院へ戻る繰り返し。日曜の夕方になるたびに憂鬱になっていたなあ。ちびまる子ちゃんのエンディングが流れるころには病院に戻る時間で、サザンオールスターズの曲が流れるなか、車の中でよく泣いていた。今でもあの曲を聴くと、あの夕方の気持ちがじわっとよみがえってくる気がする(笑)。

病院での生活はやっぱり寂しくて、そのストレスからか気づけばすっかり悪ガキになっていた。病院スタッフや学校の先生をずいぶん困らせてしまったと思う。本当にすみませんでした(笑)。

でも一方で、特別支援学校は意外と居心地がよかった。車椅子対応のトイレがあって、体育も車椅子でできて、同じ病気の友達もどんどん増えていった。お互いの悩みを話せたり、言葉にしなくても察し合えたり、同じ病気だからこそわかり合えることがたくさんありました。
バリアフリーの環境のおかげで自分でできることも増えて、生活がぐっと充実していった。「ここは自分のままでいられる場所だ」って思えたのを、今でも覚えている。


今、32歳の僕は重度訪問介護を使いながら、親元を離れて自分らしく暮らしている。あの頃の小学生の自分に「どうだった?」と聞かれたら、きっとこう答えると思う。

「辛いこともあったけど、病気があっても楽しかったよ。ちゃんと楽しかった」

それが、正直なところ。


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