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安克昌『心の傷を癒すということ』第2回振り返り(NHK100分de名著2025年1月)

前回の記事↓


 第2回は「さまざまな「心の傷」を見つめる」をテーマに安克昌さんの著書『心の傷を癒すということ』を読み解いていきました。
 中でも印象に残っているのが、次の一節です。

苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。

安克昌[新増補版]『心の傷を癒すということ』p.324

  「それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ」(p.324)と安さんは続けています。これは精神科医として被災者らと接する中で安さんが得た気づきでもあるのではないでしょうか。
 精神科医の宮地尚子さんは番組テキストの中でこの部分を引用し、「心のケアはみんなのもの、社会全体で担うものだということを言っているのだと思います」(テキストp.48)と述べています。
 その一例として挙げられるのが、NHK土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」(安さんの著書を原案とした映像作品)第3回のワンシーンです。この回では阪神淡路大震災で妻を亡くした小学校の校長先生が第2回に続けて登場します(余談ですが、この男性役を演じていたのは、吉本新喜劇で座長を務めていた内場勝則さんです)。被災者でありながら避難所の運営にも携わっていた彼もまた心に深い傷を負っていました。
 ある日、男性は仮設住宅の隣で暮らす子連れの女性からいかなごの釘煮をおすそ分けしてもらいます。女性が去った後、彼はぽつりと呟きます。

「米、買いに行こう」

 お隣さんの何気ない優しさに触れた男性はここから少しずつ生きる気力を取り戻していったのかもしれません。
 実はこれより前に女性が赤ちゃんの夜泣きについて男性に謝る場面があります。その際、男性は親子に気遣いの言葉をかけています。そのことを踏まえると、男性の善意が巡り巡って彼のもとに返ってきたという見方もできます。
 心の傷を癒やすのは、決して簡単なことではありません。安さんがいうように、「精神医学的なテクニックでできることはほんとうにささやかなものでしかない」(『心の傷を癒すということ』p.324)のかもしれません。 
 その一方で、他者からの思いやりによって救われる人がいるのも事実です。それがやがて心のケアにもつながっていくのではないでしょうか。
 次回は第3回の振り返り記事を投稿させていただきます。


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