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CANを支えた思想と栄枯盛衰——IPライセンシング・FlexRay・CANopen・そして産業界が離れた理由(深掘り#17)


本稿の主な略語

  • CAN(Controller Area Network):1986年にBoschが開発した車載バスプロトコル。ISO 11898として規格化

  • CAN FD(CAN with Flexible Data-rate):データフェーズの速度とペイロードサイズを拡張したCANの後継規格。ISO 11898-1:2015

  • CAN XL(CAN with eXtra Long payload):CAN FDの後継として開発中の規格。最大20Mbps・2KBペイロード

  • CiA(CAN in Automation):CANおよびその上位規格の策定を担う業界団体。1992年設立

  • CANopen:CiA 301で規定されるCAN上位のアプリケーション層プロトコル。産業用機器での標準通信規格

  • PDO(Process Data Object):CANopenにおけるリアルタイムプロセスデータの転送オブジェクト

  • SDO(Service Data Object):CANopenにおける設定・パラメータのアップロード/ダウンロード用オブジェクト

  • OD(Object Dictionary):CANopenデバイスが保持する設定・変数の統一インデックス構造体

  • FlexRay:BMW・Daimler・Freescale(旧Motorola半導体部門)・NXP(旧Philips Semiconductors)・Boschが主導した10Mbpsの決定論的車載バス。ISO 17458

  • CXPI(Clock Extension Peripheral Interface):トヨタ・ルネサス主導で開発されたLIN後継候補プロトコル。ISO 20890

  • EtherCAT(Ethernet for Control Automation Technology):Beckhoffが2003年に開発した産業用リアルタイムEthernetプロトコル。IEC 61158

  • PROFINET:Siemensが主導するIEC 61158準拠の産業用Ethernetプロトコル

  • EtherNet/IP:RockwellとODVAが推進する産業用EthernetプロトコルをIP上に実装した規格

  • CC-Link IE(CC-Link Industrial Ethernet):三菱電機が主導する産業用ギガビットEthernetプロトコル。2007年策定

  • CSMA/CA(Carrier Sense Multiple Access with Collision Avoidance):CANが採用する衝突回避型バスアクセス制御

  • TDMA(Time Division Multiple Access):FlexRayが採用する時分割多重アクセス方式

  • OBD(On-Board Diagnostics):車載診断インターフェース

  • OTA(Over-The-Air):無線によるソフトウェア更新


はじめに

前回(深掘り#16)では、CAN FD・CAN XL・Automotive Ethernetの技術仕様と住み分けを論じた。そこで「古典CANは2030年代まで残り続ける」と書いた。

今回はその理由の根っこを掘り下げる。

なぜ1986年に生まれたプロトコルが2020年代の量産車に現役で乗り続けているのか。なぜFlexRayはより高性能だったにもかかわらず市場から消えたのか。なぜ同じCANが産業機器の世界では15年前に主役の座を降りたのに、車載では残り続けるのか。

技術的な優劣だけでは説明できない力学がある。IPライセンシング戦略・標準化プロセス・エコシステム形成——この三つの組み合わせが、プロトコルの命運を分けた。


1. BoschのIP戦略——特許保有と開放の両立

CANの誕生とIP権利の構造

CANはBoschの内部プロジェクトとして1983年頃に開発が始まり、1986年に正式発表された。開発を主導したのはBoschのエンジニア、Uwe Kienckeだ。開発コストと初期特許はBoschが保有した。

ここでBoschが取った戦略が、CANのその後を決定づけた。

Boschは特許を「排他的に行使する」のではなく、半導体メーカーへの非排他的ライセンス供与を選んだ。Intel・Philips(後のNXP)・Siemens(後のInfineon)・Microchipなど主要な半導体各社が早期にライセンシーとなり、CANコントローラーICを競合して量産した。Boschはロイヤリティ収入を得ながら、IC価格の競争によってCANの普及コストを自ら下げる構造を作った。

1993年にISO 11898として国際標準化されたことで、この構造がさらに強固になった。ISOの規格は誰でも参照できるが、具体的な実装に関わる特許はBoschが保有したまま有効だ。「標準だが無料ではない」という状態が、CANのエコシステム形成と収益化を両立させた。

Boschが保有したCAN関連特許は、発行から20年を経て2006〜2013年頃にかけて順次失効した。特許失効後、CANコントローラーのシリコンコストはさらに低下し、普及に拍車がかかった。現在、CANコントローラーをマイクロコントローラーに統合するコストは事実上ゼロに近い。

同じ構造のIP戦略

この戦略の構造は、現代のビジネスモデルと重なる。

Qualcommが1990年代にCDMA技術を標準化しながらFRAND(公正・合理的・非差別)ライセンスで収益化したモデルと同型だ。ARMがCPUのISA(命令セットアーキテクチャ)を標準化し、各社にライセンスしてエコシステムを構築したモデルとも類似する。

「技術をオープンにすることで市場全体を大きくし、その上でライセンスフィーを取る」——この戦略は、排他的な特許行使で市場を独占するより長期的なリターンが大きい。CANはその自動車産業における初期の成功例だった。

後発の標準化が難しい理由

Boschが1986年というタイミングでCANを出せたのは、競合がまだ少なかった時期だったからでもある。2000年代以降、車載プロトコルの標準化を試みると、必ず複数の大手OEM・Tier1・半導体ベンダーの利害が衝突する。標準化の主導権争いそのものがコストと時間を消費し、その間に既存プロトコルのエコシステムがさらに成熟するという「先行者有利の罠」が発動する。


2. FlexRayはなぜ消えたか

FlexRayの設計思想

FlexRayは1999年頃からBMW・Daimler・Freescale(旧Motorola半導体部門)・NXP(旧Philips Semiconductors)・Boschが共同で開発を進めた。2006年末にBMW X5(E70)がシャシーダンピング制御に限定した世界初の量産採用を行い、2008年にBMW 7シリーズ(F01)で車載ネットワーク全体への本格展開が始まった。後にAudi・Mercedes-Benz・Bentley・Volvoなど複数OEMの車種に採用が広がった。ISO 17458として規格化されている。

技術的な設計思想はCANと根本的に異なる。CANがCSMA/CA(バスが空いていれば送信する競合型アクセス制御)を使うのに対し、FlexRayはTDMA(時分割多重アクセス)を採用する。すべてのノードが同一のグローバルクロックで同期し、「スロット1はノード1が送信する、スロット2はノード2が送信する」という固定スケジュールでバスを占有する。この設計により、最悪レイテンシを数学的に保証できる。

データレートは10Mbps(2チャネルで実質20Mbps)で、CANの10倍だ。決定論性と帯域幅の両立という点で、FlexRayはCAN FD登場以前では唯一の選択肢だった。ステア・バイ・ワイア(電動ステアリング)やブレーキ・バイ・ワイア(電動ブレーキ)など、ミリ秒単位の決定論性が必要な安全系制御への採用を想定した設計だ。

FlexRayが普及しなかった理由

技術的な優位性があったにもかかわらず、FlexRayは量産車への広範な普及に失敗した。理由は複数あるが、核心は「設定の複雑さ」だ。

第一に、設定の複雑さだ。CANはバスに接続するだけで通信が始まるシンプルな設計だが、FlexRayはネットワーク全体のタイムスロットスケジュールを事前設計し、全ノードに配布する必要がある。ネットワークのノード数や配置が変わるたびにスケジュールの再設計が必要で、開発工数がCANに比べて格段に多い。

第二に、IP権利の分散だ。FlexRayはコンソーシアムが開発したため、コア特許がBMW・Daimler・Freescale・NXP・Boschに分散していた。各社がライセンスポリシーを個別に持つ構造は、「単一窓口でライセンスを取る」シンプルさを持つCANと比べて普及の障壁になった。2009年にFlexRayコンソーシアムは活動を終了し、ISO 17458に移管された。

第三に、CAN FDの登場だ。2015年以降、CAN FDが量産採用され始めると「CAN FDで8Mbps・64バイトペイロードが取れるなら、FlexRayの複雑さに付き合う必要はない」という判断がOEMに広がった。FlexRayの最大の強みだった「10Mbpsと決定論性」のうち、帯域幅はCAN FDが部分的に解決し、決定論性はTSN付きAutomotive Ethernetが担うという役割分担が明確になった。

FlexRayに量産投資をしたBMWでさえ、2010年代後半以降の新規プラットフォームではCAN FDとAutomotive Ethernetへ移行している。現在、FlexRay対応ECUの延命は継続されるが、新規設計での採用はほぼゼロだ。

FlexRayの教訓

FlexRayが残した最大の教訓は「技術的優位性は普及の必要条件だが十分条件ではない」という点だ。コスト・設定容易性・IPの集中・エコシステムの成熟度——この要素が揃わなければ、技術仕様がどれだけ優れていても市場は動かない。

CXPIが日系OEMの外に出られていない理由も、構造的には同じだ。


3. CANopenと産業用への横展開

CANopen誕生の背景

CANのISO 11898は物理層とデータリンク層(L1/L2)のみを規定する。「どんなフレームをどう送るか」のルールはあるが、「アプリケーションデータをどう構造化するか」「デバイスの設定をどう交換するか」は規定しない。

この空白を埋めるために、1992年に設立されたCiA(CAN in Automation)が1995年にCANopen(CiA 301)を策定した。CANopenはCAN上のアプリケーション層プロトコルであり、産業用オートメーションを主な対象に設計された。

CANopenの技術構造

CANopenの核心は**オブジェクト辞書(OD:Object Dictionary)**だ。各CANopenデバイスは16ビットのインデックスと8ビットのサブインデックスで構成された「辞書」を持ち、モーターの回転速度・センサーの測定値・デバイス設定値といった全変数がこの辞書に格納される。辞書の構造はデバイスプロファイル(例:CiA 402はモータードライブ向け)として標準化されており、異なるメーカーのデバイスが同一のアドレスで同じ変数にアクセスできる。

通信オブジェクトは二種類に分かれる。**PDO(Process Data Object)**はリアルタイムのプロセスデータ転送で、CANのフレーム識別子に直接マッピングされた高速・低オーバーヘッドの転送だ。**SDO(Service Data Object)**はデバイス設定の読み書きで、確認応答付きの信頼性優先転送を行う。

この設計により、プログラマーはCANのビット操作を意識せず、「デバイスXのODインデックス0x6064を読めば現在位置が取れる」という高レベルな操作でシステムを構築できる。

産業機器での普及

CANopenは2000年代にかけて産業用途で急速に普及した。KUKAの産業用ロボット・SEWのインバーター・Beckhoffの初期モーションコントローラー・シュナイダーエレクトリックのPLC——これらがCANopenを採用した代表例だ。エレベーター制御(EN 81-20準拠)・医療機器(医療機器向けデバイスプロファイル)・ビル管理システムへの展開も進んだ。

同一バス上で異なるメーカーのデバイスが標準的なインターフェースで通信できるという「相互運用性」が、産業機器市場でのCANopenの最大の訴求点だった。


4. 産業界がCANを手放した理由

限界の顕在化

CANopenは1Mbpsという帯域幅の制約をそのまま引き継ぐ。2000年代後半から工場のオートメーションが高度化するにつれ、この制約が実用上の問題になり始めた。

同一バス上のノード数が増えるほど調停遅延が積み上がり、リアルタイム性が劣化する。高精度モーション制御では「全軸を1ミリ秒以内に同期更新する」という要求が標準化したが、ノード数が多いCANバスではこの保証が難しい。視覚センサーや高分解能エンコーダーが生成するデータ量も、1Mbpsには収まらなくなってきた。

EtherCATの衝撃

2003年にBeckhoffが発表したEtherCATは、産業用通信の常識を書き換えた。

EtherCATの核心は「分散クロック(DC:Distributed Clock)」と「オン・ザ・フライ処理」の組み合わせだ。標準のEthernetフレームを使いながら、各スレーブノードがフレームをスイッチングせずに「通過させながら自分のデータを書き込む」独自方式を採る。フレームがバスを一巡する間に全ノードのI/Oが更新される仕組みで、分散クロックにより全ノードの時刻同期精度はナノ秒オーダーに達する。

これにより、100ノード以上の構成でも125マイクロ秒以下のサイクルタイムと、1マイクロ秒以下のジッターを実現する。CANopen(1Mbps)では理論上不可能な数値だ。

Beckhoff自身がライセンスを管理しながらも、IEC 61158として国際標準化し、EtherCAT Technology Group(ETG)を通じて普及を進めた。この構造はBoschのCANライセンス戦略と同型で、「標準化しながら生態系をコントロールする」モデルだ。

PROFINET・EtherNet/IP・CC-Link IE

EtherCATだけではない。SiemensはPROFINET(IEC 61158)を、Rockwell/ODVAはEtherNet/IPを、三菱電機はCC-Link IEをそれぞれ推進し、2000年代後半から工場のフィールドバスをEthernet化する動きが一気に加速した。

  • PROFINET:ヨーロッパ・日本の製造業でSiemens PLCを使うラインでは事実上の標準になった。ProfiSAFEにより機能安全通信もEthernet上で実現している

  • EtherNet/IP:北米製造業でのシェアが高く、食品・飲料・自動車組立ラインで広く使われている。標準UDP/IPの上にCIPプロトコルを乗せた設計で、一般的なEthernetスイッチを流用できる

  • CC-Link IE:三菱電機が主導する1Gbpsの産業用Ethernet。日本国内の工場自動化では大きなシェアを持ち、自動車組立・半導体製造装置に採用されている

これらが出揃った2010年代以降、新規ラインの設計でCANopenをベースバスに選ぶ合理的な理由は急速に薄れていった。

CiAも追認した転換

CANopenの策定団体であるCiA自身が、このシフトを追認している。現在CiAが積極的に推進するのは「CANopen FD」と「EtherCAT上のCANopen(CoE:CANopen over EtherCAT)」だ。CoEはEtherCATの高速・高同期バスの上に、CANopenのオブジェクト辞書構造とデバイスプロファイルをそのまま乗せるアプローチで、既存のCANopenデバイスプロファイル資産を流用しながらEtherCATの性能を享受できる。

「標準化団体が自ら既存バスの上位層を別のバスに乗せ替える」という動きは、産業界でのCANの退場を団体レベルで認めたことを意味する。


5. 車載だけ残り続ける構造的理由

産業機器がCANを手放していった一方で、車載はなぜCANを保持し続けるのか。この問いへの答えは技術ではなく、産業構造の違いにある。

製品ライフサイクルの差

工場のラインは5〜10年で更新・改造される。新しいバスプロトコルへの移行コストは、生産停止期間中に集中投資できる。

車の設計サイクルは異なる。プラットフォーム設計から量産開始まで4〜5年、量産期間が7〜10年、その後のアフターパーツ・診断サポートが10〜15年続く。一つのプラットフォームが社会に存在し続ける期間は20年を超える。「今日設計するECUのバスプロトコルは2045年まで診断ツールで読める必要がある」という要求が、プロトコルの移行を根本的に遅くする。

ノードコストの感度

工場のEtherCATスレーブモジュールが1万円でも生産コストに吸収できる。車載の場合、ECU1個あたりのBOM(部品表)コストは数百円〜数千円のオーダーで設計される。全車両のECU数を掛け合わせると、1ノードあたり数十円のコスト差が年間生産台数ベースで数億〜数十億円の差になる。

CANコントローラーのシリコンコストは事実上ゼロに近いが、EthernetのPHY(100BASE-T1)は1ノードあたり数百円から数千円のコストが加わる。この差は末端センサー・アクチュエータの電子化コストに直結する。

重量制約

工場のケーブルは太くても構わない。車は1kgの軽量化が燃費(EVでは航続距離)と安全性に直結する。差動2線(CAN-H/CAN-L)のCANケーブルに対して、Automotive Ethernetも1ペア化を進めているが、末端ノードまでEthernetを引き込む配線量の増加はハーネス重量に影響する。

OBD・診断エコシステム

OBD-II(ISO 15031)はCANを前提とした診断インターフェースだ。ディーラーのスキャンツール・陸運局の車検設備・自動車部品商社のCANロガー——これらのエコシステム全体がCANベースで動いている。EthernetベースのDoIPが広がりつつあるが、完全移行には整備インフラ側の更新コストが伴い、数十年単位の移行期間が必要だ。


6. 著者の視点

FlexRay複雑性の実態——チャネル未活用とJASPARが示したもの

FlexRayが「設定の複雑さ」で詰まったという話を、もう少し具体的に補足したい。

規格上、FlexRayはチャネルA・チャネルBの2チャネル構成を定義しており、2チャネルによる冗長通信(帯域幅の倍増またはフォールトトレランス)がx-by-wire向けの訴求点の一つだった。しかし実際の量産採用ではチャネルAの単一チャネル構成しか使われず、FlexRayコントローラーの実装もチャネルAのみ対応が標準となった。「2チャネルで冗長化・帯域倍増」という規格の強みは、実運用では活かされなかった。規格が盛り込みすぎた機能が、かえって設定の複雑さを増幅させた典型だ。

日本のJASPAR(Japan Automotive Software Platform and Architecture——日系OEM・Tier1が参加する車載ソフトウェア標準化団体)は、FlexRayについて体系的な検証を行った。JASPARは通信プロトコルの採用を慎重に評価するプロセスを持っており、FlexRayもその対象になった。しかし最終的にJASPARはFlexRayを標準採用から外した。タイムスロットスケジュールの設計工数・ネットワーク変更時の再設計コスト・デバッグの難しさという複雑性が主因だったと考えられる。

ハードウェアが整っていても、設定・検証・開発ツールのエコシステムが追いつかなければプロトコルは普及しない。FlexRayはその教訓を最も明確に示した事例だ。


プロトコルの命運を決める三つの要素

CANとFlexRayとCANopenのその後の明暗を並べると、プロトコルが普及するかどうかを決める三つの要素が浮かび上がる。

①IPライセンシングの設計:Boschは特許を保有しながら非排他ライセンスで半導体各社を取り込んだ。FlexRayは複数社に特許が分散し、単一窓口のライセンス構造を作れなかった。EtherCATはBeckhoffが特許を保有しながらETGを通じて事実上の開放構造を作った。「誰が特許を持ち、どう開放するか」がエコシステムのコストと速度を決める。

②エコシステムの厚み:CANは30年分の開発ツール・診断ツール・CANanalyzer・AUTOSARスタック・デバッガが積み上がっている。新しいプロトコルがこれに対抗するには、技術的優位性だけでなく「ツール・教育・認定試験・Tier1の実装スタック」を丸ごと構築する必要がある。CXPIがトヨタ以外に広がらない理由の一つはここだ。

③用途の壁:プロトコルには「適切な用途の範囲」がある。CANopen は産業機器に適合したが、産業機器のニーズが進化したとき(高速モーション同期・大容量I/O)についていけなかった。FlexRayはx-by-wire向けに最適化されすぎており、より広い用途への転用が難しかった。汎用性と専門性のバランスが普及の持続性を左右する。

CAN XLへの期待と留保

この観点からCAN XLを見ると、楽観と留保が混在する。

技術仕様は合理的だ。CAN FDとAutomotive Ethernetの間を埋める20Mbps・2KBペイロードは、ゾーナルアーキテクチャのゾーン内バスとして設計上の需要がある。Ethernetフレームのトンネリングによりソフトウェアスタックの統一性も保てる。

ただし、IP戦略・エコシステム形成・コストの三点では、まだCANやEtherCATのレベルに達していない。CiAが策定を主導しているがライセンス構造は整理段階だ。対応トランシーバーの量産価格はCAN FDより依然高い。開発ツール・AUTOSARスタックのCAN XL対応も始まったばかりだ。

「技術が正しければ普及する」——この仮説はFlexRayが完全に否定した。CAN XLが同じ轍を踏まないためには、技術仕様の確定よりもエコシステム形成のスピードが問われる。

CANという「生きた化石」

古生物学に「生きた化石」という概念がある。環境の変化にかかわらず、長期間にわたってほぼ形態を変えずに生存している種だ。CANはその意味で車載プロトコルの「生きた化石」だと思う。

技術的には時代遅れになったプロトコルが、IPライセンシングの巧みさ・標準化のタイミング・エコシステムの厚み、そして車載産業固有のライフサイクル構造によって生き残り続けている。FlexRayが技術的優位性を持ちながら消えたことを考えると、技術の優劣よりも「いつ・どう標準化したか」と「誰が最初に市場を押さえたか」が、プロトコルの長期的な生存を決める支配的な変数だと感じる。

車載半導体の現場でCANやAutomotive Ethernetの議論に携わってきた立場からすると、この構造は半導体ビジネスにも同様に当てはまると思う。技術を作ることと、その技術を標準として定着させることは、必要とするケイパビリティが根本的に異なる。


まとめ

  • BoschのIPライセンシングがCANの普及を設計した:特許保有と非排他ライセンスの組み合わせにより、Boschは収益を確保しながら半導体各社の競争でCANコントローラーコストを自ら下げた。Qualcomm(CDMA)・ARM(ISA)と同型の標準化戦略の先駆けだ

  • FlexRayは技術で勝ち、設定の複雑さで負けた:10Mbps・決定論性という技術優位性を持ちながら、タイムスロット設計の複雑さ・IP権利の分散・JASPARを含む業界検証での不採用判断がエコシステム形成を阻んだ。CAN FD登場後に新規採用は事実上終了した

  • CANopenは産業用途でCANを延命させたが、限界も引き継いだ:オブジェクト辞書・PDO・SDOの標準化により産業機器での相互運用性を実現したが、1Mbpsの帯域幅制約とリアルタイム同期の限界はCANopenでは解決できなかった

  • 産業界はEtherCATとPROFINETに移った:EtherCATの125マイクロ秒サイクル・ナノ秒同期は、高精度モーション制御の要求を満たした。CiA自身がEtherCAT上のCANopen(CoE)を推進し始めたことが、産業界でのCANの退場を象徴する

  • 車載が残り続ける理由は技術でなく産業構造だ:20年を超えるライフサイクル・ノードコストの極限的な感度・OBD診断エコシステムの慣性——これらの産業固有の制約が、より高性能なプロトコルへの移行を根本的に遅らせている

  • 普及を決める三要素はIP設計・エコシステム・適切な用途範囲:CXPIが日系OEMを超えられない理由も、この三要素で説明できる。CAN XLが同じ轍を踏まないかどうかは、技術仕様ではなくエコシステム形成のスピードにかかっている

次回(深掘り#18)は、SDV時代のソフトウェアアーキテクチャの核——AUTOSAR ClassicとAdaptiveの共存設計と、AUTOSARを超えたソフトウェア定義ECUの実装課題——を取り上げる予定だ。


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