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「無知」という出発点

人生の寿命80年、90年とかつてない長生きできる時代になっています。たくさんの経験をし、社会を生き抜いていくことで、自分自身が達成したことに目が向いてしまいがちですが、それでも、世の中の全てを知ることは困難。いや、本当は知らないことばかりなのに、わかった風になってしまうことが、不幸なのではないか、というお話。

1、人生における「知る」限界

あなたは、人生で何にの人と知り合うでしょうか。例えば1日10人の人と接するとしましょう。1年間(365日)で3,650人。80歳まで活発に生きたと仮定して、3,650人×80年=292,000人。一生かけても約30万人としか知り合えないわけです。

でも、実際に毎日新しい人と接するなんてことは困難。いつものルーチンやいつものやり方、同じ会社や仕事場にい続けたら、これ以下に下がる一方。そうです。人はどんなに意識的に接しようとしたって、世界を知ることなんてやりつくせず、そして、人を知ることでさえ「十分ではない」ということを認識のスタートラインにすることが、大切なような気がします。

2、「わかりあえない」からスタートする

 人が、知り合える、「わかりあえる」とすること自体に、実は無理があるのではないか。そういった客観的な見方も、一見すると冷たいようで、実は大切な気がしています。

ある誰かの経験と同じ経験が味わえないように、このリアルな物理世界で、同じ緯度経度に、人が立つことがでないことが示すように、人の「見え方」として同じものはこの世に一つとしてないのです。

似たように見えても違うところが必ずある。それが、相手に対する敬意と尊敬のスタンダードであると思いますし、もしかしたら、もっと違う一面を見出すことができるのかもしれない。

人に対して簡単に理解できたと思うことや、こうだというタグを付けてしまうことが、お互いの可能性を小さく、そして消してしまうのかもしれない。もしかしたら、それは「簡単」ではなく「複雑」であることをそのままにしておくため、距離感や付き合い方が難しく思う人もいるかもしれない。

でも、待って下さい。それは「新しい発見」と「知らなかった興味」を次々を生み出すことにもなるのですから、そんな心配はすぐになくなっていくでしょう。

私はあなたをわからない。

あなたも私はわからない。

だから、「わからない」ことを共有しよう。そして、発見とひらめきをシェアしていくこと。そこに、また新たな経験と知見が生み出されていく。そうやって人との「接点」を増やしていくことが、人生の経験の積み重ねとして、結果的に「自分を知ること」という最大にして難問を解いていくことにつながるのではないかと思います。

3、「知らない」といえることの大切さ

世の中何でも「ソリューション」や「メソッド」が人気ですね。でもそれって物事や解決した成果の一部を切り出し、余計なものを削ぎ落として、単純化したということ。本当にその骨格っておいしいんですかね。

フライドチキンがおいしいのは「肉」であって、「骨」ではありません。でも「骨」がなければ「肉」は存在しない。だったら、それは両方あったほうがいいんじゃないですか。そして、その塊自体を余すことなく味わって、最後に「骨」が残ればいい。

つまり、「単純化」したことで物事をわかろうとすること自体が、間違っているのではないか、という姿勢は、成長と学習において、とても大切なことだと思います。

「わかった気でいる」ことよりも、いつ、何時も「わからないかもしれない」という疑問を持つことが、もしかしたら、疑いや疑問から、新たな発見を導いてくれるかもしれませんし、「知っている」ということで、新しいことを吸収する可能性を断絶してしまうことは、偶然の機会をみすみす無駄にしてしまうことかもしれません。

あ、あれは食べたことある。ではなく「何度でも食べてやれ」ということです。一度きりの経験で、何かを知った気になるのではなく、「まだまだ知らないことがある」という、無知というスタート地点は、いつ何時も持つべきなのです。

4、「面倒くさい」にチャンスがある

だいたい、経験することが多くなっていくと「ああ、それやったことある」として片付けてしまいがち。特に、単純な作業や連続した事柄には「面倒くさいな」という感情とともに、早く、簡潔にやったことにしたくなる傾向が、人間にはどうやらあるようです。

それを「横着」ともいうかもしれませんし、「知見」というかっこいい言葉で収めてしまうかもしれません。

でも、もう一度やってみてください。

何度も繰り返す終わらない仕分け作業

間違いがないか確認する作業

単純な動作の繰り返し

本当に、学びも発見もないでしょうか。習熟することで、また新しい見方や発見はないでしょうか。

人生は長生きする時代。もうベテランという安全地帯に閉じ困るのではなく、老いるほど、経験というバイアスでやらなくなってしまうことを排除し、また、自分の意志を反したことをやってみる。

靴下をいつもと逆から履いてみるでもいいし、包丁を利き手と逆で持ってみるもいい。普段のルーチンに反することで、まだまだ「見たつもり」になっていることが、この世の中はたくさんあるのです。

そう考えれば、人生はつまらない時間など一秒もなく、可能性は無限にあるのです。つべこべ言わず、手を動かしてみよう。そこから、新しい世界が開けていくはずです。

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