流行生耳下腺炎 → ◯◯◯炎 → ◯◯◯◯◯◯症
流行生耳下腺炎 → ◯◯◯炎 → ◯◯◯◯◯◯症。
(自伝②『湘南自殺ウォーキング』収録エピソード)
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おたふく風邪
平成十三年二月、長男が流行性耳下腺炎つまり、おたふく風邪にかかった。
実は僕はおたふく風邪になったことがなかった。
長男が治り、続けて次男がおたふく風邪になったとき、医師が
【お父さん、今からでも予防注射しますか?】
と言ってくれたのだが、まぁ大丈夫だろうと、タカをくくっていた。
だが、悪いことに僕までおたふく風邪にかかってしまった。
三月はじめのことであった。
熱も出て耳の下も腫れたが、ほどなく熱も腫れもひいた。
だが、辛かったのはこのあとである。

成人のおたふく風邪
成人のおたふく風邪(というよりウイルス性のものはどれも)は、
意外と恐いのだという。
男性では、睾丸にウイルスが侵入して睾丸炎になることもあるし、
脳にウイルスが侵入することもあるという。
僕の場合、睾丸が腫れて高熱にうなされた。
三日ほどうなされてから、
【これはきっと大変なことだ】
と確信して病院に電話すると、案の定、即入院ということになった。

三十九度の高熱も苦しかったが、なんと言っても股間が痛むのが一番苦しかった。
痛くてパンツの着脱すら容易ではなかった。
歩くときなどは、手で下から持ち上げるようにして押さえながら歩かないと、振動で痛くてとても歩けなかった。
男性なら分かると思うが、野球やサッカーなどで、誤ってボールが股間に
あたってしまい、数分間は動けずに悶絶してしまうような、あの感覚であった。
診察もまた苦しかった。
看護婦さんが、僕のパンツを脱がそうと手を伸ばしたときも恥ずかしいなどと考える余裕はなかった。
診察は、睾丸の触診だった。
腫れている部分を【ここ、痛いか?】などと言いながらの触診。
まな板の上の鯉、というか理科室で解剖されているカエルのような気分
だった。
実際には、ほんの十秒程度の診察だったのだろうけれど、やっと医師の手が僕の股間から離れたときは、全身がぐっしょり汗で濡れていて、フルマラソンでも終えてきたかのような疲労であった。
続けてX線撮影。
撮影技師が
【たまですか? 棒ですか? どっちを撮影するんだろう?】
とボケかましていたが、ツッコミを入れる余裕などあるはずもない。
やっとの思いで
【うぐぐぐ・・・睾丸です】
と答えて、X線撮影は終了。
その後、病室に車椅子で運んでもらった。伝染病だから個室だった。
ベッドに横になると、やっと落ち着いた。
動かなければ、それほどの痛みはない。

副睾丸炎
その日から、一日中点滴だった。
睾丸は氷で冷やしていた。
なんとも情けない図である。
入院二日目。
トイレに行ったついでに、部屋に備え付けの鏡に自分の股間を映してみて驚いた。
両方の睾丸が、卵くらいの大きさになっていたのである。
ぎょっとして、思わずナースコール。
「すごく腫れてるんです!」
すぐさま、医師がかけつけてくれたが、僕の睾丸を見ると、
「いや、昨日よりちょっと良くなった感じかな?
きのう運ばれてきたときはもっと腫れてたよ」
とのコメントだった。
(ひえー、そうだったのか・・・)
その後、点滴と股間冷却を続けた結果、一週間後には食欲も取り戻し、退院となった。
退院
退院後は、一週間ほど自宅でのんびりしたあと、会社に戻った。
だが、ここで大変なことになった。ひどく体が不自由なのである。
通勤自体が、入院以前よりも 辛くなっていたのだが、もっと辛かったのは
会話と手だった。
鼻炎カプセルを飲んでいたわけでもないのに、異様に口が重たかった。
会議中のメモも手が動かない。
かくのごとくして、復帰第一日目にして、僕はくじけてしまった。
二日目からは、再び自宅静養。
そして、遂に精密検査を受けることにしたのである。
◯◯◯◯◯◯症
最初は、整形外科に行った。
パーキンソン病かも知れないということはすっかり忘れていた。
でも整形外科の問診の段階で、
「ちょっと手が震えたりします」
と言えたことで、看護婦さんがことの重大性に気づいてくれた。
「あ、それなら、内科を受診してくださいね」
と言われて、整形外科の診察の後、内科を受診した。
内科では、とりあえず手の震えを止める薬を処方してくれた。
その上で、CTの検査をすることとなった。
CTの検査の結果を聞きに行ったのは、ゴールデンウィーク直前だったと思う。
そのとき、告げられた病名が【脊髄小脳変性症】だった。
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