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HSP記憶/遠足に


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町内会の遠足

僕の母は、遠足の日に、
「恥ずかしいからブレザーを
       着て行きなさい」
だなんて言ったんだよ。


その日は町内会のイベントで、
小学生の遠足の日だった。
どこへ行ったのか、覚えていない。
登山ではなかったと思う。



母と口論

その日の朝、母と口論になった。
「遠足には、
 このブレザーを着て行きなさい」
「そんなのヤダよ~!
 鎧を来ているみたいで
 遠足が楽しくないよ~」


「恥ずかしいから、
 ブレザーを着て行きなさい」
「ヤダ!」
『あそこの家は、きちんとした服を
 着せてない』
って、お母さんが
 笑われて恥ずかしいのよ!」


押し問答の末

押し問答の末、僕が負けて
ブレザーを着て行くハメになった。
鎧を着せられているようで、窮屈で、
遠足がちっとも楽しくなかった。

アドラー心理学《課題の分離》

このエピソードをアドラー心理学の
「課題の分離」
の視点から分析すると、以下のようになります。

■ 概要:

「課題の分離」とは、「その課題が誰のものであるか」を明確にし、他者の課題には介入せず、自分の課題には責任をもって取り組むというアドラー心理学の基本的な考え方です。

【1】誰の課題か?

● 母親の主張:

「恥ずかしいからブレザーを着て行きなさい」
「『あそこの家はきちんとした服を着せてない』って笑われて恥ずかしい」

これは、「他人から自分(母)がどう見られるか」という、母親自身の課題です。
→ 「母が恥ずかしい」と感じるかどうかは、母自身の問題であり、子どもの課題ではありません。

【2】子どもの課題は?

● 子どもの主張:

「鎧を来ているみたいで遠足が楽しくないよ~」

これは、「自分がどう感じ、どう楽しむか」という、子ども自身の課題です。
→ 楽しく過ごせる服を選ぶことは、本来なら子どもの自由であり、その責任も子どもにあります。

【3】課題の混同と支配

このエピソードでは、母親が自分の課題(=世間体や他人の評価)を、子どもに押し付けた形になっています。
子どもは、母親の課題に巻き込まれた結果、自分の課題(遠足を楽しむ)を果たせなくなったのです。
これは、アドラーが避けるべきとした「他者の課題への介入」であり、また「支配・操作」にもつながります。

【4】HSP的観点との重なり

HSP(Highly Sensitive Person)としての記憶が、いまもこの体験を鮮明に保持しているのは、自分の感覚(「窮屈」「楽しくない」)が抑圧されたことによる深い不快感、無力感が背景にあるから。

【教訓】

このエピソードから見える「課題の分離」の教訓は、

母の課題(世間体)に巻き込まれずに、自分の課題(快適に楽しむ)に集中することの大切さ

そのためには、他者の期待にすべて応える必要はないという境界意識が必要だということです。

■ どうするのが理想だったか?

アドラー心理学では「他者の期待にこたえない勇気」が重要です。

子どもとしては、「自分が快適に遠足を楽しむためには、この服装では嫌だ」という自己主張は正当です。

しかし、「戦う」=「母を言い負かす」「強く反抗する」ことが目的になると、争いの中で関係が壊れたり、自分も疲弊します。

■ では、どうしたらよかったのか?

アドラー的には、次のような対応が理想に近いです:

「お母さんが恥ずかしいと思うのはお母さんの課題だよ。
でも僕の課題は、楽しい遠足にすることなんだ。
だから自分で服を選ぶよ。」

このように、冷静に「課題の分離」を伝えるコミュニケーションが、理想的な在り方です。
※ ただし、これは子どもには高度すぎることも多い。


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