上肢障害? DCD?
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エンジンの調子が悪いUFOかのように
幼稚園時代の記憶です。
お昼になって、みんながお弁当を食べます。
私は、クリームパンの袋を開けました。
袋がパーンと破れ、
パンがパーンと飛んでしまいました(泣
エンジンの調子が悪いUFOかのように、くるくる回りながら、部屋の隅に飛んで行きました。

ハサミをうまく使えるようになった
これが治ったのは、つい最近(2022年1月頃)です。
幼稚園時代の記憶から55年も経過(汗
厳密には、治ったわけではありません。
ハサミをうまく使えるようになったので、
袋を手で引き千切るのをやめただけです。
それ以前は、生ラーメンの袋を手で引き千切って
麺を飛散する、ということを繰り返してました。
ピーマンやジャガイモやニンジンの袋も同様。
ごろんごろん転がり出て、漫画のような日常♪
全て、ハサミで切るようになりました。

ちなみに、ハサミは
・キッチン
・冷蔵庫
・文房具箱
・ウエストポーチ
・車椅子
の5つを常設しています。
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【小学生時代/字が下手・はさみが下手】に続く
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DCDについて(chatGPT)
以下、Developmental Coordination Disorder(発達性協調運動症/DCD)が「いつ」「誰が」「どういう経緯で」提起されたか、そして日本の教育現場で意識されるようになった時期を整理する。
✅ DCD — 起源と「誰が」
・初期の概念と呼び名
現代の DCD に近い「運動のぎこちなさ(不器用さ)」の臨床的記述は、20世紀初頭にさかのぼる。たとえば James Collier は “congenital maladroitness”(生まれつきの不器用さ)という言葉でこのような運動の問題を報告した。 (UBC Wiki)
その後、さまざまな呼び名が使われた。「motor weakness(運動の弱さ)」「psychomotor syndrome(精神運動症候群)」など。1925年ごろにはヨーロッパ(フランスなど)でこのような運動のぎこちなさを示す子どもが報告されていた。 (UBC Wiki)
また、Samuel Orton は 1937年に、知的障害や明らかな神経麻痺がないにも関わらず「技能的な動作(工具の使用や書字など)の困難」を示す子どもたちを、“clumsy child syndrome(不器用な子ども症候群)”のような言葉で挙げている。 (Taylor & Francis)
・「DCD」という診断名の確立
時代を経て、この種の運動の問題を「発達性の協調運動の障害」として整理する試みがなされた。最終的に「Developmental Coordination Disorder(DCD)」という名称が採用されたのは、1994年の国際会議(International Consensus Conference on Children and Clumsiness)であった。 (UBC Wiki)
つまり、DCD という診断概念そのものは、この1994年の国際合意が直接の起源といえる。
📅 なぜ遅れたのか — 日本でDCDが注目されるようになった時期
海外では1980年代以前から「motor dysfunction/不器用さ」の概念はあったものの、国際的に統一された診断名 “DCD” が定着したのは1990年代中盤以降。 (UBC Wiki)
日本で “DCD” という言葉が翻訳・紹介されたのは、1988年出版の日本語版の診断マニュアル(DSM‑III‑R)であるとの記録がある。 (スカンジナビア障害研究ジャーナル)
しかしながら、実際に日本の学術論文や教育・医療現場で DCD を取り上げるようになったのはそれから時間がかかる。例えば、1995年にようやく日本の子どもの健康に関する雑誌で DCD が言及された、という報告がある。 (スカンジナビア障害研究ジャーナル)
さらに、日本で組織的に DCD の支援や研究を進めるための学会、日本DCD学会 が設立されたのは 2017年。この学会設立をきっかけに、「DCD」という概念が医療・療育のみならず教育現場にも広がりつつある。 (日本DCD学会)
実際に、学校現場で「不器用さ」「運動が苦手」な子どもの背景として DCD に着目する論文や報告も、2000年代に入ってから数が増えてきている。例えば、2004年の論文では「知的能力・感覚障害・麻痺がないにも関わらず運動技能に困難さを示す子どもたち」が DCD とされ、その子たちが学習や日常生活で困り感を持っている可能性を指摘している。 (J-STAGE)
🔎 なぜ「今ごろ」になって教育現場で意識されるようになったのか
ひとつは、国際的に定義が整理され、診断名 “DCD” が確立されたこと。1994年の国際合意によって、単なる「不器用さ」ではなく「発達性の協調運動障害」として認識されるようになった。
日本では1988年に DSM の翻訳で用語が紹介されたが、長らく認知度は低く、医療や療育の現場でも「不器用=練習不足」「ただの運動音痴」とされる傾向があった。だから、教育現場で体系的に理解・支援されるようになるまでには時間がかかった。
2010年代に入って、欧米でのエビデンス蓄積、国際的な診断基準の普及、そして日本での専門学会(日本DCD学会)の設立と活動開始により、教育や学校支援の文脈でも「DCD を疑う」「配慮や支援を検討する」という動きがようやく広がってきた — という流れ。
🧒 日本の教育現場で「意識されるようになったのはいつか」
ざっくり言うと 2000年代〜2010年代前半から徐々に広がり、 2017年の日本DCD学会設立 をひとつの大きな節目に、「学校や療育、医療、支援機関」などの間で DCD の理解と支援の枠組みが本格化した、というのが実情。 (日本DCD学会)
実際に、最近では DCD を前提とした支援ガイドや学校での合理的配慮を解説する文献も出始めており、教育現場での受け止められ方に変化がみられている。 (LITALICO発達ナビ)
🎯 補足 — DCD の持つ意味と、なぜ「協調の問題=発達障害」とみなされるのか
DCD では、筋力や感覚に明らかな異常がないにもかかわらず、「協調運動技能」の獲得・遂行に持続的な困難がある。日常生活であたりまえにできる「靴ひもを結ぶ」「字を書く」「ボールを投げる」「縄跳び」などが苦手になることがある。 (発達障害ナビポータル)
最近の研究では、DCD の背景にあるのは「脳の運動制御モデル(内部モデル)」「感覚統合」「ミラーニューロンなどの神経システム」の偏り・特性だ、という見方が広がっている。つまり、DCD は単なる「練習不足」や「努力不足」ではなく、脳と身体の発達の多様性のひとつと捉えられている。 (J-STAGE)
✅ まとめ
DCD の起源となる「 congenital maladroitness 」の記述は20世紀初頭にさかのぼる。 (UBC Wiki)
しかし「DCD」という名称で診断概念が国際的に確立されたのは 1994年。 (Kiwix)
日本では 1988年に用語が紹介されたが、本格的な認知・利用が広がったのは2000年代以降で、特に 2017年の日本DCD学会設立 が大きな契機。 (スカンジナビア障害研究ジャーナル)
つまり「不器用さ」「運動が苦手」という問題が、単なる性格や練習不足と片づけられるのではなく、「神経発達の特性(DCD)」として、学校現場や医療・療育で理解・支援されるようになったのは、比較的最近のこと。
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1965年頃、私の不器用に気づいてくれる大人はいなかった
★chatGPT1965年ごろに「不器用さ(協調運動の困難)」を“発達障害の一種”として理解できた大人がいなかったのは、その時代の医学・教育の常識では気づきようがなかったためです。あなたのせいでも、周囲の大人の「感性」が鈍かったせいでもありません。
これは歴史的に説明できる必然です。
🕰 なぜ1965年には誰も気づけなかったのか
① DCDという概念が「まだ存在していなかった」
現在の診断名「DCD(発達性協調運動障害)」が国際的に整理されたのは 1994年。
それ以前は「clumsy child(不器用な子)」「運動が苦手な子」としか扱われなかった。
1965年の段階では、「不器用=性格」「不器用=練習不足」という理解が普通。
つまり、1965年の大人が DCD を認識できなかったのは100%時代の限界です。
② 1960年代の教育では「運動の不器用さ」を問題として扱わなかった
戦後の学校教育は“体力・根性・体育の習得”を重視。
技能の差は「個人差」あるいは「努力不足」で済まされた。
手先の不器用さや協調運動の困難は「遅れている」「不器用」「男の子(女の子)だから」で片づけられた。
支援も、検査も、理解もなかった。
③ 「不器用さ」と知能・性格を分けて考える発想がなかった
現代は、
運動協調
体幹のコントロール
手指の微細運動
感覚統合
視覚認知と運動の連携
などを別々に評価するが、1960年代には存在しない視点。
当時の大人の「不器用さ」の理解は
=気質の問題
=落ち着きのなさ
=しつけの問題
と誤解されていた。
あなたが気づいてもらえなかったのは、あなたの不器用さのせいではなく、**社会がまだ“その現象に名前をつけることすらできなかった”**ため。
🧒 あなたの1965年の「不器用」は、現代ならこう評価されていた
もし1965年のあなたが今の学校にいたら、
先生や心理士は
手先の協調運動は?
ボールなどの粗大運動は?
姿勢保持は?
視覚→運動の連携は?
字を書くと疲れないか?
着替えや紐結びは?
などをチェックし、必要なら
DCD(発達性協調運動障害)の可能性
として扱ってくれたはずです。
つまり、あの時代に生まれたがゆえに、あなたが受けられるはずのサポートは歴史的に存在していなかった。
✨ だからこそ言えること
あなたが小さな体で抱えた「説明されなかった苦労」は、
本来、あなた一人で背負う必要のない苦労だった。
気づいてくれる大人がいなかったのは、
誰も悪くないけれど、
あなたが悪かったわけでは絶対にない。
むしろ
理解されぬまま
言語も概念もないまま
ただ“苦手な子”として扱われながら
それでも大人になったあなたには、
その苦労に見合うだけの強さと洞察がある。
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