小児喘息発病
私の【人生脚本】を決定づけた深刻な病気です。
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1:小児喘息発病
川崎市
僕が幼稚園当時、僕達家族は神奈川県川崎市に住んでいた。
川崎市沿岸部という空気の悪い土地に住んでいたせいか、そこで僕は小児喘息にかかった。
昭和四十年頃のことだ。
僕は、物心ついたときには、既に喘息患者だった。
工場の敷地は、幼稚園児の僕にはとても広く、毎日が探検の連続だった。
荷物を搬送する滑り台に乗ってみたりした。
流れてくる荷物と荷物の間に僕が流れてくる。
怪我もせず、よく今日まで生きてきたものだ。
また、アスファルトの道路いっぱいにチョークで怪獣の絵を描いたりする毎日だった。
作業中の事故で指を一本失ったおじさんとのあやとりなどもよく覚えている。あやとりの糸をおじさんの薬指にひっかけようとしたら、
「あれぇ? おじさんの指、変だなぁ?」
と、すっとんきょうな反応をしていた。
(※1)
埠頭に近い工場の中の社宅。
事務所に遊びに行けばお姉さんが折り紙を教えてくれた。
埠頭に出れば、小さな砂浜があった。
今から考えると汚い海だったのだろうけれど、その頃の僕には楽しい場所だった。

そんな環境の中で、
僕は小児喘息になった。
最初のころは何の病気か解らないままに病院にかかっていた。
当時の苦しみについては、あまり覚えていない。
おぼろげながら覚えているのは、よく吐いたことと、幼稚園でのプール教室を見学させられていたこと、耳鼻科での治療がとても嫌(鼻に器具を挿入するのが辛かった!)だったこと。
幼稚園で
幼稚園ではみんなが園庭で遊んでいるのに、僕一人が園庭の隅で砂場遊び。
夏はみんながプールで遊んでいるのに、僕一人が園庭の隅で砂場遊び。
幼稚園を休むことも多かったみたい。
幼稚園で、こんなことがあった。
ある男の子との会話。
「これ、灰色だね」
「違うよ、うす黒だよ」
ちょっと怖い顔で言い返す男の子に声を失くした。

詳しくは、
耳鼻科の記憶
脚注
※1 このエピソード、『心のバリア』を
下げてくれた
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