The Dance of Eternity (22)
筋トレで筋肥大したマッチョは子どもに引き継げるか?
スペンサーの「適者生存」がいつのまにか「強い者=正義」という世界観に変質し、優生思想を経て国家間の帝国主義の正当化にも使われてしまったという歪曲の歴史については、これでもかというくらいしつこく述べてきましたが、ひとまず脇に置きます。
スペンサーは「個体がその一生に後天的に獲得した特性(=獲得形質)が次世代に受け継がれる」と信じていました。現代の生物学ではこの考え方は否定されていますが、スペンサーはこのロジックを社会科学に応用して「社会の構成員である個人は社会にとって有益な習慣を後天的に身につける義務があり、有害な習慣は淘汰すべき。そのような社会の構成員たる個人の務めは、生涯を通じて『良い特性』を育てて次世代に伝えることで社会全体が望ましい方向に発展する」と考えていました。スペンサーのこのような考え方は、個人と社会を橋渡しする論理と言えます。
企業が競争優位を築こうとするとき、その優位が企業内の次世代に継承されることを(ほとんど無意識に)前提にしていますが、現代の生物学では獲得形質は(「The Dance of Eternity(11)」で触れたエピジェネティクスの例を除いて)遺伝しないことが明らかにされています。
もちろん人間には言葉という情報媒介手段があるから生物の世代間の形質遺伝とは理屈が違う。でも文字で継承されれれば、デジタルに情報が共有されれれば、メンバーが入れ替わっても完璧に情報が伝わる、というわけにはいかない(というよりメンバーが入れ替わるとほとんどの情報は失われてしまう)ことは、企業活動の現場にいる我々は日々痛感しているところです。だからこそ、生物における世代を超えた遺伝の仕組みを理解することが、企業が世代を超えて進化していくヒントになると感じるのです。
「個体が後天的に獲得した形質が遺伝する」という考えは19世紀初頭のフランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクが提唱したものです。ラマルクは「用・不用の法則」(=頻繁に使用される器官は発達し使用されなければ器官は退化する)を主張しました。「筋トレすれば筋肉が肥大する」というように、わかりやすい。ラマルクは、このような後天的に獲得された形質が子孫に遺伝すると考えたのです。野生の動物は何世代にもわたって不変の環境下で繁殖するため、世代ごとに獲得された形質の変化が蓄積され、長い時間をかけて大きな進化につながる、というわけです。

ラマルク説の典型例として挙げられるのがキリンの首。もともと首の短かったキリンが、高い木の葉を食べようと首を伸ばし続けるうちに、首が少しずつ長くなり、その結果、子孫もより長い首を持つようになった。アフリカのサバンナで首を伸ばして採食する行動が何千年も繰り返されたことで、現在のような長い首を持つキリンが誕生した、というわけ。

直感的には納得しやすけど、今日では完全に否定されています。ボディビルダーがいくら筋肉を鍛えても子どもに大きな筋肉が遺伝することはないし、どれだけ整形手術を繰り返して顔立ちを整えても子どもが美男美女として生まれてくることはない。残念ながら(笑)。そういう努力して得た形質は笑っても泣いてもその代限り。

メンデルがラマルクを殺した

19世紀末、グレゴール・メンデルが有名な「遺伝の法則」を発見し、後天的に獲得された形質が受け継がれるわけではなく「親から受け継ぐ特定の遺伝因子(のちに遺伝子と呼ばれることになる)」によって形質が受け継がれる、と主張しました。生物の形質の変化は、個体の生存環境や器官の使用頻度ではなく、遺伝子の組み合わせによって決まるというわけです。20世紀に入って実験生物学や分子生物学が進展するなか、ラマルクの獲得形質の遺伝説を否定する証拠が次々示されました。

アウグスト・ヴァイスマンはマウスの尻尾を何世代にもわたって切断する(可哀想…)実験を通じて「尻尾が短い」という後天的な変化は子孫に伝わらないことを証明しました。この人はその学問的探求の一生のなかでラマルク的な考え方から一転してそれを否定して生殖質(ソーマ細胞)だけが遺伝に寄与すると信じるに至った人なんだけど、その学問的な誠実さ(というか愚直さ)には胸を打たれるところがあります。彼はまた「死は生物にとっての恵みである」という指摘を生物学的見地から主張した初めての研究者でもあります。

20世紀後半にDNAの構造が解明されて遺伝情報の保存と伝達のメカニズムが明らかになった結果、ラマルク説が根本的に間違っていることが科学的に確定された一方、ダーウィンの自然選択説は、その学問的な洗礼を生き抜いて進化を説明する支配的な理論として定着していきました。
ラマルクは完全に死んだのか?
さて、これまで「獲得形質は(ほぼ)遺伝しない」と繰り返し述べてきましたが、「ほぼ」を使うには理由があります。『The Dance of Eternity(11)』で紹介したエピジェネティクスの研究では、環境要因が遺伝子の発現に影響を与える可能性が示されています。これはラマルクの理論と異なる仕組みであるものの「獲得形質がまったく遺伝しない」とは言い切れないということです。
セントラルドグマ(※新世紀エヴァンゲリオンの話ではなく笑)
生物の形質が世代を超えて受け継がれていく仕組みを「セントラルドグマ(中心教義)」と言い、DNAの二重らせん構造を共同で発見したことで有名なフランシス・クリック(1916–2004)が1957年に提唱した概念です。

セントラルドグマは「DNAに記録された遺伝情報がRNAに転写され、そのRNAがタンパク質合成の設計図ととして翻訳されることで生物の形質として発現する」という情報の流れを示していますが、重要なことは「遺伝情報の流れは一方向」ということです。個体が後天的に獲得した形質(タンパク質)はRNAやDNAに逆流することがないので、これらの形質が子孫に遺伝することはありえないというわけです。
セントラルドグマの流れは以下の通り:
細胞の核にはDNAとして遺伝情報が保存されている
DNAはmRNAに転写され、タンパク質合成の設計図となる
細胞内でmRNAがタンパク質の設計図に翻訳されタンパク質が合成される
クリックは、1953年にジェームズ・ワトソン(1928年生まれ)とともにDNAの二重らせん構造を解明し物理的なモデルとして提示しました。
DNA構造の発見は革命的でしたが、遺伝情報がどのようにしてタンパク質合成に使われ、どのように次世代に伝えられるのかについてはよく分かっていませんでした。クリックのすごいところは、RNAの物質としての正体が明らかでなかった時代であったにも関わらず、RNAがタンパク質合成の中心的な役割を担い、情報の流れは一方向と推測したことです。
2019年末から世界中に広がったCOVID-19パンデミックへの対策として有名になったmRNAワクチンもRNAがタンパク質合成の設計図の役割を果たす仕組みに基づいています。mRNAワクチンは病原体そのものを体内に入れるかわりに、ウイルス表面のスパイクタンパク質(Sタンパク質)を合成する設計図を体内に注入することで体内でそのタンパク質を合成して免疫を獲得させる仕組みであるところが従来と違う画期的なところなのです。

セントラルドグマでは「DNA → mRNA → タンパク質」という流れで情報が伝わりますが、mRNAワクチンはDNAのステップを飛ばしているところが効率的なのです。
企業は“獲得形質”を継承することができるけど…
生物は後天的に得た形質を遺伝で伝承することはできない(タンパク質→RNAへの逆流が不可能)一方、企業組織は獲得された能力(特許やマニュアル、ソースコードなど)を文書やコードの形(=遺伝子情報に変化を加える)として記録して「獲得形質を継承する」ことができます。「公式記録を残すこと」を遺伝子自体の変化による遺伝と考えるなら、エピジェネティックなメカニズムとは、公式情報に依らない伝承ということになります。
企業における「エピジェネティックな知の継承」
1. リチュアル(儀式)
朝礼、年次の合宿や非公式な飲み会、社員旅行といった行事を通じて価値観を共有する作業は「行動を通じて価値観を刷り込む」手段といえます。それはあたかもエピジェネティックな修飾のように機能するので、文字による伝承に比べて非効率に見えても、反復することで個人の思考パターン(=DNA)に書き込まれるわけです。
これは形式的な文書化よりも手間のかかる手順です。ビジョンとかパーパスとかミッションとかを形だけ整えて自己満足するのではなく、それを体現する日々の習慣とはなにか?が具体的で組織メンバーがそれを日々実践している状態が必要ということです。
2. ナラティブ(神話・語り)
「創業者のあのエピソード」が物語として語り継がれるケース。非ドキュメント情報が公式の規範(=DNA)に書かれずとも、口伝で組織の行動に影響を与えること。「スティーブ・ジョブズだったらこう考えるはず」といった神話的な継承がこれにあたります。僕なんか世代が古いから100年も昔の松下幸之助のエピソード集なんか今でも読んじゃったりするのだけど、これもエピジェネティックな伝承と言えます。
3. 職人芸(暗黙知)のOJTを通じた伝承
文書化されていないノウハウが、OJTを通じた観察・模倣・反復を通じて伝わるケース。形式知ではなくエピジェネティックな身体知として受け継がれること。
エピジェネティクス vs. メモリ型組織
エピジェネティクスの要件である「環境刺激+可塑性+選択性」を企業組織に応用するなら、下記のように読み替えることができます。
環境刺激→危機や市場の外からの圧力や市場自体の変化
可塑性→組織の柔軟性や実験志向、失敗の許容
選択制→ベストプラクティスの定着
つまり、事業環境が変化に直面している危機感を経営陣が自覚しているからこそ組織としての適応性を高めるために、ルールを変えたり試行錯誤を許容したりするなかから、その時々で最善のものを選び取ろうという姿勢が徹底されるとき、エピジェネティックなノウハウ伝承が起こる、ということです。

このループが機能することで知識・態度・判断基準が「非コード的に」次世代へと継承されます。いわば組織DNAの外側に書き込まれる、第二の遺伝メカニズムといえるでしょう。
これをもう少し掘り下げてみます。
1. Cultural Evolution:知識の「選択と変異」
社会的文化進化は、ダーウィンの進化論を社会に当てはめる研究で「個人間で模倣され繰り返された行動や価値観が時間をかけて組織内で淘汰・選択される」という主張で、リチャード・ドーキンスの「ミーム」もこの一種と言えます。
組織で偶発的に生まれたナレッジは全てが均等に残されるわけではなく、成功物語やそれを支えた習慣が選択的に模倣され、勝ちパターンとして文化に定着します。模倣による強化+淘汰の構造を知識の文化的継承=準エピジェネティクスな伝承と考えるわけです。
トヨタ自動車のカイゼンの文化は、明文化されたマニュアルではなく成功パターンが模倣され、選別されるプロセスによって育まれたもので「一人ひとりの作業者が日々の業務のなかで小さな改善を積み重ねる姿勢」を重んじる文化が自然に選別された例です。そうした文化進化の結果残った組織文化を一歩進め「トヨタ生産方式(TPS)」として構造化したのです。
2. Organizational Memory:企業組織に残る長期記憶
Organizational Memoryは、組織が経験から得た知識・慣習・判断基準をどのように保存し活用するかという研究領域のことで、形式知(マニュアル、データベース)と非形式知(慣習、語り、文化)を分けて考えます。後者がエピジェネティクス的です。構成員の入れ替わりに関わらず、意思決定様式や判断基準が組織に残る非明示的な記憶を、エピジェネティクスにおけるヒストン修飾の役割と重ねて考えるのです。
これを促すため、ストーリーテリングやロールモデルの儀式化や習慣化といった記憶のデザインを意図的に構築することで非明示的な記憶を継承しようとするわけです。
1986年に起きたスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故は、当時内部の警告が組織的に無視されていたことが原因とされましたが、その教訓を活かすためNASAは教訓を明文化するに留まらず語り継ぎ・教育・安全文化を設計し組織記憶としての定着を図ったことは有名です。

source: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3730/
3. 書けないものを伝える
ハンガリーの科学者マイケル・ポランニー(この人はハンガリー出身のユダヤ人で第一次大戦やナチスドイツ下での広範な化学研究と戦後科学哲学者としての業績は巨大でこの本なんかは大のオススメ!)の「暗黙知」は「我々は自分が知っていることすべてを言語化できるわけではない」という前提に立っています。
職人芸、状況判断、空気の読み方(笑)、実はほとんどの知の本質が暗黙知であって言語化・表象化された情報はごく一部で、むしろ重要なノウハウは、文書では伝えることができず、OJT、観察、身体化された経験でしか伝達されないとすら言えます。
このような非言語的な伝達を促す試みとして、シャドウイング、ロールプレイ、「阿吽の呼吸」のような「言語化できず、共に動く(働く)ことを通じてしか伝わらない情報の流れを仕組み化しようというわけです。語義矛盾してるみたいだけど、「できないからやらない」ではなく「やりきれなくてもできるところまでやる」ということです。
キヤノンは高度成長期に熟練した金型職人たちが築いた「勘どころ」を次世代に継承するため、熟練工と若手のペア作業を徹底し、当世流行りの(笑)モーションキャプチャや動画だけでは伝わらない「タイミング」や「手の感触」を、手取り足取りで伝える現場設計を徹底しています。こうした書いても読んでもわからない暗黙知を「やって見せる」「一緒にやる」ことで継承しようとしているのです。

4. 意味を生成する「センス・メーキング」
著名な組織心理研究者であるカール・ワイクの「センスメーキング」論は、簡単に言えば組織メンバーが遭遇するさまざまなできごとに「意味」を与えることで共通の理解を形作るプロセスの研究です。同じできごと(遺伝情報が一定)でも、どう捉えるか次第で組織メンバーの行動が変わる点に着目して、組織文化についての物語をセンスメーキングにおけるプライマー(行動を誘起する事象)として活用することで、組織としての行動にプライミング効果を通じた変化(エピジェネティックな形質表出)を期待しようというわけです。
スターバックスでは店舗スタッフ(「パートナー」と呼ばれる)が、単なる店員であることを超えて「お客様に第三の場所を提供する担い手」というセンスメーキングを徹底しています。顧客から名前を間違えて呼ばれても「勘違いを笑顔で共有する」ことで顧客との絆を深めるチャンスにできる、という文化的な意味づけを行っています。些細なエピソードですが、僕はときどきスタバでモバイルオーダーをするんですが、僕の名前が間違って発音されることがあります。それを逆手にとって店舗パートナーと目を合わせて「あ、そこ違うんですよね」と笑いかけると、心得たパートナーが大きな笑いを表して、悪びれず「今度は間違いませんよー」と返してくることがあります。マニュアルではなく、現場で学習され再発見される「生きた意味」が繰り返し再解釈され定着している好例です。マニュアルを超えて「その行動にどんな意味があるのか」という文脈理解を徹底することで行動を変えようとしているのです。

5. Ritual Theory:行動によって価値観を書き込む
文化人類学、社会学、組織論にまたがる「儀礼理論」は、象徴的な行動を通じて集団の規範や価値観が身体的・感情的に刻まれるメカニズムを解き明かします。具体的には、毎朝の朝礼、表彰式、恒例親睦イベント、失敗談の共有の場の儀式化といった価値観の伝達装置。
個人がそれに参加することで、「我々の文化」が身体化される。
これはまさに「ヒストン修飾」のように、同じDNA(組織ルール)を持つ人材の間にも異なる発現をもたらすことを期待するのです。
環境への配慮を企業理念の中心に据えることで有名なパタゴニアでは年1回の全社会議で全社員が環境問題に関するワークショップを受講し「ブラックフライデーは売上の一部を地球に還元するために行う」といった儀式的行動にを繰り返すことで理念を身体化しようと努めています。新入社員であっても言われなくても動ける文化が形成されるわけです。
今回は遺伝子の変化という「公式情報の書き換え」を通じた情報伝承が後天的な獲得形質の伝承には活用できないという制約を踏まえて、エピジェネティックなメカニズム(遺伝子の書き換えではない)を通じた組織文化の強化と伝承についてつらつらと考えてみました。
