言葉を飾るとは何か/自分らしさとは何か考えてみた
無難な言葉を選んで書いていませんか。
誰かを傷つけないように、間違えないように、当たり障りのない言葉をそっと並べて。
それ自体は、決して悪いことではありません。
もし最近、無難にまとまっているのに手応えが残らないと感じているなら、今日の話はたぶん自分のこととして読めるはずです。
そうやって整えた言葉ほど、あとから読み返すと少しだけ自分から離れている感覚になることがあります。
うまく書けているはずなのに、どこか自分らしさが欠けているような、そんな違和感。
この記事では、言葉を飾ろうとしていた自分が、少しだけ肩の力を抜いて書いたときに気づいたことを、小さな体験として置いていきます。
気づけば、言葉を選びすぎていた
以前の私は、誰かを傷つけないように、角が立たないように、当たり障りのない言葉を選んで書いていました。
言い切らず、断定せず、読み手がどう受け取っても問題にならないように整えた文章。
それは確かに、無難で、ひとつの正解だったと思います。
間違ってはいないし、責められることもない。
そういう意味では、とても安全な書き方でした。
ただ、その頃の私は、自分が言葉を飾っているという自覚を、ほとんど持っていませんでした。
本心を書いているつもりでしたし、嘘をついている感覚もなかった。
でも今振り返ると、その言葉が読者に届いていたかというと、少し違った気がします。
正直に書いているはずなのに、どこか距離がある。
伝えたつもりでも、伝わっている実感が残らない。
あなたにも、読み返したときに これは誰の文章だろう みたいに感じたことはありませんか。
その違和感の正体が、言葉を選びすぎていたことだったのだと思います。
飾らない言葉を書いた日、少しだけ楽になった
ある日、自分の言いたいことを、もう少し素直に伝えてもいいのかもしれない、と思える瞬間がありました。
きっかけは、とても身近なところにありました。
仲良しのフォロワーが、飾らない言葉で気持ちや考えを綴っていて、それが多くの人に読まれていたことです。
特別に強い言葉を使っているわけでもなく、うまくまとめているわけでもない。
それでも、その文章にはちゃんと人が集まり、反応が残っていました。
それを見て、言葉をきれいに整えなくてもいいんだ、と少し肩の力が抜けました。
飾らない言葉を使わなきゃいけない、という意味でもありません。
選びすぎなくてもいい、という感覚に近かった気がします。
それ以来、伝えたいことのすべてではなくても、部分的にでも率直に書くようになりました。
読者にどう思われるかよりも、読者が感じられるかどうか。その一点だけを考えるようになりました。
それだけを考えて書いても、いいんだと思えるようになった。
その分、文章を書く時間が、少しだけ楽になりました。
おわりに:自分らしさは、削ったあとに残る
自分らしさは、何かを足してつくるものだと思っていました。
言葉を選び、整え、正しく見えるように並べていくことで、自分の輪郭がはっきりすると信じていた気がします。
でも実際は、余計な言葉を削ったあとに残るもののほうが、ずっと自分に近かったのかもしれません。
飾らなくてもいい。無理に強くしなくてもいい。
伝えたいことが、少しでも率直に置けていれば、それでいい。
最近は、そんなふうに考えながら書いています。
いまのあなたが、少し削ってみたい言葉はどれですか。ひとつだけでも大丈夫です。
今日もまた、言葉を足すより、軽くするほうを選んでみようと思います。
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