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短編小説 異世界に堕ちたルービックキューブ

 最初に、「ルービックキューブ」の説明をしておく。ルービックキューブとは、立体パズルの一種で、各面が異なる6色で構成された3×3×3のピースがつながった立方体。ピースの境目に可動域を持つ。これを回転させて各面を同じ色に揃えることがパズルの目的になる。ルービックキューブは、現在は株式会社メガハウスの登録商標。

事件は静かに起こった

 昔のお話。学校での昼休み、友達から自慢のルービックキューブを借りた。彼はそれを机に置いて席を外した。私は、くるくると回しながら、しばらくの間パズルの感触を楽しんだ。だがその瞬間、不意に手が滑り…

カランッ!

 キューブは床に転がっていく。慌てて拾い上げるが、角のピースがひとつ外れていた。心臓が一瞬止まりそうになる。誰もこちらを見ていない。彼もまだ戻ってこない。
 床に落ちた角のピースを見つけ、それが割れていないことを確かめた後、見た目どおりの位置に「ぐいっ」と嵌め込んだ。
 形は元通りになって傷もない。まるで何事もなかったかのようだ。ほっと胸をなで下ろし、そっと机の上に戻した。でも何か変だ。
 私は何も知らない顔をして席に戻った。 

 彼が戻ってきて、キューブを手に取る。お得意の手順を軽快に繰り出し、あっという間に3面まで揃えてしまう。
 私は黙って見ている。内心では少しドキドキしていた。
「……あれ?」
 彼の手が止まった。残り数手で完成のはずが、どうにもパターンが合わない、といった顔をしている。
「なんだこれ、アルゴリズムを間違えたか?」
 再び手順をやり直す。だが結果は同じ。何度繰り返しても、角の1つが揃わない。額に汗がにじむ。周囲の友達も集まり始めた。

ルービックキューブに起きた異変

 そのキューブは、もう完成形のある世界には居なかったのだ。私が角ピースを嵌め直した瞬間、それは静かに異世界へ堕ちていたのだ。
 あとで分かったことだが、ルービックキューブの各面の全状態は、数学的には12のクラスに分かれる。そのうち1つだけが、正常な回転で完成形にたどり着ける「解ける世界」。残りの11クラスは、どれだけ回しても完成形にはならない「異世界」だ。
 それを決めるのは3つの不変量;角のねじれ総和、辺の反転偶奇、角と辺の置換偶奇。角ピースを間違った向きで嵌め込んだ私は、「角のねじれ総和」の秩序を変えてしまった。

「……おかしいな。今までは揃ったのに」
 彼は首をかしげ、キューブをじっと眺める。私は視線を逸らしながら、胸の中でそっと呟く。
「きっとそれは、もう元の世界には居ないんだ」

キューブの世界は12分割されている

 ルービックキューブは、固定されたセンターを基準に、角キューブ8個(3辺)、辺キューブ12個(2辺)で構成されている。
 もし分解して自由に組み立てたなら、全状態は
8! 3^8 × 12! 2^12
通りという天文学的な数になる。
 しかし、面を回すだけの正常手で動ける範囲は、そのうちのたった 1/12 しか無い。
 なぜか? それは次の3つの「不変量」があるからである。

・角のねじれ総和 ≡ 0(mod 3)
 角のねじれを合計すると必ず3の倍数になる。1個だけねじることはできない。
・辺の反転数 ≡ 0(mod 2)
 裏返っている辺は偶数本でなければならない。1本だけ裏返すのは不可能。
・角と辺の置換偶奇 ≡ 0(mod 2)
 角の並べ替えの偶奇と、辺の並べ替えの偶奇は必ず同じ。面の回転ではこれが変わらない。

群と剰余類──数学的整理

 全状態の集合を S、正常手で行ける集合を G(ルービックキューブ群)とする。3つの不変量は
ϕ: S → Z3 × Z2 × Z2​
という写像でまとめられる。実は、この写像は全射で、核が Gになる。すると
S/G ≅ Z3 × Z2 × Z2
なので、剰余類は 3 × 2 × 2 = 12個
 つまり、ルービックキューブの全状態は、「互いに到達可能」という基準で分けると12のクラスに分かれる。 

異世界行きの確率

 もしもキューブ全体がバラバラになったとして、それをランダムに嵌め直した場合、解けるクラスに入る確率は
1/3 x 1/2 x 1/2 = 1/12
になる。12台に1台が「解ける世界」、残りの11台は「異世界」行き。
 今回のように角のピースを1つだけ嵌め直した場合、元の解けるクラスに入る確率は
1/3
である。
 あの日、私が角ピースを嵌め直した瞬間、運悪くそのキューブは2/3の確率で異世界へ堕ちていった。

エピローグ

 その後、私は彼に謝った。
「ごめん。角のピースが取れてしまったんで嵌め直したんだ。あれは壊れたんじゃなくて、数学と確率がいたずらをしたんだ。つまり…」
「何それ、言い訳にしてはカッコいいな」
 説明の甲斐あって彼は納得した。
 ルービックキューブは単なるおもちゃじゃない。その内部には、数学に裏打ちされた平行世界が広がっている。

【注意書き】ルービックキューブの分解をしないでください。元通りになる保証はありません。部品の破損や回転に支障がでるおそれもあります。改造が小説の通りになるとは限りませんし責任も持ちません。製造された年代やどこのメーカーかによっても内部構造や回転の仕組みが異なります。

注意書き


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