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離婚を決めた新婚旅行(フランス恋物語①)

あらすじ

離婚後、アラサーバツイチ女子・橘玲子はフランスへのワーキングホリデーを決意する。
トゥールの語学学校、パリでの仕事と恋、スペイン、ギリシャ、イタリア、マルタへの旅、そして東京での新生活。
行く先々で出会う個性豊かな男性たちとの恋愛を通じて、玲子は少女時代に諦めた夢と、本当の自分を取り戻していく。
親の支配、離婚の傷、自由への渇望・・・。
芯を持って生きようとする女性の正直すぎる恋愛遍歴を、フランスの歴史・文化・言語とともに描く実話ベースの長編恋愛小説。(時代設定:2009年頃)
笑いあり、涙あり、官能あり。全126話完結

プロローグ

2007年 東京

「実はね、先日やっと離婚できたの」
「そうなの?」
 突然の報告に、咲紀ちゃんは目をしばたたかせた。

 蒸し暑い6月の土曜の午後。
 渋谷のスクランブル交差点を見下ろす3階のカフェで、私と咲紀ちゃんは向かい合って座っていた。
 ここは南仏発の人気コスメブランドの旗艦店で、1階はショップ、2・3階にはカフェが併設され、流行に敏感な若い女の子たちで溢れかえっている。
 壁一色のオレンジ色はプロヴァンスの向日葵畑を思わせ、まるで別世界に来たかのようだ。

「私ね、一日も早く離婚したかったから、本当に嬉しいの!あの日は自分の独立記念日だと思ってるから」
「独立記念日って!」
 前向きすぎる言葉に、咲紀ちゃんは思わずふきだした。
「もう、玲子ちゃんったら・・・。
そうだよね、離婚って別に悪いことじゃないもんね」
「でしょ?好きじゃない人と別れられて人生やり直せるんだもの。こんないいことないよ!」
 咲紀ちゃんは笑っていたが、急に表情を変え、心配そうに尋ねた。
「でも、生活は大丈夫なの?」
「全然問題ないよ。子どもはいないし、もともと仕事もやってたし」
「そっか。それならよかった」
 私は大きく伸びをしながら言った。
「人生初の一人暮らし、めちゃくちゃ楽しいよ!」      

 今日彼女に会ったら、離婚報告の他にもっと突っ込んだ話もしたいと思っていた。
 私の離婚を語るには、このことは避けて通れない。
「あのさ、咲紀ちゃん」
「なぁに?」
 童顔の彼女が、真ん丸な瞳を私に向けた。
 軽く巻いたセミロングの髪が似合ってて、とてもママには見えない。
「私がなぜあの人と結婚したかなんだけど・・・。
それって実家の家庭環境と関係あるんだよね。よかったら話聞いてくれる?」
「うん、もちろん」

 彼女は視線を私に向けたまま、こっくりと頷いた。

1980年代 生い立ち

私は瀬戸内海を望む田舎町に生まれ、厳格な両親のもと一人っ子として大事に育てられた。

 一代で会社を築き財を成した父と、専業主婦で子育てだけが生きがいの母。

「大学は家から通える所のみ」「結婚するまで家を出るな」「海外留学はもってのほか」という二人の方針で、大人になっても私のことを手放してくれなかった。
 結婚なんてまだまだ先の話で、私はただ一人暮らしをして自由な生活を送りたいだけなのに・・・。

 経済的に何の不自由もない家庭環境で育ち、職場や友人にも恵まれていた私は、傍目には幸せそうに見えたかもしれない。
 しかしいつまで経っても親にあれこれと束縛され、結婚以外に実家を出られない私は人知れず苦しんでいた。

2003年 白川郷での出会い


24歳の時、旅先の白川郷で6歳年上の男性と出会ったことで転機が訪れた。

 一人旅で財布を落とし途方にくれていると、彼は見ず知らずの私にお金を貸してくれたのだった。
「本当にすみません。お金は返しますから、連絡先を教えてください」
「これくらいの金額、別に返さなくてもいいよ」
「いえいえ、そんなわけにはいきません」
 そんなやりとりを続けた後、根負けした彼は連絡先を書いた紙を私に渡した。
 住所には「東京」という文字が見える。
 関西以外の人と知り合うの、これが初めてかも・・・。
「ありがとうございました」
 立ち去る後ろ姿に、私は何度も頭を下げた。

 その後、連絡を取り合ううちに二人の遠距離恋愛が始まった。
 彼は、私の明るくてポジティブなところが好きだと言う。
 私は、東京に住む彼の都会的で洗練された雰囲気がいいと思った。
 言葉遣いとかファッションとか、地元にいる男性とは全然違う・・・。
 男尊女卑思想を振りかざす父が嫌いな私は、父とは真逆の男性に理想を追い求めていたのだった。

2004年 プロポーズ

「結婚しよう。来年には籍を入れたいと思っている」
 付き合って1年目の記念日、横浜みなとみらいの夜景の綺麗なレストランで私はプロポーズを受けた。
 結婚・・・?

 娘の恋愛に厳しかった両親も、家柄と学歴が申し分のない彼を気に入り、交際を認めていた。
 とはいえ同棲が許されることはないし、二人が一緒になるには結婚しかないだろう。

 遠距離恋愛でそんなに会えてないのに、結婚したいと思うくらい私のことを愛してくれているの?
 その気持ちはとても嬉しいけれど・・・。

 私には、もう一つ思うことがあった。
 本当はもっと色んな男性とお付き合いしてみたい。
 都会の一人暮らしに憧れてるし、海外留学もしてみたかった。
 若い時しかできないワクワクするような体験を、私はまだ全然できていない。
 やりたいことはたくさんあるのに、みんな諦めなきゃいけないの?

「もしかして、迷ってる?」
 心配そうな声をかけられ、ふと我に返った。
「いや、あの、急だからビックリちゃって」
 言葉に窮していると、彼は婚約指輪を取り出し私の左手の薬指にそっとはめた。
 その指には、今までの人生では見ことのない、大きなダイアモンドがキラキラと輝いている。
 彼は熱い眼差しを向けると、訴えるように問いかけてきた。
「玲子、結婚してくれるよね?ずっと一緒にいたいんだ」
 今までにないくらい真剣な表情を見て、私は思った。
 もしかしたら彼は、牢獄のような実家から私を連れ出してくれる王子様なのかもしれない。
 こうなったら、彼との結婚に賭けてみようか・・・。
「はい、よろしくお願いします」

 出会って2年後の2005年、私たちは結婚した。
 夫32歳、私は26歳の春だった。

2007年 咲紀との会話 続き

「そっか、玲子ちゃんのおうちはそんなに厳しいところだったんだね。遠距離恋愛を乗り越えてせっかく結婚できたのに、何がダメだったの?」
 何も知らない咲紀ちゃんに、私は真相を話した。
「籍を入れた途端、彼の態度が豹変したんだよね。
夫という立場になったと思ったら急に上から目線になって、『嫁になったんだから我が家のルールに従ってもらう』とか言いだして。
その瞬間思ったの、『この結婚は失敗だった』って」
「そんな・・・」
「私、思ったの。名字を変えたからって相手色に染まらなきゃいけないなんておかしいし、そんなの絶対嫌だって。それなら、結婚なんて二度としたくない!」
「・・・」
 私の激しい剣幕に、咲紀ちゃんは目をぱちくりさせた。
 仕方がない、当事者になってみないとこの気持ちはわからないだろう。

 咲紀ちゃんは留学先で出会ったフランス人と結婚したが、手続きが面倒だから夫婦別姓を選ぶと言っていた。
 外国人との結婚だと、夫婦別姓の選択肢があるから本当に羨ましい。

「私の実家は田舎だし、戦前生まれの父が威張り散らしてて本当にイヤなの。
結婚相手は都会的で優しい人がいいと思って選んだのに、私の目は節穴だったわ」
「まぁまぁ」
 咲紀ちゃんは苦笑しているが、こっちは話しだすと勢いが止まらない。
「今思えば遠距離マジックで美化もされてたと思う。遠距離なんて何にもいいことないし、もう二度とやんない!」
 毒づく私を、咲紀ちゃんは優しくなだめた。
「まぁまぁ終わったことはいいじゃないの。それよりさ、玲子ちゃんはこれからどうしたいと思ってるの?独身に戻ってやりたいこととかあるの?」
 独身に戻ってやりたいこと・・・。
 私はここで、胸に秘めた野望を打ち明けた。
「実はね、フランスに留学しようと思ってる」
「え、フランス?」
 レモンティーのストローをかき混ぜていた彼女の手が止まった。 
「しかもね、離婚とフランス留学を決意したきっかけが、元夫との新婚旅行だったんだよね」
「えぇ、どういうこと?」
 私の爆弾発言に咲紀ちゃんは目を丸くさせた。

 新婚旅行で離婚を決意するなんて、こんな皮肉なことはないだろう。
 これが世にいう「成田離婚」っていうやつか・・・。

 私は手元のクレームブリュレを見つめた。
 表面の焦げた部分をスプーンでつつくと、パリンと小気味いい音がする。
 そういえば、これを初めて食べたのもあの旅行の時だったっけ・・・。

新婚旅行

2006年 東京での新婚生活

「夏の長期休暇が取れそうだから、新婚旅行はフランスに行こう」
 結婚して1年経った頃、スケジュール帳を見せながら夫は高らかに宣言した。
「フランス?」
 私は以前から離婚を切り出していたが、彼のは全く聞く耳を持たなかった。
 もうこの時には、夫に対する愛情はほとんどなかったと言ってもいい。
 それでも、フランスは行ってみたかった国だしタダで行けるのなら・・・そう思って付いて行くことにした。

2006年 パリの新婚旅行

 10日間のフランス旅行の行程は、パリとモン・サン・ミッシェルを観光した後、南仏のニースとモナコを回るというもの。

 シャルル・ド・ゴール空港からタクシーでパリ市街に向かうと、車窓からは絵に描いたような光景が見えてきた。
 歴史を感じさせる石造りの重厚な建物、花に彩られたブティックやカフェ、シックなコーディネイトに身を包んだパリジェンヌたち。
「ねぇねぇ。この景色、前にドラマで見たのと同じだと思わない?」
「・・・」
 隣に座る夫は時差ボケのせいかご機嫌斜めで、むっつりと押し黙っている。
 眠いのはわかるけど、もうちょっと愛想よくしてくれたっていいんじゃないの?
 やっぱりこの人と旅行に行ったのは間違いだったかも・・・。
 華やかすぎるパリの街並みは、私の気持ちを一層むなしくさせた。


 パリ観光2日目の午後。
 ルーブル美術館を鑑賞した後、私たちは隣のチュイルリー公園を散歩していた。
 公園中央の噴水の周りには立派な彫像が立ち並び、美術館の続きを見ているようだ。
「ここに座って休もう」
 言われるままベンチに腰を下ろし、目の前に広がる風景をぼんやりと眺めた。
 まぶしい夏の日差しが緑を鮮やかに照らし、行き交う人々もみんな溌溂として幸せそうに見える。
 周りが明るければ明るいほど、自分の心が灰色になっていくのを感じた。
 なんで私は、好きでもない人とこんな所にいるんだろう・・・?

 すると、フランス人の家族連れの姿が目に飛び込んできた。
 赤ちゃんを抱っこする優しそうな夫と、ちょっと気の強そうな美しい妻。
・・・いいなぁ。
 日本では父親が赤ちゃんを抱いて歩くのはまだ珍しく、彼らの姿は新鮮に映ったし、私はその妻を心底羨ましく思った。

 すると、その瞬間、ある決意が芽生えた。
 決めた。
 絶対この人と離婚しよう!
 独身になったらフランスに行って、フランス人男性と恋をするんだ!

 ・・・きっかけは、中学生時代に遡る。
 私は「ターミネーター2」のエドワード・ファーロングに一目惚れし夢中になった。
 好奇心旺盛な私は海外に住んでみたかったし、高校や大学で欧米へ留学し、エドワード・ファーロングのようなボーイフレンドとデートすることを夢想した。

 しかし、「海外なんてとんでもない」という親の方針により、その夢は無残にも打ち砕かれた。
 この家にいる限り、海外に住んだり外国人の彼氏と付き合うのは無理なのか。
 少女は夢を諦めるしかなかった。

 大人になった私はそれなりに恋をしたが、この町では外国人と出会う機会はなく相手は日本人に限られていた。
 そうこうするうちに今の夫と出会い、流れに任せて結婚してしまったのだ。
 エドワード・ファーロング似のボーイフレンドへの未練を残したまま・・・。

 少女の頃の夢を思い出し、私は胸が熱くなった。
 もう親元からは離れているし、離婚さえできれば自由の身だ。
 そしたら、一度諦めたあの夢を叶えることができるかもしれない。
 20代の私はまだ若い。
 一度の失敗で、自分の人生を棒になんて振りたくない。
 何が何でも離婚して、またこの地に戻ってくるんだ。
 途方もない野望に、思わず身震いした。

2007年 咲紀との会話 続き

「そっかぁ、そんなきっかけがあったとは……。そういえば玲子ちゃん、外国人と付き合ってみたいって言ってたもんね」
 感想を言った後、咲紀ちゃんはマンゴーパフェをゆっくりとすくい始めた。
 色鮮やかなマンゴーの果実が、彼女の形のいい唇へと吸い込まれてゆく。
「実はね、咲紀ちゃんたちカップルが幸せそうなのも、フランスに留学したいと思った理由の一つなんだよ」
「え、そうなの? でも確かに、私がフランス留学しなければジャンにも出会えなかったもんね・・・」
 可憐な友人は、その日のことを思い出すように言った。
「咲紀ちゃんは学生ビザでフランスに行ったんだっけ?」
「そうだよ、本当はワーキングホリデービザで行きたかったんだけど、審査に落ちちゃったの」
 え、フランスにもワーホリビザがある?
 それは初耳だ。
「ワーホリビザって、オーストラリアとニュージーランド、カナダとか英語圏のイメージだけど、フランスにもあるの?」
「そうだよ。あまり知られてないけど実はフランスにもあるんだよね。ワーホリビザを取れば1年間フランスに住めて仕事もできるし、長期滞在するならオススメのビザだよ」
「そうなんだ。そんな便利なビザがあったとは・・・」
 フランスに行きたいって漠然と考えてただけで、そんな具体的なところまではまだ調べてなかった。
「18歳以上30歳未満っていう年齢制限があるんだけど、玲子ちゃんって今いくつ?」
「28だよ。遅くても来年中には申請しないと」
 30歳未満という言葉を聞いて私は急に焦りだした。
 それを知ったらもうウカウカしてられない。
「私、今日から渡仏準備始めるよ。フランス語スクールに通うから、咲紀ちゃんオススメのところ教えて!」
「え、ちょっと待って・・・」
 あまりの急展開に咲紀ちゃんは苦笑いしている。
「玲子ちゃんったら決断も行動も早いんだから、ホントびっくりしちゃう」

2008年 渡仏

ワーキングホリデービザの存在を知ってから1年半後・・・。
必要最低限のフランス語と留学費用、そしてワーキングホリデービザを手にした私は、一路パリへと飛び立った。
 直前まで付き合っていた年下の彼氏の「空港まで見送るよ」という申し出も断って・・・。

 渡仏したのは大晦日の夜。
 シャルル・ド・ゴール空港の入国審査では、覚えたてのフランス語で職員と会話することもできた。
 英語さえおぼつかなかった新婚旅行を思えば、少しは成長したかもしれない。

 空港からはタクシーではなく、ロワシーバスという長距離バスに乗ってパリ中心部へと向かった。
「うわ・・・キレイ!」
 バスの窓から高速を見下ろすと夜景がキラキラと輝いて、私の入国を祝福してくれてるみたいだ。

 定刻通り、バスは終点のオペラ・ガルニエ前に着いた。
 バスのステップを降りる時、私は一つ深呼吸をしてから、パリの地を踏みしめた。
 目の前には、ライトに照らされたオペラ・ガルニエが燦然と輝いている。
 3年ぶりに見たパリの街は、前とは全く違う風景に見えた。
「また、ここに来たんだ!」

 ここから、今まで経験したことのないような、ロマンティックで刺激的な生活が始まるのである・・・。



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