◆インタビューシリーズ「アーティストの現在地」〈第1回〉 ソプラノ歌手・川鍋碧里さん ── 〈真実〉にむけての冒険、そして研究
インタビューシリーズ「アーティストの現在地」。2020年代後半を生きるアーティストのみなさまの現在地、そしてこれから目指す地平やビジョンをご紹介していくインタビューシリーズです。
第1回は、ソプラノ歌手・川鍋碧里さんのインタビューをお届けいたします。アンサンブルトリオ「TRIO RESONANCE(トリオ・レゾナンス)」を立ち上げられ、プロデュースを始められた川鍋さんにお話を伺いました。

「『TRIO RESONANCE(トリオ・レゾナンス)』は、私にとって挑戦の場であると同時に、時間をかけて守り、育てていきたい大事な場。このメンバーでなら、自分たちにとっての〈真実〉を追い求めていくことができると感じています。」
川鍋さんは真っ直ぐな眼差しでそう語ります。昭和音楽大学大学院で博士号(音楽)を取得されたのち、ソプラノ歌手としての演奏・研究活動と並行して、経営者として事業を成長させてきた川鍋さん。プライベートではふたりの男の子のお母さんという顔もお持ちです。

川鍋 碧里 Midori Kawanabe (ソプラノ)
長野県出身。昭和音楽大学声楽学科卒業、同大学院音楽研究科オペラ専攻修了、同大学院音楽研究科 音楽芸術専攻 博士後期課程修了。藤原歌劇団正団員、日本オペラ協会正会員。現在、昭和音楽大学附属音楽教室講師、よみうりカルチャー横浜講師。
「経営者だなんてなんだか凄い人みたいですね! でも、いつも私は追い詰められて道が拓けるタチというだけなんです。」
弾けるような明るい笑顔で、「追い詰められた」という過去を懐かしそうに振り返る川鍋さん。
「長男の保育園入園の際、非常勤講師だと行政による審査の点数が足りなくて受からなかったんです。私が住む地域は、保活激戦区。だから、満点になる為には、非常勤講師にプラスして今すぐ起業をするしか、フルタイムで働く正社員の皆様と並ぶ術が思いつかなかった……というのが実情です。
大学時代に取得した教員免許を活かしつつ、社会にも貢献が少しばかりできるかもしれないという思いと、我が子の役に立つお仕事だなと思いが重なり、幼児教室をはじめました。」
現在は音楽講師、幼児教室の経営、そして演奏活動と充実した毎日を過ごされておいでです。

川鍋さんが演奏家としてさらなる音楽の研鑽を積もうと決めた契機になったのは、2024年の昭和音楽大学での《ラ・ボエーム》マスタークラス。その後、テノール歌手・駿河大人さんにご相談ののち、ピアニスト・石渡洸貴さんと再会したことにより、川鍋さんの新たな挑戦が始まります。
「母校でのマスタークラスに参加したことは、演奏家としての私の目を覚まさせてくれました。同時に、これまで求め続けながらも自分ではわからなかったパズルのピースを見つけられたように思いました。『水』という言葉を理解した、ヘレン・ケラーのようだったかもしれません。
これまで私は様々なことに焦りを覚え、多岐に及ぶ事柄に積極的に取り組んできました。けれど、このマスタークラスでは、現在地から目指すところへの地図が見えました。何もできなかったことに恥ずかしさを覚える場面もありましたが、同時に腰を据えて長期的なビジョンを持って取り組むことの重要性を、痛いほどに認識しました。
また、博士後期課程で教えをいただき、父親のように慕ってきた恩師の逝去の報を受けたことも、先生からの最後の伝言を受け取ったような心持ちになりました。時期を前後して特発性難聴に罹患したことも、音楽との付き合い方を再考するきっかけとなりました。
さまざまなことが重なった末に、もっとも信頼するテノール歌手の駿河大人さんに相談することを決めました。これも、自分のなかでは大きな決断でした。
駿河さんは大学院修士課程での同期で、人柄も、芸術家としての感性にも深い信頼を寄せる方です。昔からひとりの音楽家として、尊敬の念を深く持っていました。今回も駿河さんと話すことで心が整理されていき、演奏活動を始めようというプロジェクトが自然と動き出しました。
そして石渡さんは、駿河さんが心から信頼するピアニスト。人に心を開くのが苦手な私ですが、駿河さんと私の二人の背中を預けられるのは石渡さんしかいないと心を決めました。」

3月22日(日)、昭和音楽大学付属音楽・バレエ教室 武蔵小杉校 サロンホールで開催された「TRIO RESONANCE ─vol.1 今夜全てが始まった─ 」では、満席のお客様が大きな喝采を送ってくださいました。

「このコンサートでは、演奏中の写真撮影もOKとしました。それは、私たちにとって勇気の必要な取り組みだったことは事実です。けれど、ごまかしはしないと決めたんです。演奏しました、それじゃ次にいきましょう……それはいやだったんです。それで終わらせたくはなかったんです。そんな私たちなりの本気、そしてお客様への信頼や感謝の気持ちもあらわしたくて『演奏中の撮影OK』──初めてのチャレンジに挑みました。
第一部では、《椿姫》第1幕のヴィオレッタとアルフレードの二重唱からアリアにかけての場面を演じました。本番当日、さまざまな調整をへた上でひとつのステージが出来上がっていった経験は、私たちにとって刺激的なものでした。同時に、次に向けての意欲がわいてくる糧となりました。」
「TRIO RESONANCE(トリオ・レゾナンス)」のお三方は、5月29日(金)に昭和音楽大学 南校舎5階 ユリホールで開催の「第21回 昭和音楽大学附属音楽・バレエ教室 講師研究発表」でも《椿姫》第1幕・第3幕の重唱を演奏予定です。

「『TRIO RESONANCE(トリオ・レゾナンス)』では、より踏み込んだ研究成果も示していきたいと願っています。それを提供し続けられる三人だということも、確信しています。
5月29日の講師研究発表でも、現時点での所見を短くプログラムノートに記しました。そちらもあわせてお読みいただければと願っています。」

また川鍋さんは、7月5日(日)に駒込のソフィアザール・サロンで、ピアニスト・星和代さんとの演奏会も控えています。

「星さんのピアノで歌わせていただいたとき、あまりに煌びやかな音楽の世界に興奮さめやらず、シャンパンと牡蠣でクールダウンして帰ったことを思い出します。
7月の演奏会も、自分にとってはまたひとつ、大きな冒険。前半は日本語の作品、そして後半はイタリア語の作品と、大まかな構想は練っています。今回は《椿姫》の第三幕のアリア〈さようなら 過ぎ去った美しく楽しき夢の日々〉を中心に、プログラム全体を構成しています。これまでの自分にはなかった色合いの歌曲も演奏予定です。
秋以降にも、自分にとって大きな冒険が待っています。そのひとつひとつに、計画性と熱意をもって取り組みながら、『TRIO RESONANCE(トリオ・レゾナンス)』の活動にフィードバックさせていきたいです。」

「今後は地域に根差した文化芸術振興活動やプロデュースにも注力していきたいと考えています。これからの人生、研究も演奏も、音楽で中途半端はしないって決めたんです。パッションを持って生きていきたいですね。」と、爽やかに笑った川鍋さん。
これからの十年、どんな人生をひらいていかれるのか、筆者も楽しみに見守っていきます。
(取材・文:小暮サユウ)
