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AIに「考えない人の像」を描かせたら考えさせられた

遊びで、AIに「考えない人の像」の写真を描かせてみた。ロダンの「考える人」の反対にある像を、現代の生活の中に置いたらどんな姿になるのか、試してみたかった。出てきた画像では、人はだらっと座り、手元のスマホを見て、飲み物やお菓子に囲まれていた。冗談として笑える画像だったのに、見終えたあとも頭に残った。

浮かんだのは、自分のAIとの付き合い方だった。AIと対話していると、何かを調べたあとに、「次はこの観点も見てみますか」と先の話を出してくることがある。興味本位で一つだけ確かめたかったはずなのに、続きを読む理由がすぐ用意される。そのまま「はい」と返していると、話題は途切れず広がっていく。便利だし、知識も増える。だけど、自分で切れ目を作らないかぎり、終わりどころが見えにくい。画面の前で起きているのは、考えることより、受け取り続けることに近い。

AIが仕事で助かる場面が多いのは事実だ。たたき台を作る場面では速いし、詰まったところから脱却する力もある。けれど、興味で使う場面では、提案に乗るだけで関心の向きまで引っぱられる感覚がある。自分で問いを深めているつもりでも、AIが差し出す次の話題を順に受け取っているだけのことがある。

「考えない人の像」から受けた印象は、頭を使わない人ではなかった。外から来るものを受動的に受け取る人だった。自分にもその姿はある。どこまで頼って、どこから自分で考えるか。まだ答えは出ていない。ただ、何を知りたいのか、どこで区切るのか、その判断は自分で持っていたい。遊びで作った一枚の画像から、AIの使い方まで見えてきた。

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