少年少女大戦・開幕 461サーカス団「主役不在? 団長を探せ!」
第1話:透明人間と混沌の幕開け

セピアプロダクションが管理するエリアの一角。 古き良き時代の遊園地を思わせるその場所には、今日もノスタルジックな風が吹いている。 色褪せたポスター、錆びついた観覧車、そして中央に堂々とそびえ立つ、巨大なストライプ模様のテント。 ここが、彼ら「461サーカス団」の本拠地だ。
テントの中は、外の静けさが嘘のような熱気に包まれている……はずだった。
雲二三「……よし。照明のチェック完了。小道具の配置もオッケー。あとは皆が時間通りに来てくれれば、今日のリハーサルは完璧なんだけど」
テントの隅、誰も見ていないような場所で、一人の青年がバインダー片手に呟いた。 白髪に赤い×印のリボン。整った顔立ちをしているはずなのに、なぜか風景に溶け込んでしまっている男。 彼こそが、この個性派集団を束ねる(ことになっている)団長、雲二三(くもふみ)だ。
雲二三「(はあ……。元『4ELEMENT』なんて肩書き、今じゃ誰も気にしちゃいない。俺の仕事は、この猛獣みたいな団員たちが暴走しないように管理すること……まさに裏方、サポート役。それが俺の生きる道……)」
雲二三は自分に言い聞かせるように頷き、腕時計を見た。 集合時間はとうに過ぎている。
雲二三「そろそろ来る頃かな……。頼むから今日は平和に始まってくれよ……」
その願いがフラグだったかのように、テントの入口が勢いよく開け放たれた。
ロロ「オウオウオウ! 道を開けろ愚民ども! 王のお通りだぞ!」
鼓膜を揺らすような甲高い声と共に、金髪ツインテールの少年が踏み込んでくる。 頭には不釣り合いなほど大きな王冠。その態度は身長の倍ほども大きく見える。
ロロ「おい、そこの空気! 俺様の椅子はどうした! 玉座だ! フカフカで、宝石がいっぱいついたやつを用意しろと言ったはずだぞ!」
雲二三「あ、ロロ。おはよう。椅子ならそこにあるパイプ椅子で我慢してくれ。予算がないんだ」
ロロ「あぁ!? 誰がパイプ椅子になんて座るか! 俺様はロロだぞ! 461サーカス団の真の支配者、王の中の王だ!」
ロロは雲二三の言葉を完全に無視し、近くにあった木箱を蹴飛ばした。 そして、その後ろから優雅な足取りで入ってくる長身の男に視線を向ける。
スズキ「やれやれ……。朝から元気なことですね、お子様は」
黒い燕尾服にシルクハット。口ひげを蓄えたその男、スズキは、呆れたように肩をすくめた。 手には白い手袋をはめ、その指先からは一瞬にして一輪の薔薇が現れる。
スズキ「おはようございます、団長。……と言いたいところですが、騒音が激しくて挨拶もままなりませんね」
雲二三「スズキ、おはよう。今日もキザだね。……ロロが暴れる前に座らせてくれないか?」
スズキ「お断りします。野蛮な王様の相手は、私の美学に反する。それに、ボクはこれから鳩のコンディションチェックがあるのです」
スズキが指を鳴らすと、何もない空間からバサバサと数羽の白い鳩が飛び出し、雲二三の視界を遮った。
雲二三「うわっ、ちょっとスズキ! 室内で鳥を放さないでくれ! 掃除が大変なんだよ!」
スズキ「おやおや、芸術に掃除の手間など些細な問題でしょう?」
ロロ「おいスズキ! 無視するな! 俺様のマジックの実験台になれ! 今日は『人間切断』の練習をするぞ! お前が切断される役だ!」
スズキ「……チッ。また始まった。逃げるが勝ちですね」
スズキは煙幕と共に姿を消そうとするが、ロロはそれを追いかけて走り回る。 鳩が飛び交い、子供の叫び声と紳士の怒声が交錯する。
雲二三「あー……もう。ちょっと落ち着いてくれ……」
雲二三の声は、鳩の羽音にかき消された。 そこへ、ふわふわとした頼りない足取りで新たな影が現れる。
正兎「わ~、みんな楽しそうだね~。運動会かな~?」
うさ耳の帽子を被った青年、正兎(まさと)。 彼は両手に持ちきれないほどのカラフルな風船を握りしめ、重力を無視するかのように半歩ほど浮いていた。
雲二三「正兎、遅刻だよ。……って、浮いてる! また浮いてるよ!」
正兎「あ、雲二三くんだ~。おはよう~。風船がね、今日も空に行きたいって言うんだ~。困っちゃうよね~」
正兎はニコニコと笑いながら、天井付近まで浮かび上がっていく。
正兎「あ、ロロ様だ~。スズキさんもいる~。僕も混ぜてよ~。風船爆弾ごっことかどうかな~?」
ロロ「おお! 正兎! いいところに来た! その風船をスズキに縛り付けて宇宙まで飛ばしてやれ!」
スズキ「正兎くん! 余計なアイデアを提供しないでくれたまえ! あとボクのシルクハットに風船を結びつけるのはやめろ!」
正兎「え~? でもスズキさん、高いところ好きでしょ~? 鳩さんともお友達だし~」
雲二三「正兎、降りてきてくれ! リハーサルを始めるんだよ!」
雲二三が叫ぶが、正兎は「え~? よく聞こえないな~」と天井の梁に捕まってブランコのように揺れ始めた。 もはや誰も雲二三の方を見ていない。 完全にカオスだ。学級崩壊どころの騒ぎではない。
そして、とどめとばかりに、大音量のファンファーレ(自前の効果音)が鳴り響く。
芥子「フハハハハハハハハ!! お待たせしたね諸君!!」
テントの照明が一斉に明滅し、スポットライトが一点に集中する。 そこに立っていたのは、派手なオレンジ髪に星の装飾を散りばめた男、芥子(けし)。
芥子「イッツミー! 芥子だ! 今日のミーも最高に輝いているだろう!? さあ、拍手を! 喝采を! このミーに捧げてくれたまえ!」
芥子は両手を広げ、ジャグリングのクラブを空高く放り投げた。 クラブは空中で回転し、火花を散らす。
芥子「見えるかい!? この完璧な放物線! これぞ芸術! これぞスターの輝き!」
ロロ「うるさいぞ芥子! 俺様より目立つな!」
芥子「ノンノン、ロロ様。目立つことこそアイドルの宿命! 地味なのは罪だよ! そう、まるでそこの……おや? 団長はどこへ行ったんだい?」
芥子がキョロキョロと辺りを見回す。 雲二三は、芥子の目の前、わずか1メートルの距離に立っていた。
雲二三「……ここにいるよ。目の前に」
芥子「おっと! 失礼! あまりにも背景と同化していたから、てっきりテントの支柱かと思ったよ! フハハハハ!」
雲二三「(支柱……。俺の存在感って……)」
スズキ「やれやれ、団長。もっと自己主張をしないと、このサーカス団では生きていけませんよ。……っと、正兎くん、離しなさい!」
正兎「えいっ、スズキさん捕獲完了~」
ロロ「よし! そのままだ正兎! 芥子、スズキに向かってその棒を投げろ!」
芥子「オッケー! デンジャラス・ジャグリング・タァァァイム!」
芥子が火のついたクラブを構える。 スズキが青ざめる。 正兎が笑いながら風船を追加する。 ロロが手を叩いて喜ぶ。
雲二三の額に、青筋が浮かんだ。
雲二三「……あのさ、みんな」
声を出した。しかし、誰も聞かない。
ロロ「いけぇ! 処刑の時間だ!」 スズキ「やめろ! 鳩たち、防衛陣形だ!」 正兎「わ~、花火みたいになるかな~?」 芥子「ミーの美技に酔いしれろおおおお!」
雲二三「(……なんでこうなるんだ。俺はただ、次の公演の打ち合わせをして、立ち位置を確認して、安全にリハーサルを終わらせたいだけなのに)」
雲二三の脳裏に、かつて所属していた「4ELEMENT」の記憶がよぎる。 あの頃は、もっと……いや、あの頃も大変だったが、ここまで無秩序ではなかった。 自分の役割はサポートだ。 だが、サポートする相手が暴走機関車では、レールを敷くことすらできない。
雲二三「(……いいだろう。言葉で通じないなら、俺のやり方でいくしかない)」
雲二三の瞳から、ハイライトが消えた。 彼の世界が変わる。 騒がしい団員たちの動きが、スローモーションになる。 飛び交う鳩、揺れる風船、回転するクラブ。 それら全てが、シューティングゲームの「敵弾」と「ターゲット」として認識される。
雲二三の手が、腰のポーチに伸びた。 そこに入っているのは、リハーサル用のマーカー(カラーボール)。
雲二三「……ターゲット確認。ロックオン」
刹那。 雲二三の腕が残像となる速度で振るわれた。
ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ――!
乾いた音が連続して響く。
「ぶべっ!?」 「ぐはっ!」 「ふえっ?」 「ミーの顔がぁ!?」
四人同時に、額にカラーボールが直撃した。 正確無比。 神速の投擲。 芥子が投げようとしたクラブは弾き飛ばされ、正兎の手から風船の紐が離れ(天井へ飛んでいき)、スズキの鳩たちは驚いてカゴに戻り、ロロは王冠を弾き飛ばされた。
一瞬の静寂。
ロロ「な、なんだ!? 敵襲か!?」
スズキ「い、いや……これは……」
全員の視線が、ようやく一点に集中する。 そこには、まだ投擲のフォームを残したままの雲二三が立っていた。 その表情は、普段の自信なさげなものとは違い、冷徹なスナイパーのそれだった。
雲二三「……『シューティング・スター(物理)』。着席」
短く、低い声。 その迫力に圧され、四人は反射的にその場に正座した。
ロロ「……は、はい」 スズキ「……失礼しました」 正兎「座っちゃった~」 芥子「ナイスコントロール……ミーも脱帽だ」
雲二三は深くため息をつき、いつもの気弱そうな表情に戻る。
雲二三「あー……ごめんね、みんな。痛かった? でも、こうしないと止まってくれないから」
ロロ「お、お前……今のはなんだ。地味な顔して、やることがえげつないぞ!」
雲二三「地味でごめんね。でも、リハーサルが進まないと、公演に間に合わないんだ。……ロロ、王様なら民に手本を見せてくれないか?」
ロロ「む……。ま、まあ、王たる者、慈悲深いからな! 話くらい聞いてやる!」
雲二三「ありがとう。スズキも、鳩は素晴らしいけど今はしまっておいて。正兎、天井に行かないで。芥子、光りすぎないで」
スズキ「……フン。仕方ありませんね。団長がそこまで言うなら従いましょう」 正兎「は~い。風船さんバイバ~イ」 芥子「ミーの輝きを抑えるなんて罪深い……だが、その意外性は評価するよ!」
ようやく、場が収まった。 雲二三は胸をなでおろす。 これでやっと仕事ができる。
雲二三「それじゃあ、今回の公演の構成についてなんだけど……」
バインダーを開き、説明を始めようとしたその時だった。
ロロ「あ、そういえば腹減ったな。スズキ、なんか出せ」 スズキ「私はコックではありませんよ。……ですが、クロワッサンなら」 正兎「あ、僕も食べた~い」 芥子「ミーは激辛カレーがいいな!」
ガヤガヤガヤ……。
雲二三「えっ」
ほんの数秒。 たった数秒目を離した隙に、彼らの集中力は霧散していた。 再び始まるお茶会のような空気。 雲二三の存在は、またしても急速に薄れていく。
雲二三「あ、あの……説明を……」
ロロ「なんだこのパン! パサパサだぞ!」 スズキ「文句を言うなら食べないでいただきたい」 芥子「刺激が足りない! もっと情熱的なスパイスを!」
雲二三「…………」
雲二三は、虚空を見つめた。 さっきの「シューティング・スター」の効果は、わずか一分も持たなかった。 物理的な衝撃を与えても、彼らの「雲二三への関心のなさ(あるいは個性の強さによる上書き)」は揺るがないのだ。
雲二三「(……ダメだ。これじゃ、いつまで経ってもリハーサルが終わらない。それどころか、本番で事故が起きる未来しか見えない)」
自分の無力さが身に染みる。 元「4ELEMENT」として、戦闘能力や技術はあるはずだ。 でも、このサーカス団に必要なのは、そういう「強さ」じゃない。 もっとこう、圧倒的な「カリスマ」か、あるいは彼らを惹きつける「何か」……。
スズキ「おや、団長。そんなところで立ち尽くして、また背景のシミごっこですか?」
スズキがコーヒーを啜りながら、意地悪く笑った。
雲二三「……シミで悪かったね。どうせ俺は、華やかな君たちを引き立てるための黒子さ」
芥子「ノンノン! 団長、君には君なりの『色』があるはずだ! ただそれが、限りなく透明に近いグレーなだけで!」
正兎「雲二三くんは~、空気みたいだよね~。なくてはならないけど~、見えないの~」
ロロ「フン! まあ、俺様の下僕としては、目立たないくらいが丁度いいがな!」
悪気なく放たれる言葉の数々が、雲二三の心に小さな棘として刺さる。 慣れている。いつものことだ。 でも、今日はなぜか、その棘が少しだけ深く刺さった気がした。
雲二三「(空気、か……)」
雲二三は、手元の台本を握りしめた。 主役は彼らだ。それはわかっている。 でも、団長として、彼らを導く「光」が自分にはない。 このままでは、461サーカス団はバラバラになってしまうのではないか? そんな不安が、胸の奥で渦巻き始めていた。
雲二三「……よし、わかった。一旦休憩にしよう」
誰も聞いていない中で、雲二三は一人、休憩を宣言した。 そして、逃げるようにテントの裏手へと向かう。
その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。
テントの外に出ると、夕暮れのオレンジ色が遊園地を染めていた。 セピアプロダクション特有の、哀愁漂う空。
雲二三「はあ……。俺、団長失格かな……」
空き缶をゴミ箱に投げ入れる。 カラン、という虚しい音が響いた。 その音はまるで、雲二三の心の空洞を反響させているようだった。
だが、彼はまだ知らない。 この「存在感のなさ」が、やがて団全体を巻き込む大騒動の引き金になることを。 そして、本当の「主役」とは何かを問う、奇妙な冒険の始まりであることを。
雲二三「……さて、戻って片付けしないとな」
雲二三は苦笑いを浮かべ、再び喧騒のテントへと戻っていった。 その姿が、夕闇に完全に溶けて消えてしまう前に。
第2話:失われた「普通」と密室の嘆き

翌朝。 セピア色の空気が漂う遊園地に、小鳥のさえずり……ではなく、金属音と悲鳴が響き渡っていた。
461サーカス団のテント内。 いつもなら、この時間は既に清掃が終わり、コーヒーの香りが漂い、その日のスケジュールの確認が行われているはずだった。 しかし、今日のテント内は様子が違っていた。
ロロ「おい! 朝飯はどうなっている! 俺様のロイヤルミルクティーと特注のクロワッサンが出てこないぞ!」
ロロが空のテーブルをバンバンと叩く。 その衝撃で、積み上げられていたジャグリングのピンが崩れ落ちる。
スズキ「……うるさいですね。少しは静かに待てませんか」
スズキは不機嫌そうに眉間を揉んでいた。 彼の手には愛用のコーヒーカップがあるが、中身は空っぽだ。
スズキ「(おかしい……。いつもなら、私がテントに入った瞬間、絶妙な温度のコーヒーが差し出されるはず。豆の種類も日替わりで、私の体調に合わせてブレンドされているはずなのに……)」
スズキは周囲を見渡す。 そこにあるのは、昨日のリハーサルで散らかされたままの惨状だった。 羽毛、割れた風船の破片、焦げ跡。
芥子「ノォォォォォ!! ミーの鏡がない! メイクアップができないじゃないか! これでは今日の輝きが3割減だ!」
芥子が顔を両手で覆いながら走り回っている。 いつもなら、彼の鏡台はピカピカに磨かれ、定位置にセットされているはずだ。
正兎「わ~、天井が高いな~。降りられないな~。誰か紐を引っ張って~」
そして遥か頭上、テントの頂点付近には正兎がふわふわと浮かんでいた。 いつもなら、彼の足には重り代わりのサンドバッグが括り付けられているはずだ。
ロロ「ええい、役立たずどもめ! おい、そこの地味なヤツ! 雲二三! どこに隠れている! サボるな!」
ロロが叫ぶ。 しかし、返事はない。 「ごめんね」といういつもの弱々しい謝罪も、「すぐやるよ」という言葉も聞こえてこない。
テントの中に流れるのは、奇妙な沈黙と、それぞれの勝手な不満の声だけだった。
スズキ「……ふむ。いないようですね」
ロロ「ああん? どこに行ったんだ? トイレか?」
芥子「トイレにしては長すぎる! まさか、ミーの美しさに嫉妬して旅に出たのか!?」
スズキ「……いえ、旅に出るような度胸はないでしょう。ですが、姿が見当たりませんね」
スズキは軽く指を鳴らし、鳩を一羽出現させてテント内を捜索させた。 鳩はぐるりと一周し、スズキの肩に戻って首を横に振る(ように見えた)。
正兎「お~い、雲二三く~ん。かくれんぼかな~?」
天井から正兎の声が降ってくる。
そう、雲二三がいなかった。 461サーカス団の団長にして、唯一の常識人。 彼らの生活と活動の全てを支える「インフラ」のような存在が、忽然と姿を消していたのだ。
***
時を少し戻して、昨夜のこと。
リハーサルの惨状を片付けるため、一人テントに残っていた雲二三は、とある小道具のメンテナンスをしていた。 それはスズキが新しく導入したマジック用の巨大な箱、「人体消失ボックス(改)」だ。
雲二三「はあ……。スズキの道具は複雑だなあ。ここが少しきしんでるから、油を差しておかないと……」
雲二三はドライバー片手に、箱の中に入り込んで蝶番(ちょうつがい)の調整を行っていた。 狭いところが落ち着く、という彼の地味な習性も相まって、作業は順調に進んでいた。
カチッ。
雲二三「よし、これでスムーズに開閉できるはず……」
その時だった。 テントの外で突風が吹き、立て掛けてあったモップが倒れた。 そのモップが、箱の蓋を支えていたストッパーを弾き飛ばしたのだ。
バタンッ!
重厚な音と共に、蓋が閉まる。 そして、外側につけられたオートロックの留め具が「カチャリ」と噛み合った。
雲二三「……えっ?」
箱の中は完全な闇。 防音仕様、脱出不可、鍵は外からのみ操作可能という、本格的なマジックボックス。 本来なら脱出の仕掛けがあるはずだが、メンテナンスのために一時的にその機能をオフにしていたのが運の尽きだった。
雲二三「あ、開かない……。おーい! 誰か! 閉じ込められた!」
ドンドン! と内側から叩く。 しかし、この箱は「中に入った人間が消えたように見せる(音も消す)」ための特注品だ。 外には、微かな振動しか伝わらない。
雲二三「嘘だろ……。スマホ、スマホは……あ、充電器に挿したままだ」
絶望。 雲二三は箱の中で膝を抱えた。 元「4ELEMENT」としての身体能力を使えば、あるいは箱を破壊して脱出できるかもしれない。 だが、雲二三の脳裏によぎったのは、スズキの顔だった。
雲二三「(……これ、スズキの特注品で、すごく高価なんだよな。壊したら……一生ネチネチ言われるし、予算も消し飛ぶ……)」
貧乏性の悲しい性(さが)。 雲二三は破壊するという選択肢を捨て、じっと助けを待つことにしたのだ。
そして一夜が明け、現在に至る。 雲二三はまだ、テントの隅に置かれた箱の中にいた。
***
現在。テント内。
スズキ「……困りましたね」
スズキは優雅に、しかし内心の焦りを隠しながら言った。
スズキ「彼がいないと、コーヒー豆の場所も、鳩のエサの在庫も、次の公演の台本がどこにあるかもわからない」
ロロ「俺様のマントはどこだ! 洗濯しておけと言ったはずだぞ!」
芥子「照明のスイッチはどれだ!? このままではミーが暗闇に埋もれてしまう!」
彼らは気づき始めていた。 「雲二三がいない」ということが、単に「人が一人減った」ことではなく、「生活機能が停止した」ことと同義であることを。
正兎「ねえねえ~、あそこにノートがあるよ~」
天井から降りてこられない正兎が、下を指差した。 団長席……といっても、ただの折りたたみ机の上に、一冊の大学ノートが置かれていた。
スズキが歩み寄り、そのノートを手に取る。 表紙には『461サーカス団 業務日誌兼マニュアル』と、几帳面な文字で書かれていた。
スズキ「……なんだこれは。遺書か?」
ロロ「貸せ! 俺様が読む!」
ロロがスズキの手からノートをひったくり、ページをめくる。
『○月×日 ロロへ』 『朝のミルクティーは、茶葉を蒸らす時間を3分ジャストにすること。それ以上でも以下でも不機嫌になる。クロワッサンは近くのパン屋の焼き上がり時間(7:15)に合わせて買いに行くこと。』
ロロ「……ほう。わかっているじゃないか」
『○月×日 スズキへ』 『鳩たちのエサは配合を変えた。最近ビタミン不足気味だから。あと、コーヒー豆は湿気を嫌うから密閉容器へ。彼は口では言わないが、少し酸味のある豆を好む日がある(雨の日など)。』
スズキ「…………」
スズキは口元のヒゲを撫でた。 そんなことまで観察されていたのか、という驚きと、少しの気恥ずかしさ。
『○月×日 正兎へ』 『風船の紐は必ず手首に二重結び。浮力調整用の重りはテントの入り口右側の箱に入っている。彼が天井に行った場合、高枝切りバサミの柄の方を使って優しくつついて降ろすこと。』
正兎「あはは~、雲二三くん優しいね~」
『○月×日 芥子へ』 『鏡は常に指紋一つないように磨くこと。彼のモチベーションに関わる。照明の角度は、彼の右斜め上45度からの光が一番映えると本人が言っていたので、その位置に固定。』
芥子「オーマイゴッド! まさにその通り! 彼はミーの輝きを完全に理解している!」
ページをめくるたびに、そこには団員たちへの細かすぎるほどの配慮と、日々の業務内容がびっしりと記されていた。 設備の点検箇所、予算のやりくり、体調管理のメモ、それぞれの誕生日プレゼントの候補リスト……。
ロロ「……なんだこれは。あいつ、暇なのか?」
スズキ「いえ……これだけの仕事を、リハーサルの合間や、我々が寝静まった後にやっていたということでしょう」
テントの中に、少しバツの悪い空気が流れた。 彼らは普段、雲二三を「空気」「地味」「下僕」扱いしている。 だが、その空気がなくなって初めて、自分たちが窒息しそうになっていることに気づいたのだ。
ロロ「ふ、ふん! まあ、下僕としては合格点だな! だが、居ないのでは意味がない!」
ロロはノートを机に叩きつけた。 しかし、その手つきはいつもの乱暴なものではなく、少しだけ丁寧だった。
芥子「で、彼はどこへ行ったんだい? まさか、神隠し?」
スズキ「……この状況。考えられる可能性は二つです」
スズキが指を二本立てる。 探偵のような仕草だが、服装がマジシャンなので胡散臭い。
スズキ「一つ。我々のワガママに耐えかねて逃亡した。二つ。何らかの事件に巻き込まれた」
正兎「三つ目~。かくれんぼの達人になった~」
スズキ「それは却下です」
ロロ「逃亡だと!? 許さん! 俺様から逃げられると思うなよ!」
ロロが仁王立ちになる。
ロロ「いいか、お前ら! これは『団長奪還作戦』だ! 雲二三を見つけ出し、再び俺様のために働かせるぞ!」
芥子「異議なし! ミーの鏡を磨かせなければ!」
正兎「は~い。僕も雲二三くんと遊びた~い」
スズキ「……やれやれ。私のコーヒーのためには仕方ありませんね」
動機は不純。 全員、自分の利益のためだ。 しかし、結果として461サーカス団の心は一つになった。 「雲二三を探す」。その一点において。
スズキ「では、手分けして探しましょう。彼は影が薄い。見落とさないように注意が必要です」
ロロ「俺様はあっちの観覧車の方を見る! 高いところから見下ろしてやる!」
芥子「ミーはステージ裏だ! ドラマチックな場所にいるに違いない!」
正兎「僕は風に流されてみるね~」
スズキ「私は園内のカフェや休憩所を当たってみます」
「オー!」という掛け声と共に、団員たちはテントを飛び出していった。 嵐が去った後のような静寂が、再びテントに訪れる。
***
シーン……。
テントの隅。 埃を被ったカバーの下にある、装飾過多な箱。 その中から、微かな、本当に微かな音が聞こえる。
トントン……トントン……。
雲二三「……あれ? みんなどっか行っちゃった?」
箱の中の雲二三は、外の会話を断片的にしか聞くことができていなかった。 「逃亡」「許さん」「探す」という単語だけが聞こえ、彼は青ざめていた。
雲二三「(やばい……怒ってる……? 逃げたと思われてる? 違うんだ、ここにいるんだよおおお!)」
雲二三は必死に壁を叩く。 しかし、スズキの最高傑作であるこの箱は、その振動さえも吸収してしまう。 なんという無駄な高性能。
雲二三「はあ……。お腹すいたな……」
雲二三はポケットを探った。 出てきたのは、昨日ロロにあげるつもりだった予備のチョコレートが一つ。 そして、携帯ゲーム機。
雲二三「……とりあえず、レベル上げでもするか」
彼は諦めが早かった。 いや、諦めたのではない。「待つ」ことに慣れすぎているのだ。 いつか誰かが気づいてくれる。 それまでは、体力を温存し、精神を安定させる。それがサポート役の務め(?)。
ピコピコ……ピコピコ……。
暗闇の中で、携帯ゲーム機のバックライトだけが雲二三の顔を照らす。 シューティングゲームのハイスコアが更新されていく。
***
一方、外では大捜索が始まっていた。
遊園地「セピアランド」。 錆びついたアトラクションの間を、奇妙な集団が駆け抜ける。
ロロ「雲二三ー! 出てこーい! 今なら減給処分だけで許してやるぞー!」
ロロがジェットコースターのレールの上を走りながら叫ぶ。 一般客(数少ないが)が驚いて指をさしているが、お構いなしだ。
芥子「クモフミーーー!! 君の地味さが恋しいよーー!!」
芥子はメリーゴーランドの馬に乗り、ジャグリングをしながら叫んでいる。 子供たちが「変なピエロがいる」と泣き出しそうになっている。
正兎「雲二三く~ん。こっちの雲に乗ってるの~?」
正兎は相変わらず空を漂っている。 手には大量の風船。それが余計に目立って、遠くからでも位置が丸わかりだ。
そして、スズキ。
スズキ「……ふむ。カフェにもいない。ベンチにもいない。トイレも確認した」
スズキは優雅に園内を歩いていたが、その表情は険しい。 彼の手には、ダウジング用のペンデュラム(振り子)が握られている。
スズキ「私の占術が通じないとは……。やはり、彼の存在感の希薄さは魔法的なレベルなのかもしれません」
マジシャンのプライドが傷ついていた。 そして同時に、奇妙な焦燥感があった。
スズキ「(なぜでしょう。……胸騒ぎがします。彼が遠くへ行ったのではなく、もっと近く、灯台下暗しのような場所にいる気がする……)」
スズキの勘は鋭い。 だが、その思考を邪魔するように、携帯端末が震えた。 プロダクションからの緊急連絡だ。
スズキ「……はい、こちらスズキ。……え? 緊急の依頼? 異形の出現?」
電話の向こうから、事務的な声が響く。 『セピアランドの東地区、廃墟エリアに異形の反応あり。直ちに鎮圧せよ』
スズキ「タイミングが悪いですね……。団長不在ですが、構いませんか? ……そうですか、戦闘許可は降りていると」
スズキは通話を切り、空に向かって鳩を放った。 それは団員招集の合図だ。
スズキ「おふざけはここまでです。仕事の時間ですよ、皆さん」
***
数分後。廃墟エリア。 かつてお化け屋敷だった建物が崩れかけ、不気味な影を落としている場所。 そこに、黒いモヤのような「異形(バグ)」が数体、蠢いていた。
ロロ「チッ! 雲二三探しの邪魔をしやがって! おい、雑魚ども! 俺様が直々に消してやる!」
ロロが王冠を輝かせる。 しかし、いつもと違って指示を出す者がいない。 普段なら雲二三が『ロロ、右から2体目!』『スズキ、援護を!』と的確にオーダーを出すのだが、今は誰もが個別に動こうとしている。
芥子「フハハハ! スポットライトがないなら、ミーが輝けばいい! 喰らえ、スターライト・ジャグリング!」
芥子が光るクラブを投げる。 しかし、異形は不規則な動きでそれを回避した。
正兎「わ~、真っ黒だね~。風船いる~?」
正兎が近づこうとするが、異形の一体が鋭い爪を振り下ろす。
スズキ「危ない! イリュージョン!」
スズキが煙幕を展開し、正兎を間一髪で回収する。
スズキ「連携がバラバラです! これでは効率が悪い!」
ロロ「うるさい! 俺様がリーダーだ! 突撃しろ!」
ロロが無謀に突っ込む。 異形たちが包囲網を敷く。
その時、彼らは無意識に探していた。 背中を守ってくれる「気配」を。 死角から飛んでくる援護射撃を。 「大丈夫、後ろは任せて」という、頼りないけれど安心できる声を。
だが、そこには風が吹くだけだった。
スズキ「……くっ。団長の存在が、戦力バランサーになっていたというのですか」
彼らの攻撃力は高い。個々の能力は一級品だ。 しかし、雲二三という「接着剤」がない彼らは、ただの「暴れる猛獣」の集まりでしかなかった。 異形たちはその隙を見逃さない。 徐々に、461サーカス団は追い詰められていく。
ロロ「ええい! なぜ当たらない! なぜ俺様の背後に回り込まれる!」
芥子「リズムが……リズムが狂う!」
絶対絶命のピンチ。 その時、テントの方角から、微かな、本当に微かな「光」のようなものが空へ昇った気がした。
スズキ「……あれは?」
それは、ただの照明の反射か、あるいは見間違いか。 しかし、スズキの目には、それがSOSの信号弾に見えた。
スズキ「皆さん! 一度撤退します! 体勢を立て直す!」
ロロ「逃げるのか!? 王が!?」
スズキ「一時的な戦略的転進です! それに……団長の居場所がわかったかもしれません!」
その言葉に、全員の動きが止まる。
ロロ「……なんだと?」
スズキ「テントです。灯台下暗し。彼はきっと、まだあの中にいる!」
根拠はない。ただの直感だ。 だが、その直感に賭けるしかなかった。 彼らは異形たちを煙に巻き、全速力でテントへと引き返した。
主役不在の舞台は、まだ幕を開けたばかり。 そして箱の中の「主役」は、ゲームのバッテリー切れと戦っていた。
雲二三「あ、電池切れそう……。セーブ、セーブしなきゃ……」
彼の危機感は、外の状況とは全く違うベクトルに向いていた。
第3話:箱入りの司令塔と覚醒の刻

ドォォォォン!!
461サーカス団の巨大なテントが、激しい衝撃で揺れ動いた。 入り口にはバリケードとして積まれたパイプ椅子や長机の山。 その向こう側から、異形(バグ)たちが放つ不気味な咆哮と、バリケードを破壊しようとする打撃音が響いている。
ロロ「ええい、しつこい雑魚どもめ! 俺様の城に土足で踏み込もうなどと!」
ロロが王冠を斜めにしながら叫ぶ。 その手には、どこから拾ってきたのか、ポインター代わりの短いステッキが握られている。
芥子「照明が! ミーの命である照明機材が揺れている! これでは演出プランが台無しだ!」
正兎「わ~、テントがダンスしてるみたい~。僕も一緒に踊ろうかな~」
正兎は相変わらず危機感がないが、その手には大量の風船が握られ、いつでも起爆できる準備は整っているようだった。
スズキ「……無駄口を叩いている暇はありませんよ」
スズキは額に脂汗を浮かべながら、テントの中央付近に視線を走らせていた。 先ほどの撤退戦で消耗した彼らには、もはや正面から押し返す余力はない。 個々の力は強いが、統率が取れていない今の彼らは、ただの「暴れるカカシ」だ。
スズキ「(私の直感が正しければ、団長はこの中にいる。……どこだ? 彼が隠れそうな場所は……)」
スズキの目が、テントの隅にある用具置き場を捉えた。 そこには、埃よけのシートを被ったままの、巨大な長方形の物体が鎮座している。
スズキ「……まさか」
スズキの脳裏に、昨日の記憶が蘇る。 『人体消失ボックス(改)』のメンテナンスを頼もうとして、メモを残したこと。 そして、そのボックスは「外側からロックがかかる」仕様であること。
スズキ「皆さん! あの箱です! あの箱を守りなさい!」
スズキが叫ぶと同時に、入り口のバリケードが弾け飛んだ。
ガシャアアアン!!
黒い霧を纏った異形たちが、雪崩のようにテント内へ侵入してくる。 その数、およそ二十体。 鋭い爪と牙を持つ獣のような姿をしたバグたちが、飢えた獣のように団員たちを見据える。
ロロ「チッ! 入ってきやがった! 総員、攻撃開始だ!」
ロロが号令をかけるが、その声は上擦っていた。 誰も「どう動けばいいか」がわかっていない。
芥子「ええい、来るな! ミーの周りに集まるな! 暑苦しい!」 正兎「風船さん、いっけ~!」
バラバラの攻撃。 芥子のジャグリングは味方のロロに当たりそうになり、正兎の風船は天井の梁に引っかかる。 その隙を突いて、一体の異形がスズキの指差した「箱」へと飛びかかった。
スズキ「させません!」
スズキが燕尾服を翻し、トランプを投げつける。 鋭利な刃物と化したカードが異形の顔面を切り裂くが、勢いは止まらない。 異形の体当たりが、箱に直撃した。
ドンッ!!
重たい箱が横倒しになる。 その衝撃音は、テント内の喧騒の中でもはっきりと聞こえた。
***
一方、箱の中。
雲二三「……あ、やば」
プツン。
携帯ゲーム機の画面が暗転した。 ついにバッテリーが切れたのだ。 唯一の光源にして心の支えが消え、雲二三は完全な暗闇に取り残された。
雲二三「あーあ……。いいところだったのにな、ボス戦」
暗闇の中で溜息をつく。 その時だった。
ゴウンッ!
突然、世界が回転した。 身体が宙に浮き、硬い壁に激突する。
雲二三「いったぁ!? な、なに!?」
箱が倒されたのだ。 続いて、外から「ギャアアア!」「オラアアア!」という、聞き覚えのある叫び声と、聞き覚えのない奇声が微かに聞こえてきた。 さらに、箱を爪で引っ掻くような不快な音が響く。
ガリガリガリガリ……!
雲二三「(……音? この箱は完全防音のはず……あ、蝶番の調整中で防音シールを外してたんだった)」
ようやく、外の音が「情報」として入ってくる。 ロロの怒号。 スズキの焦った声。 何かが壊れる音。
雲二三「(……戦闘? テントの中で?)」
雲二三の心拍数が上がる。 今まで「自分は忘れ去られている」といじけていた感情が、一瞬で消え去った。 仲間が戦っている。 それも、かなり切羽詰まった状況で。
雲二三「……スズキ! ロロ! そこにいるのか!?」
雲二三は叫んだ。 しかし、その声はまだ乱戦の音にかき消されている。
ガツン! ガツン!
箱に衝撃が走る。 誰かが、この箱を壊そうとしている? いや、守ろうとしている? 中でシェイクされながら、雲二三は必死に体勢を整えた。 暗闇の中で目を凝らす。 蝶番の隙間から、一筋の光が漏れていた。 そして、その隙間から見えたのは――
傷だらけになりながら、箱の前に立ちはだかるスズキの背中だった。
スズキ「……くっ、この箱には指一本触れさせませんよ! これは私の最高傑作……そして、中にいるのは我々の団長です!」
雲二三「(スズキ……)」
いつもは皮肉屋で、自分を小馬鹿にしているマジシャン。 その彼が、ボロボロになりながら自分(が入っている箱)を守っている。
ロロ「おいスズキ! 後ろだ! ……くそっ、雲二三がいれば指示が出せるのに!」
芥子「右から来るぞ! いや左か!? 誰かミーに正解を教えてくれ!」
正兎「わ~ん、みんなバラバラだよ~!」
聞こえてくる悲痛な叫び。 彼らは待っていたのだ。 自分という、地味で影の薄い、けれど唯一の「目」を。
雲二三の中で、何かが「カチリ」と切り替わった。 それは、かつて最強ユニットの一員として戦場を駆けた頃のスイッチ。 そして、今はこの個性派集団を預かる責任者としての覚悟。
雲二三「(開けろ……開いてくれ……!)」
雲二三は、内側からロック機構を探った。 本来は開かない。 だが、今の衝撃で何かがズレたかもしれない。 指先に全神経を集中させる。 構造を思い出す。スズキの設計図を脳内で再生する。 あそこだ。あの留め具が、衝撃で緩んでいるはずだ。
雲二三「……そこっ!」
渾身の力で、金具を押し込んだ。
カチャン。
小さな、しかし確かな解錠音が響いた。
***
テント内。
スズキ「はぁ、はぁ……。万事休す、ですか……」
スズキは片膝をついていた。 手持ちのトランプは尽き、鳩たちも疲弊して肩に止まっている。 ロロも王冠を落とし、芥子はクラブを全て失い、正兎の風船は割れてしぼんでいた。 周囲を取り囲む異形たちは、勝利を確信したようにジリジリと距離を詰めてくる。
異形の一体が、スズキの背後にある箱へと爪を振り上げた。 もはや、防ぐ手立てはない。
スズキ「(団長……すいません。あなたを見つけ出すのが、遅すぎました……)」
スズキが目を閉じた、その瞬間。
バンッ!!
乾いた音が響き、箱の蓋が勢いよく蹴り開けられた。 飛び出したのは、蓋そのものではない。 箱の中から放たれた、数個の「閃光弾」だった。
カッッッ!!!
強烈なフラッシュがテント内を白く染める。 暗がりに慣れていた異形たちが、悲鳴を上げて怯んだ。
ロロ「うおっ!? 目が!」 芥子「ビューティフル!!」
光が収まりかけたその時。 箱の中から、一人の影がゆらりと立ち上がった。 白髪に赤い×印のリボン。 手には、メンテナンス用のドライバーと、先ほどまでプレイしていたゲーム機(投擲用)を構えている。
雲二三「……遅くなってごめんね、みんな」
その声は、いつもの自信なさげなものではなかった。 低く、落ち着いていて、それでいてテントの隅々まで通る声。
スズキ「……団長!」 ロロ「雲二三!」
雲二三は埃を払いながら、箱から出た。 その瞳は、完全に「戦闘モード」に入っている。 彼は瞬時に戦場の状況をスキャンした。 敵の数、位置、味方の消耗度、配置、使える小道具、地形効果。 全てが頭の中で3Dマップとして構築される。
雲二三「状況確認終了。……これより、反撃を開始する」
雲二三がスッと右手を挙げた。
雲二三「ロロ! 右前方2時の方向、敵の足元に段差がある。そこへ『王の威圧』を!」
ロロ「は、はいっ! ……じゃなくて、おう! 任せろ!」
反射的に敬語になりそうになったロロが、慌ててステッキを振る。 雲二三の指示通り、敵がバランスを崩しやすいポイントに衝撃波が放たれる。
ドォン! 体勢を崩した異形たちが重なり合って転倒した。
雲二三「ナイス。芥子、その隙だ! 天井の照明、3番と5番を落下させろ! スポットライト攻撃だ!」
芥子「待っていたよ、その指示を! ショータイムだ!」
芥子が紐を引くと、計算されたかのように照明が落下し、転倒した異形たちを直撃。 火花と光が散り、敵の視界を奪う。
雲二三「正兎! 残った風船をスズキの足元へ! スズキ、その風船を踏み台にして跳躍! 空中からの『カード・レイン』で一掃してくれ!」
正兎「は~い! スズキさん、ジャンプ~!」 スズキ「まったく、人使いが荒いですね!」
スズキは文句を言いながらも、口元には笑みを浮かべていた。 これだ。この感覚だ。 何も考えなくても、言われた通りに動けば全てが噛み合う。 思考をアウトソーシングできる心地よさ。
スズキは風船の反発力を利用して高く舞い上がり、天井付近から無数のカードをばら撒いた。
シュシュシュシュッ!!
降り注ぐ刃の雨が、混乱した異形たちを次々と串刺しにする。
雲二三「残敵3体……。俺がやる」
雲二三は手元のドライバーを逆手に持ち替えた。 そして、目にも留まらぬ速さで駆け出す。 影が走る。 いや、彼自身が影のように敵の死角へと滑り込む。
「『ファントム・グライド』」
すれ違いざま、異形の急所(コア)を正確に貫いた。 一撃、二撃、三撃。 無駄のない動き。 彼が通り過ぎた後、異形たちは音もなく崩れ落ち、黒い霧となって消滅した。
静寂が戻る。
雲二三はふぅ、と息を吐き、いつもの猫背に戻った。
雲二三「……ふう。なんとかなったね。みんな、怪我はない?」
振り返った雲二三の顔は、いつもの気弱そうな青年のそれだった。 しかし、団員たちの見る目は明らかに変わっていた。
ロロ「お、お前……」
スズキ「……見事な手際でした。やはり、貴方がいないと締まりませんね」
芥子「ブラボー! あの箱からの登場シーン、鳥肌が立ったよ! まるで蘇った英雄だ!」
正兎「雲二三くん、かっこよかった~! また箱に入る?」
雲二三「いや、もう箱はこりごりだよ……」
雲二三は苦笑いしながら、スズキに歩み寄った。
雲二三「スズキ、箱を壊しちゃってごめん。あとで修理するよ」
スズキ「構いませんよ。あれは元々、脱出マジック用です。……貴方が自力で脱出したことで、マジックは成功したと言えるでしょう」
スズキは優雅に帽子を取り、一礼した。 それは、マジシャンが観客にする礼ではなく、団員が団長に示す敬意の礼だった。
ロロ「ふん! まあ、今回は助けられたな! 礼を言ってやる! ……で、飯はまだか?」
雲二三「あはは……。わかったよ。すぐに用意する。でもその前に、テントの片付けを手伝ってくれるかな?」
ロロ「なっ、王に労働を強いるのか!?」
雲二三「(ジロッ)」
雲二三が一瞬だけ、さっきの「司令塔の目」をした。
ロロ「……ち、仕方ない! 特別だぞ!」
こうして、461サーカス団の「団長不在事件」は幕を閉じた……かに思えた。 しかし、彼らはまだ気づいていなかった。 この一連の騒動が、単なる事故ではなく、何者かによって仕組まれた「テスト」であったことに。
テントの外、遠く離れた建物の屋上で、一人の男が双眼鏡を下ろしていた。
???「……ふむ。雲二三、腕は鈍っていないようだな。だが、これだけでは『セピア』の代表としては力不足だ」
謎の男は不敵に笑うと、次なる「シナリオ」を書き始めた。
第4話:影の観客と強制アンコール

嵐のような戦闘から数時間が経過した。 テント内の補修と清掃はどうにか形になりつつあったが、団員たちの疲労はピークに達していた。
ロロ「……おい雲二三。もう動けんぞ。王である俺様に、これ以上の肉体労働をさせる気か」
ロロが破れたベルベットのクッションに沈み込むように座り込んだ。 その顔には煤(すす)がついており、王冠も少し傾いている。
スズキ「珍しく意見が合いますね。私の指先も、これ以上はトランプ以外のものを持ちたくないと悲鳴を上げています」
スズキは優雅にハンカチで額の汗を拭うが、その燕尾服はあちこちがほつれ、白い手袋も灰色に汚れていた。
芥子「ミーの輝きもエネルギー切れだ……。充電……誰かミーに情熱という名の電気を……」
正兎「僕はまだ元気だよ~。お掃除楽しいな~。……あれ? 風船がないから浮けないや」
団員たちがダラダラと休憩モードに入る中、雲二三だけが黙々と壊れた機材のチェックを続けていた。
雲二三「みんな、お疲れ様。もう少しで終わるから。……あ、スズキ、そこのワイヤーだけ巻き取ってくれないかな?」
スズキ「……やれやれ。団長命令とあらば」
文句を言いながらも、彼らは動く。 昨日の「不在事件」を経て、彼らの中に微かな変化が生まれていた。 雲二三の言葉に、以前のような「完全無視」はなく、「渋々だが従う」という空気が定着しつつある。
雲二三「(……よかった。これでなんとか次の公演も迎えられそうだ)」
雲二三が安堵の息を吐き、工具箱を閉じようとしたその時だった。
パチンッ。
テント内の照明が、何の前触れもなく一斉に消えた。 完全な闇。 非常灯すら点かない。
ロロ「な、なんだ!? 停電か!? おい雲二三、電気代を払ってないのか!?」
雲二三「払ってるよ! ……おかしいな、ブレーカーかな?」
雲二三が懐中電灯を取り出そうとした瞬間。
『ボウ……』
不気味な低い音が響き、客席の方から青白い炎のような光が無数に浮かび上がった。 それは人魂のようでもあり、ペンライトのようでもあった。
『……ミセロ……』 『……タノシマセロ……』
無機質で、ざらついた声が空間を埋め尽くす。 青白い光に照らし出されたのは、無人の客席を埋め尽くす「影」たちだった。 目も鼻もない、黒いシルエットだけの観客。 それらが数千、いや数万という単位でテントの壁や天井にまで張り付き、ステージ上の彼らを見下ろしていた。
芥子「な、なんだいチミたちは!? ミーのファンクラブにしては、いささか顔色が悪いようだが!」
スズキ「……バグ(異形)反応。それも、このテント全体が巨大な『結界』になっています」
スズキが警戒態勢に入る。 しかし、敵は襲いかかってこない。 ただ、じっと彼らを見つめ、無言の圧力をかけてくる。
『……カイエン……』 『……アンコール……』 『……ツマラナイナラ、シヲ……』
ロロ「死だと!? この俺様に脅しをかけるとはいい度胸だ!」
雲二三「待って、ロロ!」
雲二三がロロを制止する。 彼の「元・最強ユニット」としての勘が、警鐘を鳴らしていた。 この敵は、単純な戦闘力で排除できる相手ではない。
雲二三「こいつらは『観客』だ。……楽しませないと、襲ってくるぞ」
スズキ「楽しませる? この状況でショーをしろと?」
雲二三「そうだ。奴らは『セピア』の残滓……過去の亡霊みたいなものかもしれない。古いサーカスの記憶が、バグとして具現化したんだ」
『……ハヤク……ハヤク……』
影たちが波打つ。 その波は徐々にステージへと迫り、最前列の影がステージの縁(へり)を齧り取った。 ガリッ、という音が響く。
正兎「わ~、ステージ食べちゃった~。お腹空いてるのかな~?」
雲二三「……やるしかない。みんな、配置について!」
雲二三の声が飛ぶ。 しかし、団員たちは戸惑っている。
芥子「配置と言われても! 準備もリハーサルも途中だよ!?」
ロロ「それに、俺様は疲れている! 万全の状態でない王の芸を見せるわけにはいかん!」
雲二三「(くっ……どうする? 今の彼らで、即興で、この大量のバグを満足させるショーなんて……)」
その時、客席の最奥、暗闇の玉座のような場所に、一際大きな影が現れた。 それは帽子を被り、長い腕組みをした「支配人」のようなシルエットだった。
『……指揮者ガ、イナイナ……』
その声が響いた瞬間、雲二三の足元が光った。
雲二三「えっ?」
ドシュッ!
雲二三の体が、見えない力によって宙吊りにされた。 黒い触手のような影が雲二三の手足を拘束し、ステージ上空の高い位置へと彼を引き上げる。
スズキ「団長!」
『……地味ナ指揮者ハ、不要。……代ワリニ、オ前タチガ輝ケ。……失敗スレバ、コノ男ハ消ス……』
支配人の影が宣告する。 雲二三は口元を影で塞がれ、声を出せない。 身動きも取れない。 ただ、上空から仲間たちを見下ろすことしかできない。
ロロ「き、貴様! 雲二三を離せ!」
『……サア、始メロ。……題目ハ『混沌ノ舞踏会』……』
ジャーン! と不協和音のファンファーレが鳴り響く。 それと同時に、無数の影たちがステージになだれ込んできた。 彼らは武器を持っているわけではないが、触れたものを侵食し、色を奪っていく。
スズキ「くっ、迎撃します! ……鳩たちよ!」
スズキがカードを構えるが、手が止まる。 いつもなら、ここで雲二三の『右、3体!』という指示が飛んでくるはずだった。 しかし、今は静寂。
芥子「ど、どっちだ!? どこを見ればいい!? ミーの視線誘導(ミスディレクション)が決まらない!」
正兎「雲二三く~ん、そこからじゃ風船渡せないよ~」
連携が崩れる。 個々の技は凄まじい威力を持っているが、狙いが定まらない。 影たちは実体がないため、物理攻撃がすり抜けることもあれば、逆に硬質化して弾くこともある。 その判断を、今まで雲二三が瞬時に行っていたのだ。
スズキ「(いけない……! 我々は、無意識のうちに彼に頼りすぎていた……!)」
スズキの背後から影が迫る。 ロロがそれに気づくが、間に合わない。
ロロ「スズキ! 後ろだ!」
スズキ「ッ!?」
回避行動が遅れる。影の手がスズキの燕尾服を掴みかける。
その時。
カンッ!
乾いた音がして、スズキの足元に何かが落ちてきた。 それは、雲二三が腰に付けていた「マーカー(カラーボール)」だった。 上空で拘束されている雲二三が、指先のわずかな自由を使って落としたのだ。 ボールの色は「赤」。
スズキ「……赤? ……炎!」
スズキは瞬時に理解した。 彼はカードではなく、発火布(フラッシュペーパー)を取り出し、大きく展開した。
ボワッ!!
激しい炎が上がり、影が悲鳴を上げて退いた。 熱と光に弱いのだ。
ロロ「なるほど! 雲二三のやつ、まだ諦めてないぞ!」
上空を見る。 雲二三は全身を締め付けられながらも、必死に目で訴えていた。 『俺を見るな。敵を見ろ。でも、合図は送る』
雲二三は手首をひねり、持っていた小道具や、靴の踵(かかと)を使ってモールス信号のように音を鳴らし始めた。
カッ、カッ、カカッ。
芥子「リズムだ! 彼がビートを刻んでいる!」
芥子のジャグリングの才能が反応する。 その不規則なタップ音は、敵の攻撃パターンのリズムと完全に同期していた。
芥子「フハハハ! 聞こえるぞ、団長の心の叫びが! 『今は耐えろ』『次は右』『派手にやれ』!」
芥子が雲二三の刻むリズムに合わせてクラブを振るう。 すると不思議なことに、今まで空振りしていた攻撃が、次々と影たちにヒットし始めた。
芥子「ロロ様! ワン・ツー・スリーのタイミングで王の号令を!」
ロロ「指図するな! だが、乗ってやる! ……ひれ伏せ愚民ども!」
ロロの「王の威圧」が、リズムに合わせて炸裂する。 影たちが硬直する。
スズキ「正兎くん! 団長が揺れています。あの揺れに合わせて風船を!」
正兎「わ~い、ブランコだね~! それっ!」
正兎が投げた風船が、雲二三の揺れと連動して絶妙な軌道を描き、敵の密集地帯で破裂した。 中から紙吹雪と煙幕が広がる。
『……ヌヌッ……?』
支配人の影が動揺する。 指揮者を封じたはずなのに、演奏が止まらないどころか、より激しさを増している。
雲二三は、空中で意識が遠のきそうになりながらも、眼下の仲間たちを見ていた。 (……すごい。俺はただ、きっかけを与えているだけだ。彼らは、俺が思っている以上に、互いのことを理解し始めている……)
雲二三がいなくても、彼らは連携できている。 雲二三という「点」を介してではなく、彼ら自身が「線」で繋がり始めている。 その事実に、雲二三は喜びと、ほんの少しの寂しさを感じた。 (……ああ、これなら。もう俺がいなくても大丈夫か――)
フッ、と雲二三の力が抜けそうになった時。
「馬鹿者ーー!!」
下から、スズキの怒鳴り声が聞こえた。
スズキ「団長! 今、『自分は用済みだ』などと考えていませんでしたか!?」
雲二三「!!」
スズキは敵をカードで切り裂きながら、上空の雲二三を睨みつけていた。
スズキ「勘違いしないでいただきたい! 我々がこうして動けるのは、貴方がそこで見ているからです! 貴方が観客席(そこ)にいるなら、貴方こそが我々の『最重要VIP』だ!」
ロロ「そうだぞ雲二三! 王たる俺様が、お前のために戦ってやっているんだ! 特等席でしっかり見ていろ!」
芥子「ミーの最高の演技を、一番高いところで見られるなんてズルいぞ!」
正兎「雲二三くん、寝ちゃダメだよ~! あとで一緒に遊ぶんだから~!」
彼らの言葉が、雲二三の心に突き刺さる。 「サポート役」「裏方」「影」。 そうやって自分を規定していたのは、他ならぬ自分自身だった。 でも、彼らは言っている。 お前も「461サーカス団」の一員だと。 指揮者であり、観客であり、そして――仲間だと。
雲二三の瞳に、再び光が戻る。
雲二三「(……そうだな。まだ、終われない。俺も……このショーの一部なんだ!)」
雲二三は、拘束されている影の触手に力を込めた。 元「4ELEMENT」。その身に宿る魔力(シンクロ率)を一気に高める。 彼の“個性がない”という特性。それは裏を返せば、何色にでも染まれるということ。 今、彼の中には団員たちの色が混ざり合い、強烈な「白光」となって溢れ出した。
雲二三「うおおおおおおっ!!」
バチチチチッ!!
雲二三の全身から放たれた衝撃波が、拘束していた影を消し飛ばした。 解放された雲二三は、重力に従って落下――しない。 空中で回転し、まるでアクロバットのように体勢を整える。
雲二三「スズキ! 足場!」
スズキ「心得ています!」
スズキが投げたカードが空中で足場となる。 雲二三はそれを蹴って加速。 真っ直ぐに、奥にいる「支配人の影」へと突っ込んでいく。
『……ナ、ニ……!?』
雲二三「461サーカス団の団長は、ただ見てるだけじゃないんだよ!!」
雲二三の手には、いつの間にか芥子が落としたジャグリングのクラブが握られていた。 それに全魔力を込める。
雲二三「フィナーレだ!! 『シューティング・ブレイク』!!」
投擲されたクラブは流星となって、支配人の影の中心を貫いた。
ドォォォォォン!!
支配人の影が断末魔を上げ、霧散していく。 それに連動して、観客席の影たちも次々と消滅し、青白い炎が消えていく。
テント内の照明が、パチパチと瞬きながら復旧した。
ドサッ。
雲二三がステージの中央に着地した。 少しよろけたが、倒れはしなかった。
静寂。 そして――。
パチ、パチ、パチ……。
まばらな拍手が聞こえた。 それは、消え残った数体の影たちが、消滅する瞬間に送った称賛の拍手だったのかもしれない。 あるいは、団員たちが互いに送り合ったものか。
ロロ「……ふん。まあまあだな」
ロロが鼻を鳴らし、雲二三の肩をバンと叩いた。
ロロ「よくやった、下僕。いや、団長」
スズキ「……寿命が縮まりましたよ。まったく、貴方はいつもハラハラさせる」
スズキが安堵の表情で崩れ落ちる。
芥子「ビューティフル!! 最後のダイブ、あれこそ至高の演出だ!」
正兎「雲二三くん、空飛べたね~! すご~い!」
雲二三は、仲間たちの顔を見回し、へなへなと座り込んだ。
雲二三「あはは……。もう、本当に勘弁して……」
しかし、その顔は笑っていた。 もう「自分なんて」という卑屈な笑いではない。 やりきった、充実感に満ちた笑顔だった。
だが、物語はまだ終わらない。 支配人の影が消えた後、その場所に一枚の黒い封筒が落ちていた。 スズキがそれを拾い上げる。
スズキ「……招待状?」
そこには、金色の文字でこう記されていた。
『合格。 次こそが本番。 深夜0時、遊園地中央広場にて待つ。 ――461サーカス団へ、最後の試練を』
雲二三「……最後の試練?」
雲二三は立ち上がり、封筒を見つめた。 休む暇はない。 この一連の騒動の黒幕、そして本当の「依頼主」が待っているのだ。
雲二三「行こう、みんな。これが、俺たちの本当のショーの幕開けだ」
461サーカス団は、傷だらけのまま、しかし確かな絆を胸に、深夜の遊園地へと歩き出した。 彼らの背中は、昨日よりもずっと大きく、頼もしく見えた。
最終話:極彩色の明日へ

午前0時。 真夜中のセピアランド中央広場。 昼間の賑やかさ(といっても閑散としているが)は鳴りを潜め、静寂だけが支配している。 古びた時計塔の針が、重々しく12時を指した。
ゴーン……ゴーン……。
鐘の音が闇に溶けていく。 広場の中央には、461サーカス団の5人が立っていた。 満身創痍。服は汚れ、疲労の色も濃い。 だが、その瞳だけは、不気味なほど強く輝いていた。
ロロ「……おい、時間だぞ。誰もいないじゃないか」
ロロが不機嫌そうに石畳を蹴る。
スズキ「いえ……来ますよ。空気が変わりました」
スズキが警戒し、トランプを扇状に広げる。 その瞬間、広場の噴水が突然、黄金色の光を放ちながら吹き上がった。
ザアアアアッ!!
水しぶきがスクリーンとなり、そこに巨大な「仮面」の幻影が浮かび上がる。 半分は泣き顔、半分は笑い顔。 古典的な演劇の仮面(ペルソナ)だ。
『……ヨクゾ来タ、461サーカス団……』
重厚な声が広場全体を震わせる。 それは、昼間に聞いた「影の支配人」の声よりも、さらに古く、威厳に満ちたものだった。
雲二三「あんたが、今回の『依頼主』か?」
雲二三が一歩前に出る。 いつもの猫背ではない。堂々とした立ち姿だ。
『……イカニモ。我ハ、コノ地ニ眠ル記憶ノ集合体。「セピア・ファントム」……』
仮面の目が怪しく光る。
『……汝ラニ問ウ。サーカスニトッテ、最モ重要ナモノハ何カ?』
芥子「愚問だね! それは輝き! 観客を魅了する圧倒的な演出(ドラマ)さ!」
正兎「え~? 笑顔かな~? あと風船!」
スズキ「技術(テクニック)、そして優雅さ(エレガンス)でしょう」
ロロ「支配だ! 王たる俺様が君臨することこそが全てだ!」
団員たちが口々に叫ぶ。 しかし、仮面は『……否……』と低く否定した。
『……ソレハ全テ「個」ノ輝キニ過ギナイ。……見ヨ、汝ラノ団長ヲ。彼ハ輝イテイルカ?』
スポットライトのような光が、雲二三だけを照らす。 汚れた作業着、地味な白髪、特徴のない立ち姿。 派手な団員たちに囲まれると、確かに彼は「背景」にしか見えない。
『……彼ハ無色。透明。存在シナイモ同然。ソンナ者が率イル劇団ニ、未来ナドナイ。……故ニ、我ガ提案スル』
ゴゴゴゴゴ……。 地面が揺れ、仮面の背後から、黄金に輝く鳥籠のような檻が出現した。 中には、美しい宝石や王冠、最高級のマジック道具が詰まっている。
『……雲二三ヲ捨テヨ。……サスレバ、汝ラニ「永遠ノ舞台」ヲ与エヨウ。老イルコトナク、飽キラレルコトナク、永遠ニ拍手喝采ヲ浴ビル夢ノ世界ダ……』
甘美な誘惑。 「セピアプロダクション」の呪いとも言える、過去への固執。 変わらないことの安らぎ。
雲二三は、拳を握りしめた。 反論しようとした。 「俺がいなくなれば、みんなは幸せになれるのか?」という、いつもの悪い癖(自己犠牲精神)が頭をもたげる。
だが。
「……バーカ」
ロロが、鼻で笑った。
ロロ「おい、ポンコツ仮面。俺様を誰だと思っている? 俺様はロロだぞ? 未来永劫、世界を支配する王だ!」
ロロは王冠を光らせ、仮面を指差した。
ロロ「永遠の舞台? 同じことの繰り返しだろうが! そんな退屈な場所で、この俺様が満足すると思うか! それに……」
ロロはチラリと雲二三を見た。
ロロ「俺様の下僕(雲二三)を捨てるだと? 俺様の持ち物に指図するな! あいつの使い方は俺様が決める!」
スズキ「フッ……。同感ですね」
スズキが優雅に髪をかき上げる。
スズキ「変わらないマジックなど、種がバレた手品と同じ。何の価値もない。それに、団長がいないと……誰が私のコーヒーの温度管理をするのです?」
芥子「ノォォォ! 永遠なんてナンセンス! ショーは儚いからこそ美しい! そしてミーの輝きを際立たせるには、あの地味な背景(キャンバス)が必要不可欠なんだよ!」
正兎「雲二三くんがいなくなったら~、誰がかくれんぼの鬼をやるの~? 寂しいのは嫌だな~」
団員たちは、迷うことなく「永遠」を蹴り飛ばした。 そして、当然のように雲二三の周りに集まる。
雲二三「……みんな」
胸が熱くなる。 言葉が出ない。 元「4ELEMENT」として最強を目指していた頃には感じなかった、泥臭くて、面倒くさくて、でも何よりも温かい絆。
『……愚カナ。……デハ、証明シテミセヨ。……ソノ「無色」ガ、ドンナ色ヲ生ミ出セルノカヲ!!』
仮面が絶叫すると同時に、広場の遊具たちが一斉に動き出した。 メリーゴーランドの馬が槍を持って飛び出し、観覧車が回転鋸のように転がり、巨大なピエロの風船が火を噴く。 まさに悪夢のパレード。
雲二三「……証明してやるさ。俺たちは、過去になんて囚われない!」
雲二三がバインダーを放り投げ、両手を広げた。 その瞬間、彼から放たれたのは攻撃魔法ではない。 透明な、しかし力強い「波長」だった。
雲二三「全員、俺の『リズム』に合わせろ! 即興演目(インプロビゼーション)、タイトルは『461(セピア)の夜明け』だ!」
ロロ「生意気だぞ! だが、乗ってやる!」
雲二三の脳内には、既に勝利への道筋(スコア)が描かれていた。 敵の数は多い。物理攻撃だけでは押し切れない。 必要なのは、彼らの個性を最大限に爆発させる「化学反応」だ。
雲二三「正兎、上空へ! 全ての風船を破裂させろ! 中身は『笑いガス』だ!」 正兎「は~い! みんな笑ってね~!」
正兎が空へ舞い上がり、無数の風船を一気に割った。 パンパンパンッ! 広場にピンク色のガスが充満する。 襲いかかってきたメリーゴーランドの馬たちが、ガスの効果で動きを鈍らせ、奇妙な動きで踊り始める。
雲二三「芥子! 今だ! 君のジャグリングで、あの馬たちの蹄鉄(ていてつ)を狙え! 火花を散らせ!」 芥子「注文が細かいねぇ! だが、ミーには簡単すぎる! スパークリング・シャワー!」
カカンッ! カカカッ! 芥子の投げたクラブが正確に蹄鉄を叩き、激しい火花が散る。 その火花が、ガスに引火――はしない。 スズキがそこへ介入するからだ。
雲二三「スズキ! その火花を『幻影』で増幅! 炎の龍に見せかけろ!」 スズキ「人使いが荒い! ……イリュージョン・フレア!」
スズキがマントを翻すと、小さな火花が巨大な炎の龍へと姿を変え、敵全体を威嚇した。 物理的なダメージはないが、「恐怖」というデバフが敵全体にかかる。
『……ナ、何ダト……!? コノ連携ハ……』
仮面が動揺する。 個々の能力ではない。 雲二三という「結節点」を通すことで、彼らの技がパズルのピースのように噛み合い、予想外の効果を生んでいる。
雲二三「ロロ! フィニッシュだ! 全員の作った『隙』に、王の一撃を叩き込め!」
ロロ「遅いぞ雲二三! 待ちくたびれたわ!」
ロロが高く跳躍する。 その背後には、炎の龍(スズキ作)、煌めく星屑(芥子作)、笑顔の風船(正兎作)が後光のように輝いている。
ロロ「ひれ伏せ! これぞ461サーカス団の真骨頂! 『キングス・カーニバル・ブラスト』!!」
ロロがステッキを振り下ろす。 それは単なる物理攻撃ではなかった。 団員全員の「心(シン)」が共鳴(シンクロ)した、極彩色の衝撃波。
ズドォォォォォォォォン!!!
光の奔流が、仮面と黄金の檻を飲み込んだ。 過去の亡霊たちは、その圧倒的な「現在(いま)」のエネルギーに耐えきれず、ガラス細工のように砕け散った。
光が収まると、そこには静寂だけが残っていた。 噴水は止まり、時計塔の針は0時5分を指している。 そして、仮面のあった場所には、一枚の古い写真が落ちていた。
雲二三がそれを拾い上げる。 写っているのは、かつてのセピアランドで笑顔を見せる、名もなき団員たちの集合写真。
雲二三「……彼らも、今の俺たちみたいに、バカ騒ぎしてたのかな」
スズキが後ろから覗き込む。
スズキ「かもしれませんね。……ですが、今の主役は我々です」
ロロ「当然だ! 過去の奴らなど目じゃない!」
芥子「ミーたちの伝説はここから始まるのさ!」
正兎「ねえねえ~、お腹すいた~。帰ろうよ~」
緊張が解け、いつもの空気が戻ってくる。 雲二三は写真をポケットにしまい、仲間たちの方を向いた。
雲二三「……帰ろうか。461サーカス団のテントへ」
「おう!」 「ええ」 「イエス!」 「は~い」
5人は並んで歩き出した。 雲二三は端っこを歩こうとしたが、ロロと正兎に挟まれ、無理やり真ん中を歩かされることになった。
雲二三「ちょ、ちょっと! 俺は端っこで……」 ロロ「うるさい! 団長が端を歩くな! みっともない!」 スズキ「諦めなさい。貴方はもう、逃げられませんよ」
夜風が彼らの背中を押す。 その足取りは軽く、明日への希望に満ちていた。
***
後日。 セピアランドの一角にある461サーカス団のテント。
「雲二三ー! ジュース!」 「団長、鳩のエサが切れました」 「クモフミー! スポットライトの位置が3ミリずれている!」 「雲二三くん、風船膨らませて~」
相変わらずの怒号とリクエストの嵐。 雲二三はバインダーを片手に、テント内を走り回っていた。
雲二三「はいはい、今行くよ! ……あーもう、忙しいなぁ!」
その顔は汗だくだが、以前のような陰鬱な影はない。 むしろ、充実感に満ちた生き生きとした表情だ。
スズキ「……ふん。少しはマシな顔になりましたね」
スズキがコーヒーを啜りながら呟く。
ロロ「まあな! 俺様が鍛えてやったからな!」
雲二三は、ふと足を止めて彼らを見た。 個性豊かで、ワガママで、手のかかる仲間たち。 でも、彼らがいるから、自分はここにいられる。 「個性がない」自分に、「団長」という色を与えてくれるのは、彼らなのだ。
雲二三「……よし、みんな! リハーサル再開だ! 次の公演も、最高のものにするぞ!」
「「「「オー!!」」」」
その号令は、もう誰にも無視されることはなかった。 テントの外には、抜けるような青空が広がっている。 461サーカス団。 彼らのドタバタ劇は、これからも続いていく。 世界がどんなに色褪せようとも、彼らの輝きだけは、決して消えることはないだろう。
