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不登校|心の充電が1%だったあの日から。

娘はまじめな子です。宿題をかかさず提出し、先生に「放課後は残ってポスター貼りを手伝ってほしい」と頼まれれば応じ、クラスメイトに嫌味を言われても笑って受け流すタイプです。それが、不登校になるまで無理を重ねているとは思いもしませんでした。

前駆期|不登校のはじまりは、夫の単身赴任

さわやかに晴れた日の午後、夫に転勤の辞令が出ました。移動先は、北陸地方です。娘は中学2年生で来年は受験生。娘のことを考え、夫が単身赴任をすることになりました。わたしは引っ越しを手伝うべく、両親に娘を預け、1週間ほど自宅を離れます。東京に戻ると娘が不登校になっていました。不登校の原因は一つではありません。人前で発表するときやテストで緊張してしまい眠れないこと。女子特有の人間関係に疲れてしまうこと。入学してから「中学校が合わない」シグナルを出していたのに、深くは考えず受け流していました。

当時のことを娘に確認すると、心はギリギリの状態だったそうです。心の充電が1パーセントしかなく、気を抜くとゼロになってしまう。登校を続けたら限界がきてしまうので、休むしかありませんでした。入学してから合わない環境でがんばり続けた疲労が蓄積されて、「休む」という選択をとるしかありませんでした。これが不登校の始まりです。

混乱期|「どうして?」を繰り返した日々

学校をお休みしてからしたことは、「なにに苦しんでいるのか」「どうしたらよいのか」娘と話し合いました。この時期は毒だしの期間だったのでしょう。日ごろから自己主張が苦手な娘に、抱えている不平不満を言ってもらい、吐き出してもらうことにしました。学校のことだけではなく、母親であるわたしへの不満も告げられます。話すことは離すこと。怒ったり泣いたりしていた娘は、しだいに落ち着きを取り戻していきました。

休養期|静かな親子の時間、小さな外出

我慢していたものを吐き出し、不満をぶつけ終わると、娘は自分のことに目を向けるようになります。「将来どうしよう」「学校を休んだら進学できないのではないか」「高校には行けるのか」そんな心配をしはじめました。自分の将来のことを考え、不安になっていたのでしょう。娘の心音を確認すると異常にドキドキしていて驚きました。心音を聴きながら、どうしたらリラックスできるだろう? と考えます。パートの仕事がお休みの日は、娘を外へ連れ出すことにし、カラオケに行ったり、娘が好きなお店に行ったり、少し離れた街の銭湯で広い湯船につかりました。

回復期|「退屈」から生まれた次の一歩

自宅で安静にし、親子で回復に努めると、娘はだんだん元気になっていきます。「ひとりでいると退屈だ」という言葉が出てきたのは、このころです。わたしは、チャンスだと思って直ぐに行動を開始しました。「フリースクール」と「適応指導教室」をリサーチし、話を聞きに行き、見学を重ねます。何箇所か見学したのですが、娘の希望で適応指導教室へ通うことが決まりました。

適応指導教室に決めたのは、面談をしたときに担当の心理士のお姉さんが優しそうだったことが決め手です。ただ、親としては一つだけ心配事がありました。適応指導教室は、中学校と連携している機関。無理やり中学校へ戻されるのではないかという不安が……。

適応指導教室の先生に確認したところ、中学校に戻るための手助けはするが、戻りたくなければ無理に戻すことはしない。子どもの気持ちを最優先すると約束してくださいました。しかしながら、ここで問題が生じます。適応指導教室は遠方にあるため、送迎が必須。わたしは時短勤務の仕事を辞めて、娘の送迎をすることにしました。

助走期|親もまた限界に気づいたとき

適応指導教室へ通い始めると、心理士さんとの面談が始まります。定期的に心理士さんと話すことは、自分の思いの整理につながります。面談は子どもだけではなく、親も話を聴いてもらうことで、ふっと心が軽くなっていきました。周りに娘の不登校を話せるようになったのはこの頃です。話しながら友人の前で泣いてしまったとき、わたし自身も限界だったことに気づきました。

結局は、卒業するまで中学校に戻ることは叶いませんでした。適応指導教室に通い始めると、クラスで気が合う子を見つけ、楽しくなったようです。お友だちといっしょに適応指導教室へ行ったり、自習室で自学をしたり、自宅にお友だちが遊びに来ることも増えました。

復帰期|通信制高校という新しい選択

適応指導教室へ通い始めたものの、ふつうに高校へ通うのはむずかしいと判断します。回復しているように見えても、心は一度折れているのです。ここで無理をさせると再び社会へ出る元気がなくなってしまうかもしれません。

中学校を卒業した娘が選んだ高校は、通信制高校(登校型)でした。登校型の場合、ふつうに学校で授業を受け、文化祭や体育祭などの行事もあり、全日制に近い雰囲気が特徴的です。今年の4月に入学して、ゴールデンウィークを過ぎましたが、今のところは通い続けています。

さいごに|不登校に終わりはあるのか

こうして娘は不登校でしたが、無事に中学校を卒業し、通信制ながらも高校へ通っています。この選択が正しいかどうかはわかりません。振り返ってみると、不登校が始まった直後が一番つらかったように思います。不登校はセンシティブな話題だから気軽には話せません。わたしの場合、始めから娘の不登校をオープンにしていたわけではなく、少しずつ心を開いて周囲に話せるようになっていきました。親身になってくれた心理士さん、夫や友人には感謝しています。

不登校のゴールはどこなのでしょうか。春から通い始めた高校に、再び通わなくなることを考えると怖いです。なぜなら新しく通い始めた高校で、雑談できる人、気軽に質問できる人、クラスに仲良しの人がひとりもいないと娘が言っているからです。

親にできることは限られています。洗い立てのシーツにくるまって眠ること。ほかほかの美味しいご飯を準備しておくこと。お風呂場で娘の話を聴くこと。その些細な生活を、日常を、大切に過ごしながら見守っていきます。


監修 | 神崎さやかの娘

参考文献 | 小柳憲司『不登校の子どもを支える家族・教師・医師のための対応ガイド』

※ 【適応指導教室】文部科学省が学校不適応対策事業の一環として導入した公立の学び場所のこと。(教育学習、教育相談・カウンセリング、体験活動など)

※【 通信制高校(登校型)】必要な単位を修得して高校卒業を目指す教育制度。登校型は通学頻度が選べると共に、教員の対面サポートが受けられる。学校の雰囲気は全日制に近い。


補足|親御さんに伝えたいこと

適応指導教室や児童精神科の送迎があるため、わたしはフルタイムからパートタイム(時短)に切り替えてまで続けてきた仕事を辞めました。それは精神的に支えてきてくれた夫が単身赴任になったことや、頼れる身内がいなかったこと、体力的につらかったこともあります。

また、不登校と向き合い続けたことで胃炎にもなりました。親だからと子どものすべてを引き受けたら、あなたが病んでしまいます。

不登校は人生で一番つらい出来事でした。親御さんには自分を労ってほしいです。あなた自身を一番大切にしてほしいです。わたしも後回しにしてきた自分のことを大切にしようと決めています。そして、これを読んでくれた人が、ひとりで抱え過ぎない状態であることを願っています。


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