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自信が無い人が集まると宗教化するんだろうな。

私にとっての宗教化っていうのは、どこかの団体が宗教法人になったとかそういう話じゃなくて
何かを教える、教わるの関係性が徐々に師匠と弟子となり、そこから依存、盲信、ヒエラルキーがが生まれ
気付いたら師匠が教祖のようになり弟子が信者の様になっている、と言う話です。
しかも、ここ最近、そういう場がとても増えているのが気になっています。

今までいろんなところで色んなことを学んできましたけど
まぁ、どこもかしこも宗教化、もしくはプチ宗教化するんだな、と。
ただ学びたいだけなのに、徐々に学びの場の趣旨が変わっていき
学んでいるのではなく先生の自己満に付き合わされる、みたいな。
なんでこんな事ばっかりなんだろうなぁって思います。
そもそも、「教えてください」「おしえてあげる」っていう関係性が悪いんだろう。

最初は「私の教室に来てくれるなんて、うれしいわ!”一緒に”頑張りましょう!」みたいなところから始まると思うんですが
徐々に「私から習えるなんて本当にあなたちはラッキーね」と先生自ら言い出して
そこから「生徒の中でも〇〇さんは優秀ね」などと先生自らら生徒のヒエラルキーを作り出す。
すると先生、二番手、庶民みたいなヒエラルキーが生まれ
先生の考えや意見を二番手が盲信し
庶民たちは先生が認めた二番手が言うのだから正解だ!みたいな空気になり、先生たちに近づくために盲信する人続出、みたいな。

何でこんな事ばっかり起こるんだろう??といろいろ分析した結果、私の中で出た答えは「自信が無い人が集まると宗教化する」って事でした。
自分の考えや自分の意見などを追求するのではなく、正解を追い求める人が集まると宗教化しやすいなって思います。

~~ 私の今までの観察によって見つけた宗教化までの流れ~~

何かを学びたくて教室に人が集まる(目的が同じ)

先生は自分が知りたかった正解を持っている、この人についていけば大丈夫と思い安心する

このころになると呼び方が先生から師匠になり、特別関係がそこにあると思いだす。

師匠は自分が何を言っても盲信する、褒めたたえてくれる人間がいるので安心する

師匠が弟子(生徒)に優劣をつけてヒエラルキーが生まれる

師匠の考え方が偏りはじめるが、自分の意見や考えが無いイエスマンしか居ないのでおかしくなる

この「師匠の特別な考え(偏ってるとは思わない)」を理解できるのは自分たちだけ、選ばれし人間だけが理解できることと思うようになり選民意識を持つ

共依存状態になり、お互いがお互いの安全を壊さぬように宗教化する

ってことなんだろうな、と。

結局、そこに参加している誰もが自分の考えや自分の意見、実力に自信が無い。
でも、
自分は何かすごい使命を持っている特別な存在なんだと思いたい。
でも、自分の素晴らしさを自分で認められない。
自分は素晴らしい存在だることを誰かに認めて欲しいし、確固たる証拠が欲しい。

だから徒党を組んで組織化した挙句に宗教化するんだろうな、と。

*      *

個人的にはこういう宗教化した組織が大嫌いです。
何が嫌いって、そうなりつつある場で何を話しても「先生は~~だっておっしゃってたわよね」ばっかり。
誰も自分の考えや意見を言わなくなる。
そして自分がいかに「先生」の考えを理解しているか?のマウントの取り合いになる。
そうなると、その場で何も得るものが無くなる(人生経験の一つにはなるけど)
そして他人軸の人が増産されていく・・・。

水瓶座時代だから、
それぞれが個を立ち上げて、みんなが平等で・・・のわりに、その世界観から遠い状況ばかりです。

水瓶座時代が本格的になったら、どう生きていいのか分からずに困る人が多いからこそ、水瓶座時代に背を向けるように宗教化する場が増えているのかもしれません。

『3月のライオン』の島田棋士が主催する研究会のスタイルが理想です。
誰かが一方的に教える、教わるの関係性ではなくて
何か必つの疑問や謎にメンバーが議論したり、意見を出し合ったりする。
そこに階級や経験値は関係ない。
それぞれの経験値をそこで生かす。
こういう場が本当に理想です。

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